- 2017.02.27 Monday
タイからカナダまで 第7話
(市役所の隣の公園)
(第6話からつづく)
私が市役所に入庁する2年前に父は他界。がんを患い、父と同じ病院で治療していた母は家に戻り、療養していました。
安定した就職先の代表格である市役所の職員となったことを母はことのほか喜んでくれました。
母の卵巣がんはステージ4(末期)でした。病巣を摘出後、母は自らの意思で退院。肝臓や他の臓器にも転移していましたが、西洋医学での治療をやめました。
食事は玄米食や粗食を摂るように変わりました。温熱療法というのでしょうか。ビワの葉を身体に当てて、もぐさで温めるといったことも試していました。
そんなこともあって、ビワの葉を見るといまでも物悲しい気持ちになります。
そして、母は、ある日突然「自分はやりたいことをやる」と宣言。自宅でカラオケ教室を開くとともに旅行や登山を始めました。
そんな母の変わりように驚きつつ、不安も覚える中、私は最初に配属となった福祉事務所でケースワーカーとしての仕事に慣れる毎日でした。
そのころの私の心は、市役所に入れた喜びと、もうこれで海外には行けないのだ。そういったあきらめに似た感情が入り混じっていました。
入庁して半年ほど経ったころのことです。
当時の地域振興整備公団常磐支部からタイ語の通訳の依頼を受けました。
タイ工業省の視察団が工業団地と産業廃棄物処分場を視察するため来市するというのです。事前に資料を手に入れて必死に予習しました。
その後にも、不思議なことにバンコク市教育委員会、タイ農業・協同組合省といったタイの行政機関が次々と来市。市長表敬訪問時の通訳まで務めました。
それぞれ個別の事情で視察地として選んできたというのです。不思議なこともあるものだと思いました。
自動車学校で出会った、ドイツ留学を目指しているおじさんの言葉(註 第4話)が蘇りました。
「夢をあきらめてはいけない」と。
上司からは「タイからたくさんお客さんが来るけど、あんたが裏で糸を引いてんじゃないのげ」といわれました。
自宅療養していた母は一時、とても元気になりました。が、徐々にがんに蝕まれ、発症から4年後に亡くなりました。
「やりたいことはすべてやったよ」といって霊山に旅立ったことが救いです。
市役所で働き始めて5年目の秋。面識のない他の部署の課長が私のところに来ました。話があるという。
「君、1年間、カナダに行ってみないか」
(第8話へつづく)
- 体験
- 19:07
- comments(0)
- -
- by だいこんくん