(冬の寒さがないと桜は咲かない)

聴き取る力が落ちてきている。最近、つくづく思うようになりました。以前、五十音の単音の聴き取り検査をした際、半分近く間違えました。

子どものころ母に聞いた話によると、私は3歳まで発話をしなかったらしい。いわゆる「赤ちゃん言葉」を発しないまま成長したという。

絵本や図鑑などを通して母が強制的に私に覚えさせた言葉は、「たいよう(太陽)」や「ちきゅう(地球)」、「つき(月)」、「さかな(魚)」であったことは幼子心にも記憶しています。

まるで外国人が日本語を覚えるようにして単語を覚えたようです。

聴き取りの遅れは言語の発達に影響を及ぼします。小学低学年で苦労したのは読み書きでした。

漢字はおろか、ひらがなも書けませんでした。「ち」と「さ」の違いがわからず一人涙ぐんでいた私。どこがどう違うのかがわからないのです。

今になって思います。私は一種の学習障害(LD)ではなかったのか、と。

「ことばとひびきの教室」に小学校・中学校の9年間、通い続けました。私の学習障害を助けてくれたのはまぎれもなく通級教室でした。

先日、特別支援教育関係の会議にスタッフとともに出席する機会がありました。

「LDのお子さんは自分が勉強が遅れているということ自体がわからない。そして担任の先生も含め周りもわからない」

「そこが問題です。周りが気づいてあげる必要があります。そのままにしておくと次第に授業についていけなくなり不登校になっていきます」

「小中はまだ連携が取れているからいいんです。高校に進学した際、特別な支援、配慮が必要な子であることの情報が学校に伝わらない」

目の前の一人の児童生徒のために何とかしてあげたい。

特別支援教育担当の先生が熱く語る姿を見て私は思いました。

おそらくは私自身が子どものときもこのような先生がいて目に見えないところで私たちをサポートしてくれていたに違いない、と。

「ち」と「さ」の切ない思い出とともに何だか胸に込み上げるものがありました。もしかすると、ただの逆流性食道炎のせいかもしれませんが。


(春よ早く来い)

5分弱の広報番組の収録に立ち会いました。スポンサーは広報担当の課です。手話通訳のスタッフが関わるため、一度、同席したいと願っていたものでした。

大雪の影響もあって福島市内は道路にも雪が残っていました。午前10時半に制作会社に到着。風が身を切るように冷たい。

初めにナレーションのアフレコを行うとのこと。

映像とナレーションのタイミングを計るため、一同同席のもとフリーアナウンサーの方がナレーションのリハーサルを始めました。

声が美しい。じつに聴きやすい。天性の美声にさらに磨きをかけた声。そんな感じがしました。

音叉(おんさ)のような混じりけのない透明な声です。私の脇でマイクを介さず話しているのに、どこか天井のスピーカーから聞こえてくるような錯覚を覚えました。

いただいた名刺の略歴を見ると喜多方の出身。大学は仙台。生粋の東北人です。軽いショックを受けました。

なぜなら、私は思いっきり訛っているからです。加えて、15年前に県の外郭団体に出向していた際、喜多方出身の同僚のイメージが強く残っていたこともショックの原因でした。

彼は「それで」の意味でよく「そんじぇ」と言っていました。「じぇ」というよりは、むしろ「じぃ」に近かったかもしれません。仲間内でも、クライアントとの打合せでも、出張先の東京でも彼は「そんじぇ」を連発。

いつしか、私の頭の中で「喜多方イコールそんじぇ」の刻印がなされていきました。

プトレマイオス朝最後のファラオ「クレオパトラ7世」は何よりも声が美しかったという。聞く人をして魅了する声と話術の持ち主であったとされています。

嗚呼、私も訛りのない日本語を話してみたい。どうすればいいのでしょうか。訛り除去装置のようなものがあったらいいのにと思う。

というわけで、桜花の季節に予定している「星々のつぶやき」の第2回朗読会「朗ブロ」では、少し磨きのかかったいわき訛りが聞けるかも...。


(春遠からじ)

よりつづく)

「酒縁てる」を再訪するに当たって、私は鯵フライを食べさせたいお客様を連れて行くことを事前に伝えておきました。期待しつつも、やっぱり“たかが鯵フライ”なのではないか。

