(雪と竹は似合う)

ポリ乳酸(PLA)の射出成形技術の第一人者が地元にいることを知りました。

第7回ものづくり日本大賞「内閣総理大臣賞」受賞記念講演『福島から世界へ、樹脂成形の世界を変える!!ポリ乳酸(PLA)の射出成形技術への挑戦』を聴講。

小松技術士事務所の小松道男所長の講演に感銘を受けました。小松さんは、技術士に史上最年少で合格。小松技術士事務所を設立し、プラスチック射出成形金型技術の第一人者となる。

石油由来樹脂による環境負荷という課題を解決するため、植物由来・生分解性プラスチック「ポリ乳酸」の独創的な射出成形技術群を世界に先駆け実用化。

乳酸菌とトウモロコシ等を粉末にしたデンプンがポリ乳酸の原料。自然の力で水と二酸化炭素に分解される。海洋ゴミ(Marine Litter)対策技術としても有望であるという。

耐熱性や可塑性、そしてコストの問題を解決。日米欧等で特許権31件(235発明)を取得。

食器安全性、重金属フリーを兼備した幼児食器シリーズ「iiwan」を事業化。ポリ乳酸を原料とした耐熱食器分野及び薄肉射出成形カップ分野で世界シェア100%。

世界、特にフランスが注目している背景に石油系プラスチックの燃焼処理による地球温暖化に加え、海洋ゴミであるマイクロプラスチックによる有害物質の生物濃縮が挙げられる。

文字通り、地中海は外洋との海流が少なく、プラスチックスープとまで言われるほど汚染が進んでいるという。

そのような中、フランスは2020年から「使い捨て食器へ生分解性素材50%以上使用義務法」を昨年9月に制定。2025年には比率を60%以上に引き上げる見通しとのこと。昨年7月からはポリエチレン買物袋の使用が禁止されている。

小松さんは訴えます。

闘う前にかつ戦略が大事である、と。まさに孫子の兵法であると感じました。

「百戦百勝は、善の善なる者に非るなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」

基本特許のまわりを周辺特許で囲い込む。日本・欧州・北米を中心に特許網を構築。どのような大手化学メーカーも太刀打ちできない。

知的財産の重要性を改めて痛感しました。

万里の道も一歩から。3月11日に国家試験「知的財産管理技能検定3級」を受検します。引っかけ問題に引っかかってばかりです。裏の裏で解答すると、裏を読みすぎてまた誤答。

どうすればいいのか。春なのにため息ばかりです。


(春はもうすぐ)

完全なる利己主義者もいなければ、完全なる利他主義者もいない。利己と利他のせめぎあいの中で私たちは生きています。

どこでどう折り合いをつけるか。そこが肝要です。言うなれば、動機と価値観の相克する局面です。つまり、「したい」と「すべき」の戦いなのです。

刹那(せつな)とはサンスクリット語のksanaに由来します。指をはじく「指弾」の瞬間に65刹那が含まれるという。

この刹那刹那に私たちは利己と利他のせめぎあいに悩み、揺れ動き、そして合理的判断をして納得を得ています。

ここが落としどころだ、と。

というわけで、トイレのボックスに入ったとき、すぐさま確認するのがトイレットペーパーの量です。

丸々と太っているとき、ガソリンの満タン時にも似た安堵感を覚えます。

ところが、自分の回で終わるかどうかの微妙なボリュームのとき、利己と利他の葛藤が生じます。

完全に使い切って交換してあげるべきだろうが面倒くさい。抑制気味に巻きの行為を行い、1回分程度を残す卑劣な技を行使します。

残してあげたのだ。許されるだろう。

嗚呼、何たる狭量、狭隘さでありましょう。けち臭く、せせこましい。

でも、面倒なのであります。交換するのが...。

このように私たちは刹那刹那に利己と利他のせめぎあいに悩み、揺れ動き、そして合理的判断をして生きています。


(横浜の夜景)

