(古民家欧風カレー「カキノキテラス」)

人は潜在的に誰もが被り物を着用したがっているのではないか。最近、そのような結論に至りました。

コラージュアプリというのでしょうか。詳しくは承知しませんが、自分の顔写真に加工を施し、アニメの動物やキャラクターに扮するのが流行っているらしい。

私自身は現実主義者ゆえ、そのようなアプリには興味ありません。しかし、現実生活の中で本物の被り物をします。


(カキノキテラスのメニュー看板)

ただ、誤解を招かぬよう付言すれば、日頃から被っているのではなく、あくまでもハレの機会にご披露しているということです。

とは言うもののアプリも実物も紙一重。所詮は、仮装の世界で行うか、あるいはリアルに実行するか、ただそれだけの違いに過ぎない。そう私は思います。

古くは能の世界も仮面であり、平たく言えば被り物です。何故に人は被り物に魅せられるのか。


(庭に柿の木のテラスがあります)

「顔面は人の存在にとって核心的な意義を持つものである。それは単に肉体の一部分であるのではなく、肉体を己れに従える主体的なるものの座、すなわち人格の座にほかならない」(「面とペルソナ」『和辻哲郎随筆集』)


(久しぶりにカレーを食べて食道が焼けています。カキノキテラスにて)

和辻哲郎の言う「人格の座」なるがゆえに異なる人格、否、己の奥底に潜む真の欲動を表出したいとの止み難き思いが面を被らしむのでしょうか。

書いている筆者本人も何が何だかわからなくなってきました。


(お手洗いも素敵です。カキノキテラスにて)

要は断カレーを解いて久しぶりに食べたカレーがじつに美味しく感じたことを写真付きで訴えたかっただけです。

カキノキテラスは八王子にある古民家の欧風カレー店です。テラスが素敵です。素敵な人といっしょならさらに素敵なひとときを過ごすことができるでしょう。


(しっかりと胃が焼けました)


(どこか遠くに行きたい)

あさのカフェは旅人の交差点。これから旅立つ人、遠方から来て旅装を解く人、出勤前にくつろぐ人。それぞれの旅人の姿を観察しつつ、ひっそりと混じる私です。

“手の甲冷え性”ゆえ、冬季は室内でも指先を第2関節まで出している手袋を常時はめています。その手指でドトールのモーニングAセット(ハムタマゴサラダのトースト)を食べつつ、私は嘆息。

嗚呼、旅に出たい。無性に思います。渇仰します。

片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず。やや年も暮れ、春立つる霞の空に勿来の関こえんとす。

なお、受験生が誤解するといけないので「奥の細道」の原文では白川の関であることを申し添えます。

この勿来の関は歴史上実在したものではないらしい。

かつて菊多の関は存在した。その菊多の関をいつしか短歌の世界で歌われる架空の「勿来の関」に当てるようになったのが真相のようです。

現在の勿来の関跡から山あいに進むと旅人という地に行くことができます。旅人と書いて「たびうと」と読ませる。風雅な地名です。

子どもの頃、旅について不思議に思うことがありました。

よく行く、地元のふつうの温泉にどうして県外から観光バスを仕立ててわざわざ来るのだろう、と。当時の私には理解できませんでした。

非日常を求めて来るのに、日常のありふれた世界にやって来るように私には思えたのです。

後年になって気がつきました。

旅の非日常とは場所ではなく、己の感じ取る心の作用だったのです。その意味では旅情とは非日常を感じたいと欲する心の中に埋め込まれているのかもしれません。

つい、能書きを語ってしまいました。

来年は旅に出よう。今まで行ったことのない処に出かけよう。旅支度に着ぐるみは重い。頭部のかぶりものがいいだろう。

非日常の土地で非日常を振舞う。非日常性を心から味わってみたい。そんな欲望がふつふつと湧いてきます。

私の友人はニューカレドニアに行きたいという。そんなはるか彼方でなくてよい。まずはニュー新橋ビルの「みぼうじんカレー」を旅程の一里塚としよう。


(重厚な造りの夏井川第一発電所)

「あなたの住んでいる所に、昔からある植物を10種類あげてください」、「あなたの家にいる人以外の生き物は何ですか 」

東京財団週末学校の「地元学の実践」で講師は私たちに質問を投げかけてきました。鋭い質問に時に肝を冷やしながら、風貌とともにその独特の語りに魅せられていきました。

地元学とは何か。

「地域の歴史や風土、成り立ちを調べるが、過去を振り返り懐かしむものではない。足元にあるものを確認し、その意味を知る。まず今あるものと向き合い、そして時代の変化を地域の個性となじませながら、地域の力を引き出していく」(東京財団週末学校