そう思っていました。

出された鯵フライを見て、まずその大きさに驚きました。鯵フライと言えば、背開きでハート型のものが主流です。「酒縁てる」のそれは違っていました。

三枚おろしでした。鯵フライが二切れ盛られていました。おそらくは元の鯵の大きさは40センチ以上はあったのではないでしょうか。

小骨がきれいに取られていました。これにも感動です。

大きさもさることながら、その身の肉厚なことに二度びっくり。身をつまむ箸にずっしりと重量を感じます。

「大将、この鯵のフライも絶品です。美味しいです」

「魚がいいですから。この辺の鯵じゃだめなんです。九州から取り寄せました。で、下ごしらえが大事なんです。塩を振って、私の場合、5時間冷蔵庫に入れておきます。一手間、かけなきゃだめなんです」

「手間が大事なんですね」

「生の鯵をそのままフライにすると身がぼさぼさになってしまうんです」

カリッと軽やかに揚がった外側と身のほくほくとした旨味がたまりません。本当に美味しい肴に出会うと、炭水化物を欲する貧乏性が首をもたげます。

通常は真っ白なご飯です。でも、今回は違っていました。食パンが合うと思いました。

上質な食パンにしゃっきしゃきのキャベツの千切りを乗せ、ソースをかける。そして、熱々の超肉厚のこの鯵フライを乗せて食べたら、どうなることでしょう。

カリカリ、ふわふわ、しゃきしゃきのオノマトペが混然一体となって湯気とともに口中に多幸感が広がるに違いありません。

きょうここに来た目的、もっと大そうな言葉でいえば、“来店の本懐”は、この鯵フライを食べるためにあったのだと私は確信しました。

もちろん、大将が東奔西走して探してくれたホウボウやイシモチなどの常磐物の刺身やマグロの頬肉も美味ではありました。

が、鯵フライのインパクトがあまりにも強すぎて影に隠れてしまった感がありました。

次回、食パンを持参で来店してもよいでしょうか、大将。


(春はもうすぐ...かな)

大事なお客様をお迎えしての新年会。仕入れの準備もあると思い、事前に鯵フライとナポリタンは注文。午後7時過ぎに小さな宴席が始まりました。

きんぴら風のお通しのあとにまず出された一品が真鱈の揚げだし。小皿の上で鱈の身が丘陵のようにあふれんばかりの存在感を主張しています。

衣はさくさくで身はふわっふわです。スーパーで見かける鱈の身は、煮ても揚げてもほぐれやすい。そのうえ、一片の身の大きさがせいぜい数センチ大。

ところが、目の前の鱈は、それらと隔絶したサイズ。ほぐした身の一片の大きさが見たことのないものでした。

大根おろしを添えながら絶品の真鱈の揚げだしで身も心も満たされていきます。

「大将、鱈、美味しいですね。本当に美味しい。こんなに美味しい鱈、食べたことがありません」

「魚がいいんです」

大将は謙遜しながら答えます。一方、それはまた真実であろうと思いました。

以前、板前の知人が言っていました。

「いい材料を使って美味しい料理を作るのは当たり前。安いふつうの材料で美味しく作るのが板前の腕の見せどころ」

なるほどそういうものかな、としばらくは知人の考えに賛同していました。が、「酒縁てる」の大将の姿勢に触れて、私は考えを改めました。

いい素材を追求する、執念にも似た大将のこだわり。そのこだわりがあって初めて真に美味しい料理は供せられるのではないか。

この席で生まれて初めて鱈の刺身をいただきました。ほのかに甘みのある、柔らかな味わい。珍味であり、逸品です。

「鱈は沖で食え」と言われるほど傷みやすい魚です。その上、アニサキスの心配もあります。この新鮮で大振りの鱈を得るためだけに大将がどれほど奔走したか。

私は思いを馳せました。

次に出された一品がまた驚きの大きさの鯵フライでした。

「こ、これが鯵フライなのか。ものすごく大きい。そして身が厚い」

(下へつづく)


(エレベーターの「換気」ボタン)