佐々木徹著『東山魁夷ものがたり』を読了。東山魁夷(本名・新吉)は1908年(明治41)に横浜に生まれ、3歳のときに一家で神戸に移っています。

生家は横浜の海岸通から入ったところで近くには煉瓦造りの倉庫がいくつもあったという。

東山魁夷は幼少期を暗い沼にたとえています。

「沼は森の奥に、黒く淀んだ水を湛えて静まり返っている」(『東山魁夷ものがたり』以下、引用同じ)と。そのような心象風景は「父と母との間に在った相克」に起因するのでしょうか。

「人一倍、神経質な子が、ほかの子供たちと仲良くやっていけるかどうか、母親は心配しました。本人自身も、見知らぬ子供たちのなかに入る不安でいっぱいでした」

新吉少年とお母さんの気持ちが痛いほどわかります。そのような中、新吉の不安を払拭(ふっしょく)する出会いが幼稚園でありました。保母さんです。

「その人に褒められるのが嬉しくて、唱歌も遊戯も一生懸命にやるようになった。殊にその保母さんから、黒板へ色のチョークで何でも好きなものを描きなさいと言われ、花や蝶や犬や女の子の後姿(どういうものか前向きは難しくて描けなかった)を描いて褒められた時は嬉しかった」


(白馬シリーズが好きです)

時下り、中学5年生の新吉少年は進路を決めあぐねていました。背中を押してくれたのは担任の先生でした。

「このように家の事情や自分の気持ちを先生に話しているうちに、急に熱いものが胸にこみ上げてきて、思わず畳の上に涙がぽたぽたと落ちた。先生は、『君はやはり絵かきになったほうがいい。ご両親のことはさておき、君のほんとうの気持ちはどうなんだ』と聞かれた。私はようやく、『絵かきになりたいのです』と答えた。『よし、それなら私からお父さんに話してあげよう』と先生は私をせき立てるようにして家を出た」

新吉は美術の道に進みます。

1936年(昭和11)2月の第1回帝展で落選。

「このころ、東山新吉は、品川区大井原町の瑞穂幼稚園に寄寓しています。生計の中心は、留学前と同じく、子供の本の挿絵を描くことでした。美学校時代の友人は、つぎつぎと認められ、画壇で活躍しているのに、自分ひとりは思うような成果が得られない」

さて、東京富士美術館で開催されている東山魁夷展を友人の案内で鑑賞しました。

これまで、2003年に横浜美術館で、2012年に仙台・宮城県美術館で、2014年に東京渋谷・山種美術館で、2017年に水戸・茨城県近代美術館で東山魁夷展を観てきました。

何度か観てきたはずの「白馬の森」。作品の前で打ち震える感動を覚えました。例えようのない不可思議な力が迫ってくるのを感じました。


(神秘的な「白馬の森」)


「白馬の森」の樹木がまるでSF小説『トリフィド時代』の食人植物のように動いて額縁から出てくるような錯覚がしました。

と同時に木々の枝が「犬神家の一族」の湖面に突き出た、あの2本の足とイメージが重なってしまいました。

少し疲れているのかもしれません。いや、かなり疲れているようです。大好きな楢葉町・天神岬の温泉に入りに行こうと思います。


(因島大橋)

広島県尾道から愛媛県今治に向かう道「しまなみ海道」。自転車での走破が流行っているようです。が、私はバスで向かいました。

尾道駅前で「おやつとやまねこ」の尾道プリンを食べ、午後0時30分に本四バスの路線バスに乗りました。車内で今治までの運賃2,250円を先に払います。

尾道から今治までの道のりは、向島、因島、生口島、大三島、伯方島、大島、馬島の7つの島を渡ります。その最初の向島で渋滞に遭いました。

運転席の見える左側最前列の一人席に座っている私。子どものようだと思いながら車輪のもっこりによって一段高い席を陣取っています。

「渋滞ですね。この辺はよく渋滞になるんですか」

運転手さんに話しかけました。会話とはテニスのラリーのように一球一球打っては返すものと私は思っています。


(尾道プリン)