講師は訴えます。「自分たちの地域のことをいかに知らないかということに気づくことが地元学のスタートだ」と。

私の住む小川町には夏井川が流れています。渓流沿いに水力発電所がいくつか設置されています。

でも、いつどのように設置され、どのような発電所なのか、詳しくは知りませんでした。

いつしか、知りたい、と思うようになりました。

知人の紹介で水力発電所に詳しい方から話を聞く機会がめぐってきました。

夏井川第一発電所は、実業家の久原房之助(くはらふさのすけ)氏によって、大正5(1916)年に設置されました。

同氏は、日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所や久原財閥の総帥で、当時、鉱山王の異名を取ったという。

2・26事件にも深く関わっていた氏がどのような経緯で夏井川水系に着目したのかは不明。

同発電所の落差は約90メートル。水車は横軸フランシス水車が2台。総出力4626kw。発電機はもちろん日立製作所製です。

100年前の発電機が今もなお稼働していることの驚き以上の驚きが私にはありました。

それは何か。

大正5年と言えば江戸時代が終わって50年。電気もない江戸時代からわずか半世紀で水力発電所を建造できた技術の進歩に驚嘆せざるを得ません。

翻って我が身の半世紀を顧みるに、いったい何が進歩したのか。

父のようにうなぎの頭ををまな板に釘で刺して捌けるようになったのか。否であります。

父のように自転車のパンクしたタイヤをベンジンで汚れを拭いてゴムを貼り付けて修理できるようになったのか。否であります。

母のように油揚を出汁醤油に浸して、美味しいいなり寿司を作れるようになったのか。否であります。

母のように鮟鱇の肝を潰して美味しい友酢を作れるようになったのか。否であります。

というわけで、我が半世紀の歩みは牛歩に似て極めて緩慢だということが判明しました。たかが半世紀、されど半世紀。

先人たちの偉業をただ仰ぎ見るだけです。来年は半歩は前進したい。

以上が私の地元学の実践でした。


(冬の夏井川第一発電所)

「勿来学」--- その第2回目の講座を受講しました。以前から睡眠学習の癖はあったものの、最近とみに著しい。でも、熟睡はしないのが不思議。ついに練達の域に達したのかと思います。

かつて仕えた上司も講演を聴講している際、よく目を閉じていました。首(こうべ)も少し揺らいでいました。

しかし、確認すると内容を覚えているのです。まさに睡眠学習の練達の士。

さて、「勿来学」です。講師の力強い語調によってスリープ状態から脳が再起動しました。

「昭和の戦争は、戦争を終えることを学んでいなかった。そこに最大の問題があったのです。物事は、どう終えるかを考えてから始めなければならない。日清・日露戦争はまだ政府首脳にその考えがあった」

「勿来の関」の話からどのような経緯を経て戦争の話に至ったのか、そこは記憶がありません。そこが睡眠学習の欠点です。琴線に響く言葉が耳に入ったときのみ再起動します。

講師は続けます。

「昭和の軍首脳は、戦争を始めること、戦争を続けることは考えても、どう止めるか、そこは考えていなかった。結局、自分たちで止められなくなり、聖断を仰ぐということになった」

深く共鳴しました。得心が行きました。加えて、私の身の回りの様々な業務にも言えるのではないか、と思いました。

新規事業は耳目を引きます。“目玉”という名のもとに新しい事業が起こされます。特にふわふわした名称の付いた事業はもてはやされます。

でも、ほとんどの人がそれをいつ、どのように止めるか、考えていません。

まったく同じだ、と思いました。そして、人生もまたかくのごとし、と。

どう己の始末をつけるか。まず臨終のことを習う必要があるのだろう、と。

というわけで、「星々のつぶやき」も、どう終えるのか。そろそろ考えなければなりません。ボタン一つですっと消すのも気持ちがいいかもしれない。

これまで書き連ねてきた恥辱、悪態、無礼、雑言(ぞうごん)、愚痴の数々。さすがの私も最近、羞恥心なるものが少し芽生えてきました。

先日の課の忘年会では全身の着ぐるみは控え、頭部のみのうさぎの被り物にしました。自重の心です。

一歩成長しました。


(ハクチョウの季節です)