とあるエレベーターメーカーの企画会議。役員も出席しての真剣な議論が続きます。テーマは放屁対策。

「エレベーター使用上のクレームに以前から放屁問題があることはご承知かと思います。しかし、わが社は放置してきた経緯があります」

「大きな問題なのかね」

「クレーム主のほとんどが女性からです」

「どういうことか説明してくれんかね」

「はい。われわれと同年代の中年男性の約2割は一人でエレベーターに乗った際、放屁することがわかっています」

「そんな程度かね。わしはよくやるぞ。オヤジ連中は密閉空間に弱いってことだ」

「わかります。わかります。狭い本屋さんでも同じ現象が起きます」

「さて、本題に戻します。このオヤジ連中の、あっ失礼、中年男性の放った残り香によって一次被害に加え二次被害が生じていることをご存じでしょうか」

「中年男性が放屁したあとに女性が単独でエレベーターに乗る確率はわが社の推計によると10パーセント未満であるとされています。決して高くはありません。が、無視できる数値でもないと言えます」

「放屁後の空気汚染度は測ったのかね。次にドアが開けば攪拌され稀釈されるだろうに」

「この動画をご覧ください」

屁に模した色付きのガスをエレベーター内に放出。エレベーターのドアの開閉と薄まり具合を観察した実験の模様が流れます。

「ご覧のように想像以上にガスが室内に滞留していることがわかります。女性はまず放屁された室内で一次被害に遭います。『うっクサっ』と思った次の瞬間、次の階で別な人が乗り込み、そこで二次元被害を受けることになるのです」

「要するに犯人にされてしまうということだな」

「そういうことです。放屁の主犯格とされてしまうのです。オヤジの悪習(悪臭)を変えさせることは困難でありますので、女性の救済策を考えました」

「それは何かね」

「はい。企画開発部で考案したのが『換気ボタン』です。他社にはまだない機能です。ボタンを押せば瞬時に台風並みの900ヘクトパスカルまで減圧して急速脱臭します」

以上は筆者の妄想です。

そんなことを想像しながら9階から一人で乗り込み、途中で換気ボタンを押してみました。これで安心です。


(福島市のカフェ「モモノキ」。窓外は雪に覆われています)

珍しく風邪をこじらせました。若いころはよく風邪を引き、寝込むこともありました。長じて40歳を超えたころからめったに風邪を引かなくなりました。

馬鹿になったのだと思いました。

今回、風邪が治りにくい最大の原因は、例年にない厳しい寒気に加え、職場もまた寒いことにあります。

耐震化工事のため空調が切れているのです。北側の窓際にいる私は特に寒気(さむけ)を感じます。

小用のとき放出の瞬間、背後霊が憑依(ひょうい)したのではないかと思うほど、ぶるっと背中に悪寒が走ります。これは男のみの現象なのでしょうか。

さて、人は比較の中で生きている。最近、そう思うようになりました。

半年間は冬と言っても過言ではないモントリオールの冬。ハロウィンのころに雪が降り始めます。厳冬期の1月下旬あたりから氷点下10度から20度の日々が続きます。

滞在中の最低気温は氷点下27度でした。息を吸うと鼻毛がたちまち凍りました。

夜、氷点下20度以下のバス停で30分も立って待っていると新田次郎の作品の数々のシーンが蘇ってきます。

『孤高の人』や『八甲田山死の彷徨』などの遭難のシーンとわが身の置かれている状況とを重ねます。

最高気温が氷点下10度、20度の日々が続く中、たまたま最高気温が0度近くまで上がったことがありました。

「なんて暖かいんだ。春のようだ」

マフラーを取りました。そして、耐寒温度氷点下30度の当地で購入した防寒着を思わず脱いでしまいました。

不思議なものです。毎日、氷点下の中で過ごしていると0度を暖かいと感じることができるものなのです。

幸せというものも多分に比較考量の世界で感じるものなのだと思います。苦味という“人生のにがり”も幸福を感じるための必須要素なのでしょう。

ただし、比較と言っても他人との比較ではなく、自分の経験において行うことが肝要です。

というわけで、苦味を味わえることも大事なことなのだと言い聞かせながら、風邪薬を飲みました。


(鮫川橋から父の勤めていた火力発電所を望む)