ところが、声をかけた途端、マシンガンのように話し始めました。なにかトリガーを引いてしまったようです。渋滞に対する行政の不作為を非難。

「ここのね、信号機と向こうの信号機の連動がおかしいんですよ。信号機を過ぎるとウソのように渋滞がなくなってる」

「信号機のタイミングが悪いんでしょうか」

「ここの人たちはみんなこの渋滞を当たり前だと思っているから不満に思わないんです。でも定時運行をしないといけないバスにとっては迷惑なんです」

「慣れてしまうとこういうものだと思ってしまいますよね」

「なんどか行政にも言っているんですけどなんにもしません。これでいいと思っているんでしょうね」

渋滞という不便さも当たり前と思うと人は思考停止してしまうのでしょうか。

いつまでも熱く語り続ける本四バスの運転手さんの訴えを聞きながら、私はしまなみ海道を渡っていくのでした。

瀬戸内の穏やかな波間に幾艘もの船が小さく浮かんでいます。

「何もしてくれない行政」。その言葉が胸に深く刺さりました。


(真っ白な今治タオル)

からつづく)

今治の懐石料理「ゆき」での語らいは続きます。フグの唐揚げやサワラのみそ焼きなど瀬戸内の海の幸を堪能しながら、タオルについて地元の市職員に尋ねました。

「ところで、今治がタオル産業が有名なのは、歴史的に綿花の栽培が盛んだったからですよね」

「そうなんですか。なぜタオル製造が盛んなのか、わからないです。すみません」

古墳時代からの多くの遺跡がある今治。中世には村上水軍が活躍。江戸初期には藤堂高虎が内堀にまで海水を引き込む他に類を見ない平城の今治城を築城したことで知られている。

海上交通の要衝の地である今治は古くから海運業が発達。技術・量ともに日本一の「今治造船」を生むこととなる。

一方、綿花栽培に適した温暖な気候と降雨の少なさにより古来より織物業が盛んで、江戸時代後期には伊予木綿を生産するようになった。

明治時代に入り、白木綿の衰退にとって代わって毛織物のような風合いを持つ「伊予綿ネル」を開発。その後、タオル製造への産業革命とも言うべき発展を遂げ、「四国のマンチェスター」と呼ばれる。

戦時中、今治はB29爆撃機の焼夷弾空襲を3度受け、旧市内の8割が焼失。「ネル屋は寝る。タオル屋は倒れる」と言われるくらいの苦境を迎える。

その後、戦後の経済成長とともにタオルケットの開発などでタオルの生産量が日本最大となる。しかし、1990年代後半、中国やベトナムなどの安価な輸入タオルに押され一時は生産高が5分の1まで落ち込む。

バーバリーなど海外ブランドのOEM(他社ブランドの製品を製造すること)に依存し、企画から営業・販売まで問屋に頼る体質となっていた。

2006年、四国タオル工業組合は佐藤可士和氏が設立した会社「サムライ」を訪れ、ブランディン・プロジェクトを委託する。

そして、「最高の白いタオル」というわかりやすさを重視した戦略により、今治タオルは復活し、現在に至る。

UNIQLOや楽天のロゴ、セブンイレブンのブランディングプロジェクト、SMAPのアルバムのアートワークなどを手掛けてきた気鋭のクリエイティブ・ディレクター、佐藤可士和氏。

たかがタオル、されどタオル。今治タオルに人知れぬ苦闘の歴史と背景があることに私たちは気づかされます。

佐藤可士和氏は、今春、いわきPITにやってきます。どんな話が聞けるのか楽しみです。


(因島大橋の下にあった標識。宇宙人にしか見えない)

「ひがむ」とは「物事を素直に受け取らないで、曲げて考える。自分が不利なようにゆがめて考える」こと。(出典:デジタル大辞泉)