前号から間が空いてしまいました。検診車での検査が億劫この上ない。半端な身だしなみでとにかく寒い。

胸部エックス線検査のあと、半端に上着を羽織ってとなりの検診車に移動。心電図検査です。

吸盤型の冷んやりした電極を肌に付けられます。

「全身の力を抜いて楽にしてください」

楽にしろと言われて、楽にできない体質の私。

目をつむって架空のひなびた温泉地を妄想します。ひとり静かに露天風呂に浸かる様を想像。脳内にα波が広がっていきます。眠気が襲ってくる頃に検査終了です。

吸盤を剥がされて着替え、またとなりの車両に移ります。いよいよ胃部バリウムエックス線検査です。

バリウムを飲むのはなんでもありません。お安い御用です。お通じも慣れました。

ただ、検査が胃部の検査なのか、腕力検査なのかわからないほどアクロバティックなのがいやです。まるで宇宙飛行士の訓練のよう。

垂直に立っているうちは腹を検査台に向けようが横腹を付けようが構いません。

ところが、徐々に傾斜がきつくなっていきます。頭部が下を向きずり落ちそうになる中、1回転しろと命じられます。

胃の内壁にバリウムが満遍なく行き渡るようにするためでしょう。体重が腕に掛かってきます。

「はい。そこで息を大きく吸って、止めたままで。はい。楽にしてください」

と、書いていたら、ますます憂鬱になってしまいました。あと3週間後に検査です。何か新たな発見があり次第、加筆します。


(自転車通学の中学生に大きな声であいさつされます)

茶人の名によく似た牛タン店で食事をしていたときのことです。やっぱりこの店の牛タンは美味い。そう思いました。様々な牛タン店を回る中での結論です。

と同時に、私はいま牛タン、つまり牛の舌を食べているのだ、という当たり前のことに気づきました。まるで夢から覚めたような感覚です。不思議な新鮮さがありました。

おのれの行為をテレビカメラでモニターしているようにまざまざと凝視しました。

牛の舌を噛み切り、咀嚼(そしゃく)する私。ほどよい弾力性。噛めば噛むほど辛味噌と相まって肉の旨味が口内に広がります。

そのとき、私の舌と牛の舌が交わっている事実に気づかされます。そして私は在りし日の牛の顔を思い浮かべました。

搾乳はおろか、牛の身体にさえ触れたことのない私が舌を介して、どこの“牛”の骨とも知らぬ牛と濃密に触れ合っている。

正確に言えば、触れ合ってきた。いや、何十頭と触れ合い続けてきたのだ。驚嘆すべきことです。

そんなことを考えていたら、食欲が減退していきました。テールスープも残してしまいました。

あれから、一週間が過ぎました。あれほど好きだったのに、もはや牛タンに興味すらない。スーパーの生肉コーナーの前を通っても見向きもしません。

何かが枯れた。何かが萎んだ。そして、何かが変わったのだ。そんな感じがしています。

ph指示薬のBTB溶液の色が変わる、あの瞬間に似ている、と思いました。スポイトで少量滴下して軽く混ぜ、色の変化を見ていく、アレです。そうです。量の変化は質の変化を伴うのです。

これまでの蓄積によるものなのか、あるいは消耗によるものなのか、漸増・漸減の力はおろそかにできません。雨垂れ石を穿(うが)つのであります。

最近、テストステロンのサプリメントの広告が表示されるのが気になります。

テストステロンについて興味深い記述が日清製粉グループのサイトにあります。

「テストステロンは自分を社会の中で主張する時に必要なホルモンであることから、社会的ホルモンともいわれています。例えば、テストステロンの分泌量は社会の中に出ていくことで増加し、家庭に帰ることで減少します」

「さらに、赤ちゃんを抱っこすると一気に下がるなどといわれています。心が安らぐ時はテストステロンは不要なのかもしれません」

「顏の長い人、薬指が人差し指より長い人はテストステロンの分泌が豊富だといわれています。相撲力士142人の薬指と人差し指の長さを測り、番付と勝率を調べた研究があります。薬指が長い力士ほど、成績がよいという結果が出ました」

「あなたの薬指は人差し指より長いですか?」

枯れ切った末に見えてきた地平線の向こう側の現実。心の安寧が訪れてきたのか。はたまた、活力の喪失なのか。

「太陽と死は直視できない」とは、フランスのモラリスト文学者、ラ・ロシュフーコーの言葉です。

というわけで、目下、薬指を引っ張る体操をして、ぽきぽき鳴らしています。


(たまに無性に食べたくなる)