底冷えがして何度か目が覚めました。何度目の目覚めだったか、眠りの幕間(まくあい)に歌手の西城秀樹に思いっきり叱られた夢を見ました。夢とはいえ、叱られるのは嫌ですね。

ところで、底冷えのする夜の冬空には「夜空のトランペット」が似合います。「夜空のトランペット」と言えば、ニニ・ロッソ。

小学校4年のころ、父母とともにニニ・ロッソの演奏会に行ったときのことです。

勿来市民会館の最前列に陣取り、父は家から持参してきたカセットデッキを席の前に置きました。取っ手の付いた存在感のあるカセットデッキでした。

演奏が始まって間もなく、場内の役員が父が録音していることに気づき、止めるよう注意。父はわかった、というしぐさをしながら、継続して録音していました。

注意を受けたとき、このような場所でプロの演奏を録音してはいけないことを私は学びました。と同時に恥ずかしくなりました。父が堂々としていたからです。

40数年前の出来事ですから、父は40歳くらいだったでしょうか。

今の私より10歳も若かったことに愕然とします。あの堂々たる態度は一体何だったのか。なぜ私の性格には引き継がれなかったのか、と思います。残念です。

父のおかげでニニ・ロッソの演奏を私は家で繰り返し聞くようになりました。抜群のトランペットの演奏に比して時折挿入されるニニ・ロッソ自身の歌声に引っかかるものを感じました。

飲み屋から流れてくる下手なオヤジのカラオケにも似て音痴の私が言うのもなんですが、ニニ・ロッソの歌声に親近感が湧きました。

その後、トランペットに憧れて吹奏楽部に入部したものの、くちびるが厚いという理由で、ユーフォニアムというふにゃふにゃした名前の楽器を担当することになりました。

病み上がりのため、脈絡のない文章となってしまいました。勘弁してください。


(この横断歩道の赤信号は永遠に続くかのごとく長い)

秘書を務めていた元上司の話。東京での出来事だったという。切符を買うため券売機に並んでいるとボスが見当たらない。

トイレにでも行ったのだろうか。待つこと数分。さらに待っても、来ない。ここで動いてはお互いにはぐれてしまう。不用意に動けないジレンマ。

30分ほど経ったころにトランシーバー大の当時の携帯電話が鳴った。ボスからだった。

「何をしているのだ」

「切符を買おうと...。どちらにいらっしゃるのですか」

ボスはすでに目的の駅に着いているという。急いで行くと案の定ボスがいました。

こちらの非ではない。そう思った元上司は謝罪の言葉は告げなかったそうです。事情を聞くと、せっかちなボスは秘書が切符を買うのを待っていられなかったのだという。

「どうやって改札口を通ったのですか」

「駅員のいる改札口をそのまま通って行った」

「出るときはどうされたんですか」

「出るときも同じくそのまま通って出た」

要するに切符なしで無賃乗車をしたことが判明。にもかかわらず、駅員から誰何(すいか)も、咎(とが)められることもなく入場と退場ができたというのです。

たしかに威風堂々としています。いわゆるオーラの漂う人でありました。私もかつて一対一で面会をしたことがあります。緊張しました。

そのあまりの堂々たる振る舞いに駅員もやんごとなきお方なのだろうと声をかけることさえできなかったようなのです。

おそらくはご本人もそう自ら信じ切っているからこそなし得る振る舞いなのでしょう。我が王道を歩むまでだという確信。切符などという世事にとらわれてなるものかという信念。

天下国家からすれば切符の一枚や二枚など些末なことです。あとは秘書が良きに計らうだろう。

祇園のお茶屋での支払いに現金のやり取りがないのと同類の感覚かもしれません。やんごとなき人は些事に無関心です。

兎にも角にもというか、私もやってみたくなってきました。

まず、いい背広が必要です。エナメルのピカピカの革靴も。髪も切り揃えましょう。歩き方も練習しなければなりません。背筋をビシッと伸ばし、眼光鋭く闊歩するのみです。

どうでしょう。やれそうでしょうか。やれそうな気がしてきました。エルガー作曲「威風堂々」を聴きながら気分を高揚させるといたしましょう。

新聞の社会面に載ったときは失敗したと思ってください。


(久しぶりのカフェ「讃香」)