初めて四国を訪れました。地理上の形が福島県に似ています。面積は18,800キロ平米。福島県の約1.36倍。人口は四国4県で381.8万人。福島県の約1.92倍です。

人材育成に対する公金の投入の度合いで当該地域の発展の可能性を見て取れます。その指標の一つに国立大学の医学部の設置状況を挙げるのはあながち間違いではないでしょう。

四国には5つの国立大学があり、うち4大学(香川大学・徳島大学・高知大学・愛媛大学)には医学部があります。福島県には国立大学は1つ。医学部はありません。

次に、2017年度の国立大学法人への運営費交付金等(機能強化促進費45億円を含む)の配分状況を見てみましょう。

まず四国です。5つの国立大学の合計は、48,771,136千円。500億円弱です。

内訳は、愛媛大学12,707,325千円、徳島大学12,693,622千円、香川大学10,287,467千円、高知大学9,795,216千円、鳴門教育大学3,287,506千円。

福島県は国立大学は1つです。福島大学3,657,777千円。37億円弱。

面積は福島県の1.3倍ですが、国立大学への公費支出は13倍です。蛇足ながら愛媛県今治市に設置される岡山理科大学獣医学部は多額の公金が支出されますが私立大学です。

ちなみに、総理大臣がいかなる指標になるかは不明ではあります。が、参考までに四国は吉田茂、浜口雄幸、三木武夫、大平正芳の4名。福島県は1名もいません。

四国っていいなぁ。

というわけで、しまなみ海道のいくつもの大きな橋を渡りながら、一人でひがんでおりました。ひがみの定義をもう一度繰り返します。

「物事を素直に受け取らないで、曲げて考える」

今年はひがむ癖を直したいと思っています。


(富士は眺める山だと思う)

携帯用の歯ブラシセットを購入。買うたびに思うことがあります。それは歯ブラシの先に付いている小さなキャップの扱いです。

たいがいの場合、私は1回程度はキャップを付けてみます。でも、その後、やっぱり捨てます。

何のために付属しているのか。

なんとなくはわかります。もちろん気持ちは理解できるのです。ケース本体の内側とブラシが接触しないようにするためなのでしょう。ブラシの保護というわけです。

では、その小さなキャップとブラシの接触は構わないのでしょうか。

ここで、そもそも論に立ち返りたいと思います。

ケース内側とブラシのどちら側の汚れを懸念しての措置なのか。それを明らかにする必要があるからです。

ブラシ側の方がカビをはじめとする菌やウイルスによる汚染度が高い想定し、汚染されたブラシがケース内側を汚染しないように防ぐためなのか。

あるいは、逆にケース内側の方が汚染度が高いと想定し、ブラシが汚染されないようするためなのか。

この問題で夜も眠れなくなりそうです。

私は思うのです。あの歯ブラシ保護キャップを律義に付けている人は世の中にどの程度いるのか、と。

おそらく18パーセント程度はいるのではないかと推測します。個人の感想です。

「キャップ族」の特徴を考えます。

車のウィンドウォッシャー液が切れる前に補充できる人なのだろう。
机の右の最上段の引き出しの中が整理整頓されている人なのだろう。
新品のズボンに付いている替えのボタンを保管している人なのだろう。
年賀状を引受開始日に投函できる人なのだろう。

いつの日か、私もそんな人になりたい。


(重要文化財「萬翠荘」。松山市にて)

今治の懐石料理「ゆき」で今治市の若い職員と隣り合わせになりました。マダイ、ブリの刺身がじつに美味しい。ぷりぷり感が違う。潮の速さが身を引き締まらせるのでしょうか。

