(窓拭きを終えると空がきれいでした)

集えば、自然に両親の思い出話になります。姉と弟一家が我が家に来ました。

はじめに弟が可愛がっている犬の写真を見せたところから鼎談(ていだん)が始まりました。

弟「犬、可愛いよ」

私「そういえば、お父さんが猫を可愛がるようになったのは子育てが一段落したころだよね」

姉「そうそう」

弟「40代から50代はね、ペットを可愛がるんだよ。で、60代になると動く生き物は億劫になって、盆栽になるんだ」

私「盆栽に。へ〜なるほど。深い」

ライフステージごとの愛玩(あいがん)の変遷に関する弟の考察に私は心打たれました。

姉「深い話だね。そういえば、お父さんの背中の日本刀で切られた傷ってなんだったのか聞けずじまいだったね」

私「叔母さんによると、待ち伏せされて斬られたらしいよ」

姉「おっかないね。そういえば、うちって子どものころ、家族で花札で遊んでたよね」

私・弟「うん、やってたやってた」

姉「友達にそのことを話したら驚いてた。だって、ふつうの人の遊びじゃないって」

私「だよね。座布団使って、お父さんを囲んでやってたよね」

弟「坊主っていう札があったよね」

私「坊主、あったあった。でさ、お父さんの背中の傷なんだけど、常磐支所の近くにあった銭湯にお父さんといっしょにいったとき、本物のスジの人から『うっす』って挨拶されたよ。半端な傷じゃないからね」

姉「そうそう、昔、親戚関係で借金取りがうちに来たとき、お父さんがパンツ一丁で玄関に出て行って、『なんだ、なんだ』っていったら、二度と来なくなったって、お母さんいってたよ」

私「背中の傷を見たんだね。いま考えるとさ、川で釣ったうなぎをまな板に釘で刺して、さばいたり、不思議なワザをお父さん、持ってたよね」

愛玩から背中の刀傷、花札、うなぎの釘刺しにまで脈絡なく話が飛び、亡き両親の思い出話に花が咲きました。

というわけで、父には私たちの知っている表の顔以外の裏の顔があったのではないか、と薄々感じ始めた私でした。


(くつろぎのひととき)

株式会社コーチ・エィが発行する公式メールマガジン「WEEKLY GLOBAL COACH」が好きです。

無料で高品質な情報を得ると、「有難い」を通り越し、恐縮してしまいます。

毎月郵送されてくる有限会社トライアートの広報紙「トライアート通信」もその秀でた品質に毎回感銘を受けています。隈なく読ませていただいています。

有料頒布してもいいのではないか。そう思っています。

さて、「WEEKLY GLOBAL COACH」でいまでも心に深く残っているコラムがあります。

株式会社コーチ・エィ専務取締役の桜井一紀さんの「ビジョンは、ビジョンを語る人に浸透する」です。

「多くの上司は、目標に向かって組織を動かすために、一生懸命、部下に自分のビジョンを語っているのではないでしょうか」と桜井さんは提起。

「ところが、一方的に聞いているだけの部下は上司のビジョンを自分のものとすることはなかなか難しい」

すると、どうなるでしょうか。

「上司は自分のビジョンが部下に伝わらないので、その不安からさらにビジョンを一方的に語る」というのです。

ここで重要なことはなにか。

「上司は自分のビジョンを伝えるだけでなく、部下にもビジョンを話させる必要がある」とし、「指示したり、教えたり、否定したりするのは少し後回しにして、まずは『問いかけて、聞く』ことに徹する」ことだと強調します。

「ビジョンを浸透させるためには、上司がビジョンを語るだけでなく、部下にもビジョンを語らせること」が重要であり、「ビジョンは、ビジョンを語る人に浸透するのです」。

世界宗教といわれる聖典・経典のほとんどは、モノローグ(独白)ではなく、ダイアローグ(対話)によって編まれています。プラトンの著作もそのほとんどが対話編です。

思いを伝播させるためには、「問いかけて、聞く」ことの有効性を如実に示しているといえます。

昨夕、この「問いかけて、聞く」ことを実践。懇親の席で友人の前職時代の仕事ぶりを伺いました。

船会社で働いていた友人から興味深く、面白い話を聴くことができました。かくも文化が違うものか、と学ぶもの多々。

そして、本人さえも気づかなかった差異に私との語らいによって気づいたようです。

こういった“発酵作業”によって思いは浸透していくに違いありません。

「問いかけて、聞く」は、心することによってしか実践できません。来年は、ここに力を入れていきたいと思います。


(料理教室に参加。無農薬の野菜がたっぷりの素材を生かした料理)

そうだったのか、とつくづく思います。炭水化物(糖質)は嗜好品なのです。

嗜好品とはなにか。

「風味や味、摂取時の心身の高揚感など味覚や臭覚を楽しむために飲食される食品・飲料や喫煙物のことである」(ウィキペディア)とされています。

要するに栄養を摂取するためではなく、幸せを感じるために食べるといってよいでしょう。さらに、依存性もあるといえます。

熱々の新米を辛子明太子で食べるときの多幸感は得もいわれないものがあります。まぎれもなく、満足を得るための行為です。

酒を飲んだあとの締めのラーメン。メインディッシュがくる前の焼きたてのパン。食後のスイーツ。

食前のポテトチップス、食間のポテトチップス、そして食後のポテトチップス。

生まれてからこのかた、いままで何枚ポテトチップスを食べてきたのか。何万枚も胃袋に入っているはず。

私はポテチ族の酋長といえます。

栄養学的には不要なのに食べたくなる。この依存性は嗜好品そのものです。

約半世紀の人生においてご飯やパンといった炭水化物は、まっとうな栄養だとずっと信じてきました。

いったいご飯のなにが悪いのか。

白くて輝いているご飯がどうして脂肪に変わるのか。信じられません。

鉄の塊である飛行機が飛ぶのと同じくらい、不思議です。

もしかしたら、人類の進化の過程で炭水化物の摂取は比較的新しい事象なのかもしれません。

母乳にはブドウ糖もデンプンも含まれていないという。この辺りに「炭水化物は嗜好品」のカギがあるような気がします。

炭水化物は嗜好品であり、依存性があります。

もう少し深掘りしていきたいテーマです。読者の皆様のご意見・情報提供をお待ちしています。


(東風の白菜らーめん。いつ来ても美味しい)

探照灯のような2本の光が空に向かって規則的に動いていました。30年前、八王子に住んでいたころ、遠くに見えるその光が気になっていました。

米軍の発する照明なのだろうか。なんのための照明なのだろう。空に向かって軍用機に合図を送っているのだろうか。

あるいはなにかを探しているのだろうか。

夜の帳(とばり)が下りるころ、その2つの光線は空高く、円を描き始めます。

心理的に影響を受けやすい少年期に矢追純一に感化されてしまった私。その洗脳から抜け出せないでいました。

誰かがUFOとコンタクトを取っているのかもしれない。いや、あれだけ強い光線なので、個人の装置はありえないだろう。

私は考え、そして悩みました。

天文関係の研究所が宇宙空間に向かってシグナルを送っているのかも、とも思いました。

興味から疑問へ、ついには苦悩となり、私はいてもたってもいられなくなりました。

ある日、私はその光に向かって、自転車を走らせました。10km以上は走ったでしょうか。

近づくにつれ、光は、強く、そして太くなっていきます。鋭い楕円を描いて規則的に動いています。

巨大な探照灯があるのでしょうか。心臓の鼓動が激しくなります。恐怖すら感じました。

そして、ついに目的地に到着しました。その物体を見上げて私は茫然としました。

パチンコ店の屋上からその光は発せられていたのです。誘蛾灯と称するのでしょうか。私はよくわかりません。

帰り道、ペダルがやけに重く感じました。


(30分で作れます)

名付けて「雪原のベリー畑」。面倒くさがり屋の私でも適当に作れます。

用意するものは、スポンジケーキ(今回は6号を使用)、生クリーム、シュガーパウダー、いちご、キウイ、冷凍ミックスベリー(セブンプレミアムがいいですね)。

深めの皿(私は耐熱皿を用いました)に16等分したスポンジケーキを敷き詰めます。その上に平らにカットしたいちごを乗せていきます。


(いちごをスポンジの上に敷き詰めます)

よく冷やした生クリームに砂糖を15g入れて泡だてます。できれば、生乳から作られたものをしっかりとホイップしたい。

このとき思いました。ホイップとは空気を取り込むことなのだ、と。

空気中を浮遊するカビなどの菌も包み込むように取り込んでいるに違いない。だから、生クリームは早めに食する必要があるのだとわかりました。


(雪原を作ります)

さて、ホイップした生クリームをいちごの上に舗装していきます。工程としてはここが少し面倒。

ただし、縁をデコレートする必要のないところが、面倒くさがり屋の自認する私でもやる気にさせるポイントです。

その後、4分の1にカットしたいちごとキウイ、さらに冷凍ミックスベリーを適当に置いていってできあがりです。仕上げにシュガーパウダーを少しまぶすと雪原の雰囲気が増します。

生クリームのホイップも含めて30分で完成。

これからの季節は食中毒が発生しやすい時期。

2015年において全国で一番食中毒が発生した月は1月(153件)と2月(152件)。両月で年間総数1202件の25%を占めています。ちなみに真夏の8月は69件です(厚生労働省調べ)。

