(窓辺の鉢植え)

確か水戸駅近くのビルだったと思う。小学校に上がるか上がらないかの頃の記憶です。昭和40年代後半でしょうか。

ビルの最上階にレストランがありました。さほど広くはなく、円形だったように思います。ですから、円柱のビルだったのでしょうか。

なぜ、そこに行ったのか。そもそも何をしに水戸に行ったのか。思い出せないのです。ただ、家族で行ったという記憶しか残っていません。

エレベーターを降りると、よそ行きの雰囲気を醸し出しているレストランの入口が待っていました。少し硬くなりながら、入口を抜けると、少し高い台の上にエレクトーンがありました。

料理は何を注文したのか、そして何を食べたのか、まったく思い出せません。

なぜなら、エレクトーンの生演奏に見とれていたからです。ただでさえよそ行き感満載のレストランにエレクトーンの生演奏。

上がっちゃいました。これが一番ふさわしい表現です。私は上がってしまったのです。勝手にお坊ちゃまになったような気分でいました。

今となってはそれほどの店ではなかったのかもしれない。たいしたビルでもなかったのかもしれない。おそらくたいしたことはなかったのでしょう。

初めて行った県庁所在地の町にのぼせてしまったのかもしれません。

クリスタルキングがリリースした「大都会」は博多を描いたものだという。東京ではありません。

かように都会とは相対の中で意識されるものなのです。

というわけで、「よそ行き」という言葉が生きていた頃の思い出です。よそ行きの服を着て、不作法をしないよう親にたしなめられて、たまのよそ行きをしていた頃のことです。

今やジャージを着て、つっかけサンダルで近所のスーパーに行くまで成り下がりました。

そういえば、よそ行きの服ってあるのだろうか。大根や茄子の着ぐるみはあるけれど...。


(夜のドトール)

じつに器が小さい。そう思います。もちろん自分自身のことです。

職場の給湯室で弁当箱を洗います。洗い始まってすぐに後ろが気になります。待たせていないかと見返り醜男をついやってしまいます。

ATMでも同じです。現金引出しだけならそう気になることはありません。

でも、振込みとなるとまたもや見返り醜男を演じてしまいます。

ホールのトイレでも同様のことが...。

コンサート後の小用は嫌です。いよいよ自分の番になってチャックを下ろすも、後ろに並ばれると気になって尿道周りの括約筋が緊張してしまうのです。

いったんしたふりをして再度並ぶこともあります。じつに情けない。

私は思うのです。

ATMで何件も続けて振込みをしても見返ることもなく、堂々たる操作を行うご婦人のようになりたい、と。

私は何も悪いことはしていない。したがって一礼する必要もない。そんな泰然自若の威風を身につけたいのです。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
給湯室デモATMデモトイレデモ
フリカエラヌ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ


(「時季の森」にて)

「成果をあげる者は、新しい活動を始める前に必ず古い活動を捨てる」(P.Fドラッカー著『ドラッカー名著集1 経営者の条件』)。これができたらなぁと思う。

「集中のための第一の法則は、生産的でなくなった過去のものを捨てることである」(『経営者の条件』)

ドラッカーは何か事を始める前にまず捨てることを勧めています。

これができない。まったくもってできないのです。特に私の所属する組織は至難の業(わざ)です。

創業は易く守成は難(かた)し、と言う。事業を起こすことは維持することと比べれば簡単だ、ということを意味しています。「貞観政要(じょうがんせいよう)」に記されている言葉です。

だが、意図的に事業をやめることはもっと難しい。そう私は実感しています。事業廃止のエネルギーは膨大です。


(「時季の森」にて)

これまで「学校の廃止」、「生活バス路線の廃止」、「火葬場の廃止」の3つの廃止を経験してきました。

大変でした。語り尽くせぬ辛労があります。

思うのです。起業家より“廃業家”が必要なのではないか、と。

事業をストップさせるエキスパートです。事業を廃止させるマネジメントとリーダーシップに長けた仕事師です。

人口減少、課題山積、債務増殖のこの日本には、「事業仕分け」の仕分け人を超越した事業廃止に邁進する斬り込み隊長こそ必要である、と私は訴えたい。

「トップ本来の仕事は、昨日に由来する危機を解決することではなく今日と違う明日をつくり出すことであり、それゆえに、常に後回しにしようと思えばできる仕事である」(『経営者の条件』)

嗚呼、私は後回しのプロフェッショナルであり、先送りのエキスパートである、と思う。

廃業党が設立されないでしょうか。総選挙のたびに、ひたすら廃止する事業を公約として掲げるのです。

人気がないでしょうね。


(森の中のカフェ「時季の森」)

そうだ「時季の森」に行ってみよう。久しぶりに森のカフェでくつろぎたいと思いました。

晩秋。色づきは今ひとつでした。天候不順のせいなのか、立ち枯れているように見えます。

合衆国大統領が来日したという。世に流れるニュースのほとんどはエアフォースワンの到着から凶悪犯の素顔まで私の一身上とはなんにも関係がありません。

無関係だからこそ夜がくれば就寝することができ、朝がくれば用を足し、歯を磨く。昼になればランチのことを考え、夕方には帰巣本能のままに家路につくことができるのです。


(もみじの赤が美しい)

私の目下の関心事は明日の弁当のおかずをどうするかです。加えて、今月末に主催するブログの朗読会「朗ブロ」の段取りのことです。

ところで、私はカフェが好きです。こよなく愛しています。

ぼんやりとした時間を過ごせるからなのか。己を省りみて明日の糧を得ようとしているからなのか。あるいは、ただ単に甘いものが好きなだけなのか。

カフェがなぜ好きなのか。深く考えたことがありませんでした。


(暑くても寒くてもカフェのお冷は氷が入っている)

週末にピーター・ドラッカーの読書会に参加しました。参加者は3名。初めて参加した方と名刺を交換しました。

すると、私の住む地域の方でした。しかも、地域でカフェをオープンしようとしているというのです。

私はかねてからこの地域ほどカフェが似合う場所はない、と空の雲に訴え、川べりの鴨に語り、森の中でささやき、馬耳東風の家人に向かって口角泡を飛ばしてきました。

気分はとっくに四面楚歌。

したがって、カフェを開設しようと試みている人と出会い、カフェ談義のできる力強い同志を得た気持ちになりました。


(カフェでぼんやりしていることが好きです)

ドラッカーは訴えます。

予期せぬことに意識せよ。そこにイノベーションのカギがある、と。予期せぬ出会いがありました。幸先の良さを感じています。

というわけで、予期せぬ腹痛にもイノベーションのカギが潜んでいるのでしょうか。熟考する必要がありそうです。


(職場の背後のクレーンが気になる)

知的財産管理技能検定3級試験の模擬試験を受けました。4割しか正解できませんでした。

予習も復習もせず臨んだ結果です。甘受せねばなるまい。

それにしてもいやらしい出題ばかり。根性のいやらしさを感じました。

〈問〉ア〜ウを比較して、商標権の発生と効力に関して、最も適切と考えられるものはどれか。

ア 商標権者は、その商標権を侵害した者に対して差止請求等の民事的措置をとることができるが、その侵害者が刑事罰を科されることはない。

イ 商標権は、登録査定が送達された日に発生する。

ウ 商標権者は、指定商品若しくは指定役務についての登録商標に類似する商標の使用又は指定商品若しくは指定役務に類似する商品若しくは役務についての登録商標若しくはこれに類似する商標の使用をする権利を専有しない。


(来年春に受験します)

正解はウ。はずれました。というか、そもそもウの日本語が理解できません。

一つの文章に「若しくは」が4回、「又は」が1回登場した上に、末尾が否定形です。とことんひねくれていると思いました。

多くの設問でこのいやらしさにつられました。

こんなのは知的財産ではなくて痴的財産じゃないか、と悪態をつきたくなりました。

というわけで、疑うことをせず素直に生きてきた結果なのであると自分を慰めています。来年3月に東京若しくは仙台又は日本のどこかで受験する予定。


(徒歩通勤の風景。稲刈りが終わりました)

杉本良夫著『日本人をやめる方法』を読んでいたら、旅情に襲われました。外国に行きたい。

萩原朔太郎の「旅上」を口ずさみたくなります。


ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに

「純情小曲集」より


(徒歩通勤の風景。白鷺が橋をくぐろうとしています)

かつて住んでいたカナダ・モントリオールの町を想います。モントリオールの秋は清新です。

日本の紅葉とは違う。大きな葉による協奏曲。はっきりと色を訴えているように見えます。

ロリエ通りのローストチキン専門店にもう一度行きたい。丸ごとの若鶏をフォークで掻き出しながら、シンプルに塩胡椒でほおばる。


(徒歩通勤の風景。河岸の樹々も色づいてきました)

繊維の間から湯気立つ鶏肉。ふうふう言いながら、食べます。後にも先にも鶏肉であれほどの多幸感を味わったことはありません。

どこまでもジューシーでかつ歯ごたえがある。あの深い旨みは香菜によるものなのか。

というわけで、私の「われひとりうれしきことをおもはむ」はローストチキンのことでした。

来年には初めて東京とモントリオールが直行便で結ばれます。早く日本人をやめたい。


(あさから青椒肉絲を作ってしまった)

フェイスブックの友達リクエストはメッセージを一言添えるべき、と私はずっと思っていました。

いまもその考えに基本的には変わりはありません。

が、ある方のプロフィールに書かれていた言葉を見て脳内で何かが弾けました。

「友達申請はメッセージなしでオッケーです」と宣言しているのです。なんだかすがすがしい。

こうすればメッセージなしのリクエストが届いても気にならないのではないか。自らそう宣言しているのだから。

そして、リクエストが届いた場合、友達として承認するかどうかは別途判断すればいい。

リクエストはメッセージを添えるべき、といつも「べき」の旗を心の中に立てている私。無言リクエストが来るたびに心理的なつかえが発生。

またか。不快だな、と。一言添えれば考慮するのに...。嫌な思いが募ります。

ところで、岩手県では横断歩道を渡る歩行者が停車中の車に向かって一礼するという。

本来、歩行者こそが優先されるべきで、一礼する筋合いはないはず。でも、岩手県で見られる風景は、違います。

「止まっていただいてありがとうございます」と歩行者が一歩へりくだった姿勢なのです。「べき」の旗を歩行者が下ろしてしまっていると言えます。

そのことによって車を運転する人も歩行者も優しさに包まれているように見えます。

夏目漱石の『道草』。夫と妻の心のすれ違いを描く作品です。

ある時、夫の健三がアルバイトしたお金をもって帰る。少しでも家計の足しにしようと思ってのこと。

しかし、お金を渡したとき、妻のお住は特段うれしそうな顔もしなかった。

お住「若し夫が優しい言葉に添えて、それを渡してくれたなら、きっと嬉しい顔をする事が出来たろうにと思った」

健三「若し細君が嬉しそうにそれを受取ってくれたら優しい言葉も掛けられたろうにと考えた」

夫婦ともに「べき」の旗を高く掲げているゆえに、すれ違ったままです。

そういう私も「べき」の旗が心の中に林立しています。燃やしてしまおうかしらん。


(いい字だなと思います)

初めて路上ライブをやった報告を高校3年の二男から受けました。

「プロも来たんだよ」

「へ〜。いっしょに歌ったの?」

「いっしょではないけど」

「上手だった?」

「上手だったよ」

「名前はなんていうの?」

「○○○○っていうんだって」

調べてみると、NHKの「