今治の産業を尋ねる中で、「伯方(はかた)の塩」のことが話題になりました。

「伯方の塩って、九州・福岡の博多だと思う人が多いんです。じつは今治市内に伯方島があります。ご存じでしたか」

「瀬戸内にあるのだろうとは思っていましたけど、今治だったのですね。それは知りませんでした」

「でも、伯方の塩っては言うんですけど、メキシコやオーストラリアの塩を使っているんです」

そう自嘲気味に言いました。

「それには深い歴史があるんですよ。専売特許との戦いなど、涙ぐましい背景があるんです」

「そうだったんですか。知りませんでした」

ウィキペディアと博多塩業のウェブサイトを基に「背景」について再構成します。

1971年(昭和46年)に成立した「塩業近代化臨時措置法(塩専売法)」により、従来の流下式塩田製法が全廃され、イオン交換膜製塩への切り替えが起こった。海水から直接「塩」を採ることが出来なくなり、製塩業は化学工業化された。

江戸時代から続いていた伯方島の塩田も1971年(昭和46年)に廃止。

これに疑問を持った住民らによって自然塩存続運動が起こる。

塩田製塩の存続を訴え、5万人の署名を集めて関係各省へ訴えた結果、1973年(昭和48年)、日本専売公社は「メキシコ・オーストラリアから輸入される天日海塩を用いること」などを条件として塩田製法を用いた塩の販売を認可。

ここに「伯方の塩」が生まれた。

原塩を利用すること以外にも「平釜(熱効率が悪い)を使うこと」「専売塩を誹謗してはならない」などの制約を受け、「袋のデザインや文言の変更」についても専売公社にお伺いを立てなければならなかった。

塩専売法は1997年(平成9年)に廃止され、海水からの塩の直接採取が認められるようになったが、伯方の塩にはメキシコ、オーストラリアのものが用いられている。

なぜ、同国の塩を使うのか。清浄であることと地球環境への配慮からである。

製造の初期過程に「かん水(濃い塩水)」をつくる工程がある。海水を直接煮つめて「かん水」をつくる方法は、たくさんの燃料を必要とする。それに対して、自然の風や太陽熱といった自然エネルギーによって結晶した輸入天日塩田塩を使うと、燃料は少なくて済む。

また、メキシコ塩の産地であるゲレロネグロでは世界遺産にも登録されているほど清浄な湾の海水を、オーストラリア塩の産地であるプライスでは南極海につながる海水を使用。

そのようなきれいな海水よりつくられた天日塩田塩でもあり、同国から天日塩田塩を輸入し使用するのは、原料を安定して仕入れるためでもある。

そのような理由で「伯方の塩」は、現在もメキシコまたはオーストラリアの天日塩田塩を日本の海水に溶かして、ろ過した後のきれいな塩水を原料としているのである。

「ところで、今治がタオル産業が有名なのは、歴史的に綿花の栽培が盛んだったからですよね」

「そうなんですか。なぜタオル製造が盛んなのか、わからないです。すみません」

へつづく)


(坂の上の雲ミュージアム)

午前6時今治発の予讃線の普通列車に乗り、松山に向かいました。海が見えるはずだと思い期待したものの、経度の仕業で外は真っ暗。

太陽が昇るのが遅いことにしばらくしてから気づきました。

ずいぶん前に読み、そして今回、再読の途中でやめてしまった司馬遼太郎著『坂の上の雲』。ミュージアムに行くつもりはありませんでした。

朝7時過ぎに道後温泉本館で入浴し、風呂上がりに気分が変わりました。これぞ温泉の効能でしょうか。


(道後温泉本館は本年秋以降に改修工事に入ります)

展示資料を追いながらストーリーを意外に記憶しているものだと思いました。秋山兄弟や正岡子規の足跡を辿ることで懐かしさを覚えました。

初めて知ったことがあります。オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号の遭難事件の後に秋山真之が関わりがあったことをです。

エルトゥールル号の生存者をオスマン帝国に帰還させた日本の軍艦「比叡」に秋山真之が乗船していたのです。秋山は病床にあった正岡子規を励ますため年賀状をコンスタンチノープルから送ってもいました。


(ミュージアムカフェにて坊ちゃんだんごを喰らいます)

この度の西の旅の振り返りをします。

福島から空路、伊丹へ。神戸の六甲で隠れ家のようなカフェ・アンタイルで知人と昼食。普通列車で兵庫県・岡山県・広島県を移動。

尾道にてゲストハウス「あなごのねどこ」でアナゴの気分になる。京都からのゲストと交流。翌日午前、海を眺めながら宇部の友人とラーメンとプリンを食べ、別れる。


(細長いスプーンですくい上げながら食べます。耳かきを連想しました)

しまなみ海道をバスで渡る。因島で途中下車し大橋の下まで降りて、そしてバス停まで駆け上る無理をする。

今治で岡田武史さんの講演を聴講し心震える。懇親会のあと、駅前の「しまなみ温泉 喜助の湯」に浸かる。宿は駅前のゲストハウス「シクロの家」。香港からのゲストと交流。

以降は上述の通り。

昼、松山から空路、東京に戻り、東京富士美術館で開催中の東山魁夷展を鑑賞。


(これまで横浜、仙台、東京・山種、水戸の4か所で東山魁夷展を見てきました)

作品を丹念に見ながら、旅で出会ったこと、学びを得たことを反芻しました。熟成させ後日、形にしようと思います。

ともあれ、明日が月曜日だと思うと旅の思い出もすべて帳消しになるくらい憂鬱です。真冬に露天風呂に浸かっているニホンザルの気分と言えましょうか。

湯上がりの寒くつらい現実が待っています。


(因島大橋を渡り今治へ)

FC今治の運営会社「株式会社今治.夢スポーツ」。その代表取締役を務める岡田武史さんの講演会に参加。サッカーへのたぎるような熱き想いに心が揺さぶられました。

披露宴を抜け出して会場のみなと交流センター「はーばりー」に駆けつけたという岡田さん。講演会の後は高知に行かなければならないとのこと。

多忙ゆえ今回の講演への準備はままならなかったと言いつつ、サッカーと今治のまちづくりへの尽きることのない言葉の咆哮が続きます。

「死にものぐるいで考え、死にものぐるいで動く。それしかない」「このまま走っておれが倒れるか、あるいは会社が倒れるかだ」

「命をかけてとまでは言わないが」と謙遜して言うものの、リスクをかけて文字通り日々走っている様子が伝わってきます。

人口16万人の今治でJリーグ昇格を目指す。それがいかに大変なことか。J1に行くにはスタジアムを持たなければならない。岡田さんの熱き想いに賛同してスタジアムは作られた。

イニシャルコストは賄えてもランニングコストをどうするのか。

心震える感動、心踊るワクワク感、心温まる絆を感じられるスタジアム。そういったコンセプトでスタジアムを作り上げていく。

サッカーに興味がない人にも来てもらう。商業施設と一体となった複合型のスポーツパークを実現する。


(講演会会場のみなと交流館「はーばりー」)

岡田さんはスタジアム収容率日本一を掲げる。溶岩のように熱く粘着力のある情熱。片言隻句(へんげんせっく)に想いのの強さと固さを感じました。

今治から日本のサッカーを変える。岡田さんは還暦を超えたそうです。青年のような熱量にこちらまでやけどしそうになりました。

質疑応答で私は尋ねました。

「地元のいわきFCを強くするために地域は何ができるか。地域は何をすべきか」

岡田さんは簡潔に二つのポイントからアドバイスをしてくれました。胸に深く刺さる言葉でした。私自身これから何ができるか模索したいと思います。

現在、岡田さんは「株式会社今治.夢スポーツ」の代表取締役のほか、日本エンタープライズの社外取締役、城西国際大学特任教授、日本サッカー協会副会長の要職にあります。

今治と言えばタオルしか思いつかなかった私。

今治造船が日本一の造船数と技術を持っていること、「伯方の塩」の伯方とは今治市内の地名であることを今治市職員から教えてもらいました。浅学非才に磨きがかかってきたようです。

旅の恥を洗い流すため「坊ちゃん」が泳いで叱られた道後温泉に向かいます。


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