(五浦の六角堂)


両親は五浦が好きだったようです。よく私を連れて行ってくれました。父たちと何を話したのかは覚えていません。

ただ茫洋たる大海原を眺めていたような気がします。

私の住んでいた社宅は五浦から10kmほど北の鮫川の河口にありました。

川の流れと海の潮が作る中州があり、シジミやアサリが採れました。気持ちよいくらい、砂の浜辺が広がっていました。


(五浦の海)

一方、五浦の景観は切り立った崖と岩礁がその特徴です。

単調な砂浜に慣れていた私は、いかにも磯らしい五浦が好きでした。うらやましくも感じました。

岡倉天心がここに六角堂を築いたのもむべなるかな、と思います。天心と親交のあったインドの詩人・タゴールも、天心没後に墓参を兼ねて五浦に足を延ばしています。

元気がなくなったとき、私は、ふらっと五浦に足を運びます。五浦を逍遥(しょうよう)するとなぜかもう一度頑張れそうな気持になるのです。

30年近く前の春、同級生と二人で五浦を訪れました。私が誘ったと記憶しています。

彼は、国家公務員一種を合格したにもかかわらず、卒業するための単位が足りないことが判明。一方、私は両親の病のためにタイの大学院への進学を断念し帰郷。

事情は異なるものの二人とも意気消沈していました。交わす言葉も少ない。

二人で五浦の地に立ち、黙って海を眺めていました。しばらく潮風に吹かれていると英気が漲ってくるのを感じました。

独特の景観が気持ちを高揚させるのか。あるいは、岩礁の成す独特の波音が脳を刺激するのでしょうか。


(茨城県天心記念五浦美術館から北方を望む)

五浦は、東山魁夷の描く「唐招提寺御影堂障壁画」の岩礁に似ている、と私はいつも思っています。

その東山魁夷の「唐招提寺御影堂障壁画展」が2月11日から4月2日まで水戸の茨城県立近代美術館で開かれるという。知人から情報を得ました。

春はもうすぐ。

梅香る水戸に磯の絵画を愛で、その足で磯香る五浦に行ってみようと思います。

せっかくなので水戸芸術館のパイプオルガンも聴いてみようかしらん。さらに、せっかくなのでおかめ納豆の納豆博物館にも寄ってみよう。


(子どもころよく来た小浜海岸)

著名なゲームクリエイターの方のお話を聞く機会がありました。公民館で子どもたちに交ざって聴講しました。

一つのゲームソフトを作るのに数億円もかかるものがあることや5年も費やして開発するものもあることを知りました。

ゲームキャラクターの設定を参加者とともに行うワークショップようなこともしました。

性別、年齢、人あるいはモンスター、性格などを参加者の子どもたちから聞きだします。

次に、その設定を基に講師がイメージをホワイトボードを描いていきます。

完成品を見せて、講師は子どもたちに想像通りか、あるいは違うかを尋ねました。

「違う」「もっとかっこいいイメージ」といった意見が出ました。

講師はこのギャップ、違いこそが大事だといいます。

ゲームクリエイターの重要な仕事は、コミュニケーションにあることを強調しました。

「こうしてほしい」という要望に対し、それを受け止める側。そのギャップをきちんと確認し埋めていく作業が大切である、と。

ゲームクリエイターのお話を聞きながら、ふと、我が社で起きている事象を思い出しました。

日によって指示内容や記憶が明らかに違うことがあります。しかも、それを指摘できない自分がいます。

仕事によるストレスは、このわかり合えないというギャップに起因していることの方が多いのかもしれませんね。

以前は指摘し、意見する気力が充実していました。

近ごろは、炭水化物不足のせいか、「どうせ」という思いが先に立ち柔(やわ)になってしまっているようです。

子どもころ大好きだった絵本『きかんしゃ やえもん』が読み返したくなってきました。腹を立てたいのかもしれませんね。

さあ、来週も、炭水化物という名の燃料をしっかり摂って乗り切ります。


(湯本駅前のもんじゃ焼き「まめてっぽう」)