感度が鈍いのか。あるいは傲慢になったのか。長編の名作を読んでも感動しなくなりました。友にそのことを言うと、同じだと言う。

「あのさ、いま司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んでるんだけど、学生時代に読んだときのような感動が蘇ってこないんだよね」

「わかります。おれも同じです。だから脳科学の本とか実務の本ばかり読んでます」

「わがる。おれもハウツー本の方が面白いって感じるもんね」

「小説は読まなくなりましたね」

「亡くなった母がね、私が子どもの頃、小説は若いうちに読みなさいって言ってたんです。今になってわかるね、その意味が」

「なんなのでしょうね」

「やっぱさ、主人公がおれらより若いって言うのがあるよね。下に見ちゃうというか。要は傲慢になってんだよね。傲慢さが原因だね。おれもひとかどのことをやってきたというか。そんな慢心があると思う」

「なるほど」

「でもね、すごいなって思うのは、『レミゼラブル』とか、『モンテクリスト伯』とか、こういった長編の小説って著者が結構な年齢になってから書いているんだよね。そこがすごい」

と言いながら、必要があって『坂の上の雲』を無感動のまま読み進めています。かつての感動はなんだったのか。テストステロンの涸れも影響しているのかもしれません。

シビレエイは自らが痺れているから痺れさせることができる。そんな寓話があります。


(久しぶりのあんみつに感動しています)

感動も同じことかもしれないと思う。人を感動させるには自らが感動していなければ成し得ない作業なのでしょう。

その意味で文豪や巨匠たちは、晩年に至るまで燃える何かを自身の胸中にたぎらせていたのでしょう。

燃えるものはあるか。燃えているのか。厳しく自らに問い質しています。

燃えているのはへその上のカイロだけです。最近のカイロは小さくてもけっこう長持ちします。


(杜のドーナツの豆乳アイスクリーム。150円)

厄介な問題の解決。それは人に会うしかないのだろうと思っています。納められるべきものが未納となっている「滞納問題」がかつて在籍していた部署では厄介でした。

こちらから督促状を送る。送られた方は気持ちが良くない。長時間の苦情の電話も少なくありませんでした。

担当者はできれば滞納者とは面と向かって会うことは避けたい。ですから、文書を再び送る。

外からかかってくる電話の多くがこの滞納問題に関するものでした。しかも一件当たりの時間が長い。

どうするか考えました。

結論は、会うことでした。とにかく会おうと思いました。しかも、ヘビーでハードなケースから対応していこうと腹を決めました。

思い出に残る出会いがいくつかあります。

伺ってみるとご自宅は魚屋さんでした。

こちらが説明をしていると、突然、鯨カギ(木製の柄の先に鉄製の鋭いツメが付いているもの)で目の前のカツオをぐさっと刺しました。思わず後ずさりしました。

「わかったよ。わざわざ来てくれたんだから」

また別なお宅では明らかにそのスジの方のように思えました。

聞いたことのない鳴き声の鳥が飼われていました。大きな亀もいました。お客さんの背後には鎧兜が私の方を見据えています。

「香りのいいお茶ですね。これは椎茸茶ですか」

「違うよ。松茸茶だよ」

「す、すみません」

椎と松には大きな違いがあります。謝る私。気分を害してしまったかもしれない。

1時間は話し合いをしたでしょうか。時折、鋭い鳴き声が響きます。よく伺うと滞納には理由がありました。

なぜか、この訪問を機に過去の滞納分はもちろんのこと毎月の分も払ってくれるようになりました。

こういった訪問を数か月するうちにいつの間にか苦情の電話は途絶えていました。

パレートの法則を引き合いに出せば、苦情の8割は2割のヘビーでハードな苦情主によるものである。その2割への対応を優先して行えば、解決への道が大きく広がると言えます。

問題事例のすべてが話し合いで解決するとは思いません。が、人と人との関係に起因する厄介な問題はやっぱり会うことなのでしょうね。

そして、大事なことは話し合っても解決しない事案は、当地で言うところの“うるかして”おけばよいのです。

完璧を求めるあまり心を煩わすのは非生産的ではないか。最近そのように思うようになりました。


※「うるかす」とは、米を水に入れて浸潤させることを意味する。付随してそのままにしておくことの意味もありますが、良い意味では使われない。


Calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM