(月を見ていると不思議な気持ちになります)

生業(なりわい)としてやっていけるのではないか、と真剣に思うようになりました。謝罪コンサルタント、通称「シャザコン」です。

「危機管理」という四文字を使うから、私たちはつい高尚なイメージを抱いてしまいます。難しそうに思ってしまう。

謝罪は危機管理の核心的な部分ではない。私はそう考えています。

要は、どう謝るかです。つまり「謝罪の作法」。それをずばっと指南できるシャザコンの必要性がとみに高まっているのではないか。

茶道や華道のように現代人の教養の一つとしてトップリーダーはシャザコンに通うべきです。通って身につける時間がなければ、危機の発生時に即時に派遣してくれるシャザコンを雇うべきでしょう。

日本人は何よりも形が大事です。

心理学者のアルバート・メラビアンによって導き出された「メラビアンの法則」によると、人は見た目で9割が決まるという。

ハートではないのです。厳しいですね。

さて、謝罪の記者会見では、まずネクタイの色が見られます。

また、お辞儀のとき、頭を何秒下げたか、カウントされています。謝罪記者会見の記事を注意して読んでみてください。必ず何秒頭を下げたかが書かれています。30秒はほしいところです。

緊張時は心の中で数えるのは困難です。

ぶるっと振動で時間を教えてくれる外部送信式タイマーをポケットに入れておきましょう。フラッシュを浴び続けても、安心して頭を下げることができます。

両手は太腿の脇に指をそろえているかを確認してください。手の位置は前においてはいけません。真横にそろえることです。指と指の間は離さずぴしっと付けます。

これが案外にできないものです。

公的機関の場合はいったん椅子に座った状態で謝罪文を読み、そのあとすくっと立って深々とお辞儀をするのがよいでしょう。

さらに、言葉遣いは最重要です。言葉とは思いを形に表す行為。

「誤解を招いた」とか「言葉足らずだった」などと聞く側に責任を転嫁するような表現は、禁物です。ぐっとこらえましょう。一身に責任をかぶる、潔い姿勢が好感を呼びます。

潔いとは、古くは心の潔白さだけではなく、自然や風景が澄んでいるさまを表していました。見た目が大事だという証左です。

むすびに、オプションとして涙腺対策をご紹介しましょう。

涙がきらりと光る、あるいは頬を伝う。これは効果覿面(てきめん)です。でも、役者でもない素人にはなかなかに難しい生体反応です。秘儀を教授いたします。

謝罪コンサルタント「だいこんくん」では、初心者から上級者のトップエグゼクティブまで懇切丁寧に指導いたします。まずはお気軽にご相談ください。

「シャザコン だいこんくん」でクリック。


(Vege Herb Cafe。いわき市四倉町戸田)

四半世紀前のことです。午前10時、市北部の支所に係の先輩と訪問。先輩と言っても20歳以上も歳上のベテランです。

用務はすぐに終わり、次の行先まで間がありました。

「そこ曲がって、まっすぐ行ってみて」

「あ、はい。こんなところに喫茶店があるんですね」

田園を走る幹線道路沿いにちょっとした叢林の陰にひっそりと佇む古い喫茶店がありました。まるで隠れ家のようです。

「ホットコーヒー2つ」

カウンターを見ると籐籠(とうかご)にゆで卵が盛られています。ほかに客はいません。

「ゆで卵、食えっぺ?」と先輩。

「あ、はい」

コーヒーを飲みながらゆで卵を食べ始めたそのときです。店主のおばさんが声をかけてきました。

「さっき、◯◯支所にいませんでした?」


(Vege Herb Cafe。白壁が青空に映える)

一瞬の間合いののち先輩と私は顔を見合わせ、卵を口中いっぱいに頬張りながら、答えました。

「いえいえ」

嘘を付いた罪悪感。暇つぶしをしていた後ろめたさ。お昼前にゆで卵を食べていた気恥ずかしさ。

こういったもろもろの思いが織り混ざり私たちはいたたまれなくなりました。そそくさとコーヒーを飲み、店を後にしました。

隠れ家どころか敵陣に迷い込んだような感覚を味わいました。

先日その喫茶店の跡地にハーブのカフェがオープンしました。木のぬくもり溢れる瀟洒(しょうしゃ)な建物です。


(Vege Herb Cafeから田園を望む)

もちろん、休日に伺いました。ゆったりとした気持ちで椅子に腰掛けることができました。ガパオライスを注文。飲み物はアサイーが入ったハーブティー。

あれから25年。カウンターにはゆで卵はなく、抹茶シフォンケーキが籠に入っていました。お腹いっぱいなのに別腹が瞬時に起動。

シフォンケーキを食べながら、カウンターにはやっぱりゆで卵を置いてほしいと思いました。


(通勤途上の風景。歩きながら思索しています)

ぐりぐりと胸を抉り、要求を押し付けてくるアメリカのやり方にピョンヤンは苛立っていた。憤りを表明せずにはいられなかった。北朝鮮政府は崔善姫(チェソンヒ)外務次官が不満を表明。

「お兄ちゃん、トランプ大統領が公開書簡で朝米会談を中止を表明するって至急電が届いたわ」

「中止はまずいな。トランプの本音ではないと思うが、ホワイトハウス内でパワーバランスがペンス(副大統領)やボルトン(国家安全保障問題担当大統領補佐官)に傾きつつあるな。ポンペオは交渉できるやつだ。トランプはいったんはボルトンらの意向に沿うという形を取ったのだろう」

「ペンスは平昌オリンピック開会式で金永南議長を無視したのよ」

「ま、あいつらしい。せっかく文さんがお前とペンスの会談を設けようと動いていたのに、あいつは断ってきたな。文さんとおれたちのメンツをつぶした」

「ボルトンだって、お父様を『圧政的な独裁者』と呼んだわ。我が共和国で生きることは『地獄の悪夢』っても言ったわ。本当に人間のクズ(human scum)ね」

「ま、ペンスもボルトンも人間のクズには違いない。しかし、ホワイトハウスが彼らに完全に掌握される前に手を打つ必要がある。国務省サイドは朝米会談を望んでいる。長官のポンペオもそうだ。まずは金桂冠第一外務次官に談話を表明させろ。骨子はおれが作る」

「どのような内容にするの」

「非難はせず、丁重にこちらの事情を伝える。へりくだるのだ。獅子の前三後一だ。いったん後ろに下がる。会談を望む気持ちを率直に伝えよう。トランプには伝わるはずだ。ボルトンはいちゃもんをつけるかもしれないが」

「それにしてもトランプ大統領の本音はどこにあるのかしら」

「あいつは面倒なことは嫌だ。ただ、偉大な大統領でいられるにはどうすればいいか。それだけだ。いま、ホワイトハウス内では朝米会談をめぐって、会談維持の国務省サイドのポンペオ派とボルトンを中心とする破談派がせめぎ合っている」

「ということは、トランプ大統領は現在のところ、会談維持を強く望んでいる。でも、ボルトン派の意向をいったんは尊重した形ね」

「そうだ。しかし、ボルトンたちはひどいな。ポンペオには非核化は一気にはできないとおれは主張し、あいつも理解したはずだ。核兵器や核物質の国外への搬出、すべての核貯蔵施設の公開、核技術者の海外移住まで求めてきた。横暴極まりない。これは飲めない。やっぱりトランプと直接会うしかないな」

「それにしても後ろ盾になると思っていた北京の習さんも頼りにならないわね」

「しょうがない。習さんもアメリカに貿易で首根っこを押さえられているからな。習さんは、我が共和国の段階的非核化に理解を示してくれた。我が共和国の立場を支持すると大連で言った。でも、言葉だけだったな。ホワイトハウスを抑えるほどの力はないのだ」

「やっぱり、ここは文さんの力を借りるしかないようですね。文さんから直接会ってトランプ大統領の意向を伝えたいって連絡が入っているわ」

「そうだな。文さんの力を借りよう」

(つづくかも)


(今朝のお弁当。エビチリが入ってコスト高)

そのようになるのではないか。心の隅でかすかな懸念を感じていました。

私は鉄塔を建設していました。上部構造が完成。そのままにしておけばよいものを下部構造の上にボルトも留めずに、そのまま上部構造を乗せました。

倒れるおそれがあるかもしれない。ふと不安がよぎりました。でも、大丈夫だろうとの甘いささやきに身をゆだね、その場を去りました。

その夜、強風が吹き荒れました。

案の定、上部構造が風にあおられて倒壊し、工場内で火災も発生。鉄製の鉄塔がなぜ燃えるのか、その疑問が解けぬまま、工場内にオレンジ色の炎がめらめらと広がっていきます。

嗚呼、あのときのかすかな気がかりに真剣に向き合っていたならば、こんなことにならなかったのに。倒れるかもしれない、とよぎった不安が的中してしまった。後悔先に立たず。

この頃、この“よぎる不安”が当たることが多い。見逃してはいけない。深く自省しました。

しかし、覆水盆に返らずだ。起きてしまったことはどうしようもない。どうすればいいのか。巨費を投じた鉄塔の損害は計り知れない。

損害賠償と債務。

心の中にそのことが重くのしかかってきます。私のせいで会社に多大な迷惑をかけてしまった。落ち込み、そして悶々とする私。

と、そのとき膀胱に圧迫感を感じ、目が覚めました。夢だったのです。

しかし、夢から覚めても債務の感情が強く、深く残りました。あの鉄塔の損害賠償をしなければならない。どのように返済すればいいのか。覚醒した頭の中でも考え続けていました。

しばらくして、我に返りました。夢の中の出来事だったのだから、もうそんな心配はしなくてよいのだ。やっとそう思えるようになりました。

嗚呼、夢で本当に良かった。トイレで小用を済ませ、心身ともに安堵感に浸ることができました。

少し疲れているのかもしれません。

ちなみに「安堵」とは、元来、土地の所有権利を保証・承認してもらう行為を意味します。平安後期から見られる言葉だという。


(いわき陸上競技場にて)

障がい者スポーツ大会で投擲(とうてき)の表彰(メダル授与)を担当しました。投擲は投げる競技。難しい字です。「擲」の手偏の右側はどんな意味があるのでしょうか。

さて、砲丸投は直径2.135メートル(7フィート)のサークルから前方に砲丸を投げます。34.92度の扇形の内側の地面に落下したものだけが有効となります。

サークルの近くに「炭マグ」と記された白い粉の入った箱がありました。炭と書いてあるのに白い粉。なぜだろうと不思議に思いました。

滑り止めの炭酸マグネシウムの略だと知りました。通称、タンマグ。便秘薬の主成分でもあります。

最近知った漫画喫茶の略語「漫喫」とともに大脳皮質のどこかにインプットされました。

じつは、「漫喫」は、漫画喫茶での刺殺事件を報じたニュースの見出し「漫喫刺殺」から覚えたものです。凄惨な事件とその語感との乖離(かいり)。やるせない気持ちにさせられます。

閑話休題。

競技が始まると、白杖を突きながら砲丸投の円内に向かった方がいました。50代半ばでしょうか、視覚障がい者の方です。どのように方向を定めるのでしょう。見守っていました。

「真ん中に立って手を叩いてください」

扇形のフィールドに立つ飛距離計測のスタッフに向かって叫びました。

「もう一度、もう少し長く叩いてください。はい、大丈夫です」

サークルのフィールドに近い側の縁(へり)を足で確認。ここを越えてはファウルになります。その後、外縁に右足を付け、勢いを付けて砲丸を投げました。10メートルほど飛びました。

競技を終え、控えのベンチに戻る際、誘導の補助をしました。

「このあとどうされるのですか」

「帰ります」

「では、トラックの外までご案内しましょう」

左手で私の右腕をそっとつかみ、フィールド内をいっしょに歩みを進めます。誰か迎えに来ているのだろうと私は思いました。

「どちらまで帰るのですか」

尋ねると県南地方だという。こちらに来るときは、東北本線と磐越東線を乗り継ぎ、いわき駅からは路線バスを使い、陸上競技場まで歩いて来たとのこと。

「帰りは鹿島街道のバス停からバスに乗ります。競技場からは自分で行きますからここで大丈夫です」


(いわき陸上競技場にて)

「いやいや、ここからバス停までは1キロ以上ありますよ。ご案内します」

陸上競技場からバス停までは坂とカーブが続き、障害物も多数あります。人や車の出入りも激しい。

途中、側溝のふたに白杖の先端が挟まったり、グレーチングで滑りそうになるなど、私が脇にいても危ない目に遭いました。

「お料理はどうされているのですか」

「一人で住んでいますが買い物も含めて全部自分でやっています」

「ヘルパーさんの派遣は頼んでいないのですか」

「はい。身の回りのことはすべて自分でやっています」

「それはすごいですね」

「白杖を持っているということでバカにされたりすることもあります」

「そんなこともあるのですか。じつは私は軽度の難聴なのです」

「そうですか。障害者手帳を持っているのですか」

「手帳を取るほどではないのですが、仕事上では補聴器なしでは聞き取れません」

「そうなんですか」

「補聴器を付けていても会議などで頓珍漢な受け答えをすることがあります。恥ずかしいですし、落ち込みます。でも、きょうお話を伺って勇気をいただきました」

強い日差しの下、私たちは20分ほど歩いて汗をかきました。ちょうどバスが到着。私の右腕から手が離れました。

乗車券を取って、手渡し、別れを告げます。

バスが出発しました。私はいつまでも手を振っていました。思いはきっと届いていることでしょう。


(喫茶ブルボンにて)

成長が鈍っている。そう思ったときは、異質な空間に身を置くとよいかもしれない。そんなわけで、Innovation Summit Tokyo 2018に参加しました。

シュナイダーエレクトリック主催、日経BP総研協力によるイベントです。お目当てのセッションは、竹中平蔵氏の講演です。

会場はウェスティンホテル東京。恵比寿駅からスカイウォークを歩いて行きます。案内では駅から会場まで7分。高速バスが渋滞に巻き込まれ予定より遅れています。

これはスカイウォークを徒競走のごとく速歩で行かねばならない。

動く歩道に乗り加速をつけて私は歩きます。皆の者、どけぇい、どけぇいと言いたい気持ちを抑え、必死に歩きます。

暑い日でした。途中、ビールの広告がこれでもかというほど、私の目に飛び込んできます。

「ヱビス<ザ・ホップ>2018」
洗練されたホップの旨みと、上品で爽やかな香り。限定醸造。

「ヱビスプレミアムブラック」
こちらのキャッチコピーは「ゆっくり愉しむ、確かなコク」。

スカイウォークはヱビスビールの広告だらけです。

「プレミアムヱビスマイスター」
100年かけて辿り着いた、極上のヱビス。

もう負けそうです。やっとのことで恵比寿ガーデンプレイスに着きました。ここはかつてのサッポロビール工場の跡地。

真っ先にビアレストランが目に飛び込んできました。嗚呼、暑い。のどが渇いた。

会場のウェスティンホテルは、敷地の最奥にあります。ホテルに到着すると立派なロビーに気圧されて、尿意が高まりました。バンケットホールは地下2階。

というわけで、竹中平蔵氏の講演「日本経済とデジタルマネジメント〜デジタルが変えるエネルギーの将来〜」を心地よく睡眠学習。最新の世界情勢が脳内にインプットされました。

講演後、受付で配付されていたサンドイッチとオレンジジュース。受け取るタイミングを逸し、痛恨の極みです。

戻ろうとしたときには、逆巻く人の波が黒く流れ、あきらめざるを得ませんでした。嗚呼、東京砂漠。


(外で仕事をしていてすっかり日焼けしました)

「雉も鳴かずば撃たれまい」--- 悲しい逸話のあることわざです。その由来は割愛します。

食卓に見たことのない種類の卵が3つありました。緑がかった灰色の斑点に覆われています。大きさは、うずらよりは大きく鶏卵よりは小さい。

義父が採ってきたのだという。

「お義父さん、これ、どこで見つけてきたの」

「家の前の田んぼのとこだ。雉の卵だ」

この「....のとこだ」は語尾が尻上がりになります。

「で、お義父さん、食べるの」

「食べね」

「じゃ、かわいそうだから卵、戻してあげようよ」と高校2年の息子。

「だめだ。鳥はいったん人のにおいが付くと抱卵しなくなる習性があるって聞いたことがある」

「んじゃどうするの」

雉は我が家の小さなアイドルです。天気を話題にするように、さしたる重要性はないものの、なぜか気になる存在。それが我らが雉です。

「田んぼのあぜ道を散歩していたよ」、「今朝、庭をつがいで散歩していたよ」、「夜はどこで眠っているんだろうね」


(田んぼの用水路)

義父を除き家族全員が気にかけている、いわば我が家のペットのような雉。私が朝風呂に入っていると、すぐ近くで鳴く雉。7年前の3.11の朝にけたたましく鳴いていた雉。

そんな雉の卵を私たちは食べることができません。

鬼子母神が末子を釈迦に隠され、半狂乱になったという仏教説話を私は思い起こしました。

鬼子母神は500人の子の母であったが、これらの子を育てるだけの栄養をつけるために人間の子を捕えて食べていた。そのため多くの人間から恐れられていた。

それを見かねた釈迦は、彼女が最も愛していた末子のピンガラを乞食(こつじき)に用いる鉢に隠した。彼女は半狂乱となって世界中を7日間駆け抜け探し回ったが発見するには至らず、助けを求めて釈迦に縋(すが)ることとなる。(出典:ウィキペディア)

さて、せっかく産んだ卵を人間に取られ、雉はさぞかしさみしく思っていることだろう。当惑していることだろうと私たちは思っています。

義父が採ってきた雉の卵は、いま鶏卵といっしょに冷蔵庫の卵ケースに静かに眠っています。沈鬱な気持ちになります。きっと孵化はできないでしょう。

雉の卵に手を付けられずにいる私。

しかし、鶏卵は、こつこつぺきっと割って玉子焼きを作ります。いかなる痛痒(つうよう)も、罪悪感も、憐憫(れんびん)の情も湧きません。

ここに人間の宿痾(しゅくあ)を私は見ます。

元帥様の作戦も奈辺にあるのかもしれない。情が移れば無慈悲で容赦のないことはできない。対話ほど高度な防衛措置はなく、人をほだすには最善の作戦です。

というわけで私は鶏舎には行かないようにしています。


(カフェに通ずる小径。青山にて)

職場では協議がよく行われます。課内協議や部内協議そしてトップに判断を仰ぐ上局協議(世間では使われない言葉です)。

4人ほどで議論される課内協議では様々な意見が交わされます。A案、B案、C案。結論がなかなか出ないことも多い。

そろそろ私が結論を出さなければと思い、私案を言い出します。

「それは無理でしょ」や「それはないでしょ」といった否定的な見解がスタッフから出されます。

私の考えを示すとき「それ名案ですね。それでいきましょ」ということはほとんどありません。

そして私の案が否定され、たどり着いた別案が往々にして上手くいくのです。最近こういったことが連続して発生しています。

正直落ち込みましたし、いまも引きずっています。物の本によると加齢とともに記憶力は落ちるものの判断力は磨かれていく。そう聞いていたからです。

それはウソだと思いました。少なくとも私には当てはまりません。


(ル・パティシエ・タカギ青山店にて)

見事に覆される昨今の私の有り体(てい)は、何かに似ている。そうです。小用のキレです。

当該キレの悪さに比例して、私の判断力もまた鈍麻の度を増しているのではないか。もうほとんどそのように確信するに至りました。

もがいても、あがいてもしょうがない。しかしながら、この事態を翻って見るに、結果としてオーライであることに気づきます。

私の案は覆され、当人は多少落ち込みはするものの、組織としては善なる方向に進んでいるのです。これでいいのだ。

この気づきにより、最善の案を出してくれたスタッフに私は感謝し、御礼と賛嘆の言葉をその都度伝えるようになりました。

また、戒めとして、私は胸に刻みました。

スタッフが対案や反対意見を言わなくなったとき、そのときこそ私に本当の危機が訪れているのであり、惨憺たる結果が待ち受けているのである、と。


(ル・パティシエ・タカギ青山店にて。甘い誘惑に負けました)

そう言えば、かつて大規模施設を整備した際、上司はいつも寛容でした。私が自分の意見をずけずけと言ったあとのことです。何せ私の方がその施設整備についての知識は深い。

「そういうことなのか。君がいいと思うなら、それでいいよ」

私は脱皮のときを迎えているのかもしれません。さなぎから成虫になるときを迎えているのでしょうか。自分を見つめる必要がありそうです。慢の幡鋒(はたほこ)を降ろすときなのです。

野原を軽やかに飛び回る蝶になるのか、あるいは、誘蛾灯に誘われて怪しく羽ばたく蛾になるのか。

たぶん、鱗粉振りまく蛾になりそうですね。最期は誘蛾灯でチリチリと...。


(今朝のお弁当。手作りにこだわっています)

世界史は嫌いでした。ローマ帝国の歴代の皇帝の名前が出てきた時点でもうお腹いっぱいになりました。トゥスだのウスだのアヌスだの、何とかしてくれよ、という思いでした。

ところが、齢(よわい)半世紀を経て、世界史、特に近現代史を学び直しておかないといけないのではないか。そんな思いに駆られるようなりました。

なぜか、それはまたの機会にお話します。

遅きに失した感があります。が、佐藤一斎の言葉を銘にして、学びの歩みをカタツムリの速度で進めたいと思います。今号は、というか、今号もつまらないです。オチもありません。

「少くして学べば、則ち壮にして為すことあり壮にして学べば、則ち老いて衰えず老いて学べば、則ち死して朽ちず」

というわけで、死して朽ち果てても一向にかまわないのですが、ロシア革命についての私の備忘録です。

ドイツのウィルヘルム2世はロシアを内部から崩壊させようとしていた。ロシアの革命家たちに100万ルーブルもの資金援助をしたことがドイツ財務省の電報として残っています。

一方、日本もやっていました。

大佐の明石元二郎がヨーロッパを中心にロシアの革命家たちと通じ、革命を支援していたのです。

日露戦争当時の日本の国家予算は約2億3千万円。その中で参謀本部から100万円(現在の貨幣価値にして400億円以上)ほどの工作資金が与えられていました。山縣有朋の指示です。

つまり、日本もロシア革命を焚き付けていたということです。知りませんでした。

10月革命ののち、レーニンが国民に約束した憲法制定議会選挙はレーニンの期待を裏切るものであった。第一党になったのは農村で力を得ていた革命勢力エスエルで410議席。レーニン率いるボリシェビキは175議席だった。

それで、選挙に負けたレーニンは何をやったか。議会を武力で封鎖し解散させました。いわばクーデターです。レーニンは述べています。

「国家に関わる仕事は省庁や官房などで行われており議会では庶民の目を欺くことを目的に駄弁を弄しているに過ぎない」(レーニン著『国家と革命』)

革命によって地主から解放された農民は都市への穀物の供給を止めました。その結果、首都では食料が不足し飢餓が発生。レーニンは事態を打開するため食糧徴発部隊を農村に派遣。抵抗する富農を追放しました。

豊かな土壌で富農の多かったタンボフでは農民が反乱。3万人に膨れ上がった反乱軍を抑えるため、レーニン率いる赤軍はタンボフに対し毒ガスを使用。森に隠れていた多くの農民が呼吸困難で死亡しました。1万4千人もの農民が殺され、反乱は鎮圧されました。

現在、ロシアの学校で「ロシア革命」という言葉は使われないという。ソビエト時代は「偉大なる10月社会主義革命」と称されていました。いま歴史の授業で「1917年10月の出来事」と教えられています。

“出来事”なのですね。そのように教えているロシアの教育力に私は期待したいと思います。

結びに私の問題提起です。100年前のレーニンの言葉「議会では庶民の目を欺くことを目的に駄弁を弄している」は現在も有効でしょうか。

「駄弁」とはくだらない話の意。だべると同義です。なお、「星々のつぶやき」は私の駄弁です。いつもお付き合いくださり、ありがとうございます。


(大海原に太陽が昇る)

暗黙知とは、認知の過程あるいは言葉に表せる知覚に対して、(全体的・部分的に)言葉に表せない・説明できない身体の作動を指す。(出典:ウィキペディア)

自分の口臭は気がつかないものです。つねなるにおいは嗅覚が麻痺し認知できません。

二酸化硫黄の香る温泉も入浴しているうちにおいが気にならなくなります。

香水もつけている本人は麻痺というのか、耐性がついたというべきなのか、においに鈍感になり一層たくさん振りまくことになります。周りには迷惑になっていることもあります。

そこでです。おのれの口臭を客観的に認識できる方法はないものか。そう思い続けて半世紀が過ぎました。

ところが、ふとした息の出具合によって一瞬ではあるものの、我が口臭を感知する瞬間が稀にあることを知るようになりました。

あくびやため息の一瞬ののちにそれは突如として訪れます。

「こ、これがおれの口臭なのか」

ところが、いったん意識し出すと、つまり、狙おうとするとまるで逃げ水のように捕らえることはできません。もうどこにもいないのです。

あの瞬間は何だったのか。偶然だったのか。

「息」という気体の態様とおそらくは意識・無意識が関わっているに違いない。

そこまではこれまでの私自身の研究の積み重ねにより解明できました。

科学とは、再現性が保証されなければならず、かつ、そこに万人が納得し得る法則でなければなりません。偶然から必然へのたゆまぬ努力の中にのみ偉大な発見は生まれます。

なお、他人に嗅いでもらえばいいではないかという議論があることも承知しています。でも、それでは自分自身で感知するという所期の目標を達成できないのであります。

というわけで、ときどきぼーっとして口を開けていることがありますが、鋭意実験中であるということをご了解ください。


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