というわけで、「雪原のベリー畑」もさっさと食べようと思います。というか、もう食べてしまいました。


(泳いできたような新鮮な鯵。「大阪」にて)

同じ月の同じ日にちょうど1年前にも「大阪」、別名「犬阪」で集いました。毎日のようにSNS上でコメントし合う仲です。1年ぶりの再会です。

大阪の女将さんに話しかけます。

「去年も感じたことですけど、とにかく魚が新鮮で美味しい。鯵のフライに感動したことが忘れられません」


(作り置きではないお通し。温かいものは温かく、なのでしょう)

「うれしいわ。魚はいい魚屋さんに恵まれたの。鯵フライは刺身用の新鮮なものを揚げているだけ。なにか工夫をしているわけじゃないんどすわ」

時折、京都弁が混じる洛中出身の女将さん。カウンター席のみとはいえ、たった一人で切り盛りしています。


(烏賊の輝きが素晴らしい。甘さにびっくり)

鉄工所を営む客人に私はタンクの検査の要(かなめ)を尋ねます。

「検査ではまず外装を見られます」

「外装ですか。外側の...」

「そうです。ものがよくできているかどうかは外装の色合いに出るんです。溶接の不具合や材料に異物が入っているとか、外装でわかるんです」

話を聞きながら、コンサルタントの仕事をしていたときのことを私は思い出しました。


(臭みの全くない甘い鰯。絶品です)

報告書の仕上がりがとても大切なことを。内容ももちろん重要です。

しかし、内容以上に“見てくれ”にコンサルタントの本気度が表れるといっても過言ではありません。

たとえばグラフ。カラーで作り込むと親切なようでじつはそうではない。

報告書をクライアントに提出したあと、モノクロでコピーすることを私たちは想定しています。

そのため、グラフの区別ができるよう棒グラフや円グラフの塗り潰しの模様を考慮しています。

そういった報告書の「外装」にコンサルタントも注意を払っているのです。外装に精神は宿る、と。


(お客さんが点を書き込んでしまい「犬阪」に)

異業種の客人の話は興味深く、耳を傾けているうちに夜は更けていきました。翌日は休日となる12月22日に来年も再会することを約して散会。

心の中で「人生に乾杯」と叫びました。


(「かわうちの湯」の前のイルミネーション)

アルカリ性単純温泉の湯に浸かりながら友人と語らいました。肌に優しい泉質が身体を芯から温めてくれます。

友人は職場の人間関係で悩み、心の病を患っていることを少し前に明かしてくれました。自尊感情を失いかけているように感じました。

まるで10年近く前の自分を見ているかのようです。私も同じく上司との関係に悩み、うつ病を発症。自信を失いました。

ちょうどそのころ、私のことを心配してくれた仲間たちがカラオケの集いを設けてくれました。合唱部出身のその友人も参加。


(川内村のカフェアマゾンで友人と)

「あのとき歌ってくれたHさんの『千の風になって』は本当に胸に沁みいったなぁ。生きようって思ったもの。いま思うとあのときの経験は意味があると思っています」

「そうでしたか。今回、私がこうなって、なかなか他の人に言い出せませんでした。自分がダメなんだ。自分に非があるんだって思って」

「そうなんだよね。自分が悪いんだって思っちゃうんだよね。自分が弱いのだと」

「自分の頑張りが足りないんだと思っていました」

「木にたとえると一本の太い幹となって屹立し、倒れないようになることも大事だと思うけど、仮に細い幹であっても、副え木がしっかりしていれば倒れない」


(木の風合いが心地よいカフェアマゾン)

副え木の意味について私は友人にゆっくりと語ります。

「支えてくれる人、守ってくれる人の存在、つまり副え木もその人自身の総合的な人間力なのじゃないかと思うんだ。倒れないということが大事」

私もたくさんの副え木の存在によって倒れずに今日まで歩んでこれました。感謝の思いで心が満たされています。

私が苦しんだときHさんが支えてくれました。

「今度は私が副え木になる番です。そして将来、Hさんが誰かの副え木になればいいんだよ」

「きょうは気分が軽くなりました」

数か月後、楢葉町の天神岬の温泉「しおかぜ荘」に共に行くことを約し、別れました。


(文部科学省の食堂のヘルシーランチ)