炭水化物の重ね食い。これほど多幸感を助長する食べ方はありません。

まず、野菜と肉、ソーセージの鉄板焼きからスタート。次にもんじゃ焼き。

もんじゃ焼きのあとにお好み焼きと粉物が連続で出てきます。

この時点で相当にお腹が苦しい。当地でいうところの“腹くちい”感じです。

が、驚くことなかれ、ここでシメの一品として焼きそばのお出ましです。

もう胃袋に収まらないと思っていたのに、ターメリックの効いたソースの香ばしいにおいが鼻腔を刺激。あら不思議、食指が動きだしました。

最後にはアイスクリームが出されて、これまた不思議にも胃袋に収まってしまったのでした。

野菜と肉の鉄板焼き、もんじゃ焼き、お好み焼き、焼きそば、アイスクリームと飲み放題が付いて税込3700円。

このコストパフォーマンスは高いのではないでしょうか。

店主は私と同じ姓だという。炭水化物チストを自認する私の通いの店になりそうな予感。

ところで、苦衷のさなかにある友のところに行ってきました。

陰に陽に多くの人たちが手を差し伸べ、寄り添っていることを知りました。胸が熱くなりました。

ひとえに、彼の人柄であり、これまで積み重ねてきた信頼の証なのであろうと思いました。

公的なセーフティーネットももちろん大事です。でも、自らが築いてきた人と人の関係こそが真のセーフティーネットであると確信しました。

思っていたより、世間は温かい。捨てたものではない、と感じました。

彼に私は自分の過去の切ない体験を話し、そっと励ましました。

「起きた事実は変わらない。でも、その意味が必ず変わってくる。今回起きたことは深い意味があるんだよ」

「おれもそう思う」と彼が力強く答えてくれました。

再会を約し辞去しました。


(美味しいチョコを見つけました)

このところ、ささくれ立っているなぁと感じます。特に国と国との関係において“ささくれ度合い”が高まっているような気がします。

インターネットという意思疎通に便利な道具があり、SNSといった人との交流の場も数多くある。

そして、人の往来もかつてないほどに盛んになっているにもかかわらず、なぜ、ささくれ立ってしまうのでしょうか。

いや、ささくれ立っていると感じているのは、私の個人的な印象なのでしょうか。

あるいは、今に始まったことではないのでしょうか。

私の頭の中では判然としません。

想起するのはドラマ「水戸黄門」の一シーン。印籠が出る数分前の殺陣の場面で悪党が叫びます。

「かまわぬ斬ってしまえ」

相手がどう感じるか、ということはもはや眼中の外。斬ったらどうなるのか、という考慮はありません。

“かまわぬ”がキーワードです。

やっぱり私は思うのです。

このところ、やっぱり、言葉という刀で、人と人の間合いがささくれ立っている、と。

ところで、「星々のつぶやき」の記事の内容にバイタルサインの異変を感じたのでしょうか。

読者の方からお電話をいただきました。

お心を煩わせてしまいました。

このようなささくれを癒すつながりのあることに感謝の念を禁じ得ません。

私のささくれは、ちょっと疲れが抜けないだけのことでしょう。

美味しい炭水化物をリュックに詰めて、どこか硫黄のにおいの強い温泉に行ってみたいと思っています。

硫黄系のおすすめの温泉を教えてください。


(宴席のラストに餅。炭水化物チストの目が輝きました)

胃透視検査のためバリウムを飲みました。下剤は飲みません。以前に下剤を服用した際、三峡ダムが決壊したかのような事態に見舞われたからです。

さて、現在の私に対する自省、そして未来の私に向かっての自戒。その意味を込めて書き留めておきたいことがあります。

これは、将来、いまよりも高い地位に立ったとして、その自分に向かって現在の私が述べるものです。

次のように6箇条にまとめました。

一、地位の高低によって判断するのではなく、現場に近い職位のスタッフの意見にこそ心して耳を傾ける。「そういう考えもあるね」と素直にいえる人間であり続ける。

スタッフの意見に対して、否定形でしか返すことができなくなったときは、即、職を辞める。

一、誰がその意見をいったかどうかで判断するのではなく、その意見が妥当かどうかで判断する。

一、高みの見物のように評論するのではなく、スタッフからの協議・相談に対して、どうすれば解決できるのか、と思い悩む同志として振る舞う。

相談を「我事」ではなく、「他人事」と感じ始めたときは、即、職を辞める。

一、高みの見物のように批判するのではなく、スタッフからの協議・相談に対して、その仕事の責任者なのだ"The buck stops here."という心根を持つ。

一、高みの見物のように自説を講釈するのではなく、スタッフからの協議・相談に対して、迅速な判断と明瞭な指示を出す。加えて、協議の場は、何度もあると思わず、一期一会の思いで臨む。