何気ないひとことが胸に深く刺さる。そんなことが以前より多くなったような気がします。けっして小難しい四字熟語などではなく、平易な言葉なのです。

講演会に招かれ、冒頭に短いあいさつをしました。

講師はその道の第一人者。豊富な実例を挙げながら、どのように対処すべきなのか、試行錯誤や失敗談も包み隠さず話をしてくれました。

「私は怒られやすいんです。よく怒られます。でも、怒られやすいっていいんですよ。怒られにくい人もいるんです」

どのような文脈でその言葉が出てきたのか、意識が2メートル上空の方に漂っていたときだったので、残念ながら覚えていません。

「怒られやすいっていいんですよ」--- この言葉が耳に飛び込んできたとき、何か灰色の心の霧がぱっと晴れました。不思議な明るさ、前向きな姿勢。これだ、と思いました。

加えて、「怒られにくいより怒られやすい方がいい」という発想。爽やかささえ感じました。

これまで躊躇(ちゅうちょ)せず果敢に新しい課題にチャレンジしてきた生き様がそのようなメンタルを築いたのだろうか。先駆者ゆえの非難や中傷もあっただろうと思いました。

顧みるにこれまで私は「怒られる」ということに対して神経質になっていたかもしれない。最近も、外部の専門家からお叱りを受けました。

要は専門知識を持っていないにもかかわらず、どのような法的根拠によってあなたは私に意見するのか、という内容です。

でも、「怒られやすいっていいんですよ」との言葉を聞いた瞬間、認知行動療法のように「怒られる」ことの意味が変わりました。

先日、アンガーマネジメントの初歩を友人に教えてもらいました。自らの怒りのみならず、他者の怒りの意味を分析し、捉えることも大切だ、と。

ともすれば、怒られることに悲観的感情を持ちやすい私にとって「怒り」への対処は大事なことなのかもしれないと思いました。所詮、小心者なのです。

それにしても、「怒」という字は、何故に女の又の心なのでしょう。


(ナカオカフェ。宮城県富谷市にて)

「目が覚めると涙を流していたことに気づく。でも、なんで泣いていたのかわからない。思い出せないんだ」

旧友は訥々(とつとつ)と話し出しました。時々会ってはいたものの二人きりでゆっくりと話をするのは学生時代以来のことかもしれません。

「何回か同じことが続いたあと、ある日思い出したんだよ」

「夢の内容を?」

「そう。子どもの頃に実際にあったことだったんだ。その場面を繰り返し夢に見ていたんだ」

旧友の家は父親が様々な事業を起こすもことごとく失敗。億単位の借金を残して、その後、病に倒れ亡くなる。

借金返済のため、母親は朝から晩まで働き詰めの毎日だったという。貧乏のどん底を経験した旧友。

「母に迷惑をかけっぱなしだった父親が俺は好きになれなかった。嫌っていた。死んだ後も同じ感情だった。だから遺影も飾らなかった。結局、母は父が亡くなる前に離婚したんだ」

そして、旧友は夢の続きについて語り出しました。

「夢は、オヤジの夢だったんだよ。子どもの頃、父の誕生日に弟といっしょに父の好きな酒をプレゼントに贈ったんだ。すると、オヤジはさっと正座して、ありがとうって言ってくれたんだ。オヤジが好きだった自分を思い出したんだ」

「そうだったんだ」

「今まで大嫌いだった父親が不思議なことにそれ以来受け入れられるようになった。今まで歳上の男性に対していつもイライラ感があったんだけど消えたんだ」

初めて聞く話に私は引き込まれていきます。

「母のところに行って、仕舞ってあった父の遺影をもらって自分の家に飾ることにしたんだ」

さらに、旧友は意外なことを話してくれました。

「じつは少し前まで、俺、娘と息子とうまくいかなかったんだ。つい頭ごなしに押さえ込んでしまうというか、そんな風に接していた自分がいた。ところが、その夢の一件があってから子どもたちとの関係もよくなっていったんだよ」

「本当によかったね」

旧友の話を聞き終え、不思議な清涼感が胸に広がるのを感じました。

そういえば亡き両親の夢を最近まったく見なくなりました。夢でもいいから会いたいものです。

蛇足ながら、30年前にタイの女子学生に振られた夢をこの前見ました。周期性があって年に一度ほど見ます。

その時だけタイ語でしゃべる自分が不思議です。必死だったんでしょう。きっと。


(ナカオカフェ。右側が和食器のショップ)

高速道路を使ってでも行ってみたいカフェ。今後シリーズ化の予定です。実際に足を運んだカフェについてつぶやいていきます。

今回は宮城県富谷市の「ナカオカフェ」。

富谷市はワープロ変換でも出てこない誕生したばかりの市。2016年10月10月に町から単独市制に移行しました。

「合併」によってではなく、「単独」というところにこの地域の勢いを感じます。人口の増加が著しい。1970年に4,912人だった人口が1995年に30,244人、2015年に51,591人と45年間で5倍に増加(いずれも国勢調査)。


(ナカオカフェ。照明が郷愁を誘う)

かつて奥州街道の宿場町として栄えた富谷宿。旧家が軒を並べ、いまも往時の佇まいを残しています。

歴史と文化、そして勢いのあるまちにはいいカフェがある。私の勝手な推測です。が、当たっています。

ナカオカフェに到着して気がつきました。店の両側にもカフェがあることを。カフェが連なっている。うれしい気持ちになりました。

店内に入ると正面にアクセサリーなどの小物の物販コーナー、左奥が一段高くなっていて、木炭焙煎コーヒー豆とスイーツのショップになっています。コーヒー豆はテイスティングもできます。


(ナカオカフェ。外から窓を撮りました)

一段低くなっている右奥は和食器のショップ。全国の著名な窯の陶器や個人のアーティストによる焼き物もあります。漆器や木製の食器もあり、さながら食器のプチミュージアム。

このようなお店にいると私は多幸感に包まれます。これもほしい。あれもほしい...夢は膨らみ、財布はしぼみます。

今回はアカシアの木を彫って作った大きめの木の皿(トレー)を複数購入。正月料理を盛り付けてみようと思います。

さて、カフェはギャラリーとともに2階にあります。

ケーキセットを注文。しっとり、ふわふわのシフォンケーキに生クリームとバニラビーンズの入ったアイスクリームが付いてきました。


(ナカオカフェ。キャンドルライトが揺らめいています)

嗚呼、逆流性食道炎なのに、またよくないものを食べてしまいました。後悔はしません。反省もしません。ドーパミンが溢れて出ているからです。

というわけで、後悔も反省もなくカフェ三昧が今後も続いていきます。

カフェは私の心のオアシス。私にとっては空気や水と同じく必要不可欠なものなのです。

ナカオカフェの公式サイト
http://nakao-shop.jp/


(LED電飾。盆飾りに応用してもよさそう)

漢文の抑揚形の表現。ふだんはあまり使いません。が、スパイスが効いて好きです。小においてすら面倒くさし、いかに況や大においてをや。

前号の「健康診断が嫌い(1)」では採尿の面倒くささを詳述しました。大きな便りの採取についても、我が筆力をもってすれば写実的技法を駆使して描くことは容易ではあります。

しかしながら、大人の事情により差し控えたいと思います。ご理解ください。

さて、健康診断は包括的かつ個別的に嫌いだと前号で述べました。室内で行う血圧測定、採血、視力測定。いずれも面倒くさいことこの上ない。

採血の際、いい血管がないのか、ぺしぺしと腕を叩かれます。

「もう片方の腕も見せてください」

そう言われるのがつねのため、最近は両腕をまくって差し出しようにしています。

注射器に血液が勢いよく吹き出しているのを眺めながら、この看護師さんは毎日毎日このように採血しているのだろうか、と勝手な思いを巡らしてしまいます。

室内での各種検査が終わると戸外に待機中の検診車に移動。これがたまらなく嫌なのです。面倒くささ、億劫さに加え寒さが渾然一体となった不快な感覚に襲われます。

1台目の胸部エックス線検査を終えて、心電図検査の検診車に移動するわずか5メートルの距離が近くて遠い。

裸で行くわけにはいかない。かといってワイシャツのボタンを締めるのは面倒だ。寒いので上着は着たい。ネクタイを右手にぶら下げる持つ。

「着崩した」などと到底言えない、ファッション性のかけらもない、情けなさを一身に集めた格好が現出します。

勤務中はお客様への接遇上、革靴であるべきと私は思っています。サンダル履きはしません。

検査後に革靴をしっかり履くと、すぐに次の検査があり脱ぐので面倒。かかとを浮き立たせながら、つま先歩行を強いられる。

どんな威厳漂う人も高貴な人もこの5メートルの不随意移動をやれば、ただのおじさんが歩いているようにしか見えない。文字通り、人間を丸裸にする破壊力があります。

しかも、心電図検査のあとに胃部エックス線バリウム検査のときにもう一度移動を行うのです。

というわけで、次号では検診車での嫌さ加減について深掘りしたいと思います。


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