()からつづく

八王子から中央線通勤特快で霞が関に向かう最中に腹痛が発生。朝の超満員電車です。

コンビニのない山道での下痢よりも回避策がないという意味において10の20乗ほど危険性と恐怖の度合いが高いと感じました。

まさに存立危機事態。想定外だったのは、容易に降車できないことと、すし詰めの乗客の圧迫のすごさです。

車両緊急停止ボタンを一瞥(いちべつ)しつつ、どうにか我が腹をごまかしているうちに新宿に到着。

次の四ツ谷で降りよう。小さな駅の方がトイレは近いはず。

怒涛のような人の流れに抗しながら、トイレの表示を目で追います。

ところが、あるはずのトイレが表示付近のどこにもないのです。四ツ谷駅よ、いったいどうしたのだ。

頭に血が上るのを感じました。

駅員に尋ねると、駅舎の改修工事で改札口の外に仮設トイレがあるという。入場券が駅員から渡され自動改札機に入れていったん出るよう指示されました。

手が震えて自動改札機に入らず、ぱんと跳ねてあらぬ方向に入場券が飛んでしまいました。かがむと人の流れが津波のように押し寄せてきます。

このかがんだことで事態はさらに悪化しました。苦しい。

どうにか仮設トイレにたどり着くと、ボックスがたった2基しかありません。しかも2基ともに使用中の表示。

頭髪の毛穴がぱかっと開いたような気がしました。

私の圧力隔壁が限界に達しようとした瞬間、天国への扉が開きました。


(八王子の和食屋割烹やまひさ)

青天の霹靂(へきれき)とはこのことか、と思いました。レインシャワー。2歳児の幼児のように身の回りのことに興味を持つ私。すぐに試しました。

「レインシャワーご利用の注意」との警告。初めて見る注意書きです。なにを注意するのか、よくわかりません。


(この意味を瞬時に理解する人は緊急事態に強い人だと思う)

レインシャワーは日本語に訳せば“にわか雨”。難しく表現すれば驟雨(しゅうう)です。

レインシャワーってなんだ。

しゃらくさい。考えるよりも物は試しだ。やってみよう。

洗面の水栓で温度を調整したあと、レバーをシャワーに切り替えました。やけどは怖いですから。

シャワーが出るのを身構えていると、なんと天井から冷たい水が背中を直撃。これか、これだったのか。「注意」とはこのことだったのです。


(天井シャワーと明記すべき。右上がレインシャワー。換気口だと思いました)

数滴ならいざ知らず、天井の配管に残っていた冷たい水が勢いよく押し出され、文字通り肝を冷やしました。

気を取り直して出張先の霞が関に向かいました。八王子から約1時間。通勤特快に乗車。

国分寺を過ぎたあと下腹部にいやな予感がしました。超満員の車内です。腹痛が断続的に発生。

国分寺の次は新宿まで25分間ノンストップ。これは想定外の事態でした。

電車の中での腹痛はつらいと友人がかねてからいっていたことが脳裏をよぎりました。

高まる腹腔圧と四方からの絶え間ない圧迫。電車が揺れるたびにいやな汗がにじみ出ます。いまだかつてない恥辱を経験することになるのか。

(へつづく)

(オリーブ茶をいただきました。胃に優しい感じです)

たゆたう川面を見ながら、とりとめもなく考えをめぐらせています。蔵前のリバーサイドカフェシエロイリオはなかなか名前が覚えられません。

素敵なカフェレストランです。隅田川が見えます。スカイツリーも眺望できるロケーションです。

くつろぎの時間。世間で騒がれていることを反芻(はんすう)しています。

尿検査で尿の代わりにお茶。これは、ことわざが変質する予感がします。

「お茶を濁す」ではなく、「お茶で濁す」。オリーブ茶を飲みながら考えています。

米海軍の海洋調査用ドローンを中国が拿捕し、そして返還したというニュース。

時事通信によると「中国側は『正体不明の装置を発見し、船舶や人員への危害防止のため識別調査を行った』と主張」。

正体不明の装置を発見。なかなか苦しい言い訳です。

ちょっかいを出してトランプさんの反応を見ようとしたのでしょうか。今後、米中はガチンコでの衝突があるのでしょうか。

プーチンさんが来日しました。腹の内が読めません。

でも、遅れて到着したとはいえ、シリアなど外交問題が山積している中で山口と東京で会談したことはパフォーマンスとはいえないなにかを感じました。

地下鉄の車内広告のキャッチコピー「あーこのままだとこのままだわ」をふと思い出します。

そのコピーの脇には「イルミネーションは二人で見なければただの小さい電球説」との広告も。

東京で一人そぞろ歩きながらイルミネーションを見ています。

老眼が進み目が悪くなってきたので、小さい電球というよりは霞(かすみ)のかかった灯りといったところでしょうか。また宜しからずや。

今夜、長男と合流の予定です。確認の電話をすると、かったるそうな声で返事をしていました。

埋められない父子ギャップ。しょうがないですね。私も同じでした。


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