一、アンドリュー・カーネギーの墓碑の言葉「自分より賢き者を近づける術知りたる者、ここに眠る」を忘れない。

以上の6箇条を未来の自分に贈りたいと思います。

人間の判断を狂わせる根本の無明(むみょう)は、我慢偏執=慢心です。

我慢偏執は、自分自身では気がつかないという意味でやっかいです。なかなかのくせ者です。

我慢偏執という生命の病に罹患しない手立ては、師を持つこと。よき相談者(スーパーバイザー)を持つことだと思っています。

来月、スーパーバイザーにじっくりと指導を受ける予定です。

ただし、腹痛ばかりはストップ・ヒア(Stop here.)といっても、我慢できません。


(100倍届いたからといってどうなのか。でも美味しい)

週が明けても厳しい状況には変わらず、善後策を鳩首凝議(きゅうしゅぎょうぎ)。

どうにも元気が湧いてこないなぁと思った矢先、上司から「相田みつを美術館」のお土産をいただきました。

「ありがとうございます。私も相田みつをさんの作品が好きで二度ほど美術館に行っているんです」

「やっぱりそうげ、好きなんじゃないかなって思って買ってきたんだ」

「見どころの多い美術館ですよね。私を元気づけようと思って買われたんですよね」

「んだよ。そう」

心の中にほっこりと温かいものが流れてきました。状況に変化はないのに気分が変わる。これが人の力なのでしょうね。

頂戴したのは卓上カレンダー。

1月に記されているのは「道」という詩。

道はじぶんで
つくる
道は自分で
ひらく
人のつくったものは
じぶんの道にはならない

ところで、退職した元上司にランチのお誘いをいただき、昼食を一緒にしました。

現在は文字通り晴耕雨読の日々という。

仕事を共にしたときのことをいまでも私に感謝の言葉で伝えてくださる、その謙虚さに感銘を受けました。

「あのときはすごかったね。当時の部長に先日会う機会があったけど、すごかったっていってたよ」

「あのときは上司、スタッフのすべての歯車ががっちりと噛み合って大回転していた感じですね。大きな原点になっています。ありがとうございます」

元上司の言葉にじんわりと心の中に暖炉が灯ったような気がしました。励ましをいただいた上、すっかりご馳走になってしまいました。

御礼のはがきをしたためポストに投函。

あしたはきょうより少し頑張れそうです。


(一本そして一本と依存性のある炭水化物)

この時期、攻防があります。叶うもの、叶わぬもの、いろいろです。

さて、叶うはずと思っていたものが叶いませんでした。その余波は大きいでしょう。影響を受ける人々はまだそのことを知りません。

相当にまずい事態です。

これまで生きてきて、もうだめだと思ったことが数度あります。

だめだという意味はなんでしょう。

自分の力では解決できないということでしょうか。あるいは希望がないということでしょうか。

今回の状況は自分の力を超えているといってよいでしょう。

ではどうするか。方策はないのか。万策尽きたといえるのか。

いま考えています。

これまでの難局だって結局は乗り越えてきたではないか。不思議と助けてくれる人が現れてきてくれたではないか。

でも、今回は四面楚歌とまではいかないものの、3.5面楚歌程度の疎外感があります。

ですから、気分は憂鬱です。

おそらく、1年後に振り返ったとき、きょうの悩みも芥子粒のように小さくなるのでしょうけど、当事者における現在形の悩みほど大きく深いものはありません。

というわけで、思い悩みながら知らぬ間にギンビス「アスパラガスビスケット」を食べ続けていました。

子どものころ「アスパラガスビスケット」には、野菜のアスパラガスが練り込まれているのだと勘違いしていました。


(南アフリカ共和国原産のルイボス茶が好きです)

生前、父は、自分の亡き父に会いたいとよく母にいっていたそうです。幽霊でもいいから会いたいといって夜中にお墓に行ったこともあると聞いています。

「夢でもいいから会いたい」

きょうの阪神淡路大震災関連のニュースの見出しです。それを見て、父のことを思い出しました。

お墓から戻ってきた父に母は尋ねます。

「お父さんに会えた?」

「会えなかった」

父は残念そうにいったそうです。

両親を亡くして20数年。いまなら父の気持ちがわかります。

わかりますが、でも、私は臆病者なので真夜中に一人でお墓には行けない。

父は恐れ畏むという心情が薄かったように思います。

ある日、父は、私たちの住む社宅の近くの八幡神社の社(やしろ)に何があるかわかるか、と私に尋ねました。

夕暮れだったと思います。薄暗い社の中に入り、怖がる私を引き立てて、神体らしきものがある一番奥まで連れて行かれました。

「神様とかいっているのはこれだ」といったようなことを私にいって聞かせてくれたように思います。

恐怖で目をつむっていた私はなにがあったのか今もってわかりません。

あれは何かの訓練だったのでしょうか。父は私に何を教えようとしたのでしょうか。

ただ、ふと思うことがあります。

仕事で役職の高い人に説明したり、協議する機会が増えてきました。

基本的に敬意を払いつつ、いうべきことはいい、先方の意見に賛成しかねるときはその旨を伝えるようにしています。

突拍子もない思い付きを提案されることもあります。

その提案が実現不可能であることを率直に伝えると「君はやる気がないな」といわれたこともあります。

「検討します」などといってはいけないのです。

できないことはできない、という恐れ畏まない姿勢も大事なのではないか。そう自分にいい聞かせています。

なんだか父の訓練が効いてきているように感じるきょうこの頃です。


(ファミマの一服コーナーが好きです)

英語の宿題をやっていた息子に味噌の詰め替えをお願いしました。ビニール袋に入った1kgの味噌です。2種類の味噌を購入しました。

ビニール袋の上端をはさみで切り、息子に渡しました。タッパーに入れるよう指示。

私もまた同じくもう1種類の味噌を開封し、タッパーに入れようとした瞬間、「そんな入れ方をしていたの?」と家人から横やりが入りました。

私もやり方は、残り少なくなった歯磨き粉のチューブを全身全霊で力みつつ、搾りだす、あの要領です。

味噌は想像以上に手強いのです。摩擦係数が高く、袋から簡単に出てくれません。

さんざんあえいで絞り出した挙句に袋はしわしわに膠着。しわのひだに残った味噌をそぎ取る作業が面倒くさがり屋の私には億劫です。

そして、いつの間にか両手が味噌だらけ。


(袋を切って展開して味噌をさらけ出す。ここがポイントです)

袋から取り出すもっと簡便な方法があったのです。しかも、袋に裏面に記されているとは露も知りませんでした。

息子の宿題を見ると動名詞の用法でつまづいているようです。私はいいました。

「動名詞なんてわからなくても、かまわない。この味噌の取り出し方の方がよほど大切だ。しっかり覚えなさい」

動名詞と不定詞。難しい。動名詞は「したこと」、不定詞は「しようとすること」でしょうか。

Please remember to send books to me.(私に本を送るのを忘れないでね)

I don't remember sending books to him. (彼に本を送ったことを覚えていない)

こんなことより、袋詰めの味噌の取り出し方を覚えることのほうが有益です。

天命を知る年齢にまもなくというときにいいことを覚えることができました。

ちなみに、最近わかったことがあります。味噌は家庭用の冷凍庫に入れても凍らないのだそうです。

不思議ですね。


(くびれが小豆の粒の残渣問題を解決しました)

ニトリの店内を歩いていると幸せな気持ちになります。特に食器や厨房器具のコーナーで私は恍惚とした表情になっているはずです。

きっとβエンドルフィンが脳内いっぱいに分泌されているに違いありません。

南国風の木製プレートに色鮮やかなカルパッチョを盛り付けしたらどうだろう。

このお玉杓子(レードル)、かっこいいなぁ。柄の部分から掬いの部分まで一本のステンレスで作ってある。柄は熱くならないのだろうか。

鉄製の重そうなフライパン。オムレツを作ってみたいなぁ。

食器コーナーを離れ、浴室・トイレ用具にコーナーに移動。

浴室をエレガントな雰囲気に変えてくれるアイテムがいろいろあります。

長時間ニトリ店内を徘徊しました。夢うつつな気分になりました。

ただ、いただけないのがトイレの位置。2階の一番奥まったところにあります。腹痛が発生した場合、即応性に問題ありといわざるを得ません。


(箸の種類を統一しました)

結局、購入したのは、洗濯物を入れるかご、シャンプーボトル、そして黒系の同種の箸10膳でした。

夢は夢。現実生活というものは厳しいものです。

帰宅後、黒ずみが目立つ使用中の約10種類の箸を全て捨てました(新聞紙で先端を包んで鋭利性を軽減)。

長さも色もそれぞれに異なり、これまで箸を取るたびに神経衰弱を繰り返していました。

吉野家化した我が家の箸。もう神経を使わずにすみます。

箸選びからの解放を宣言したいと思います。


Calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< January 2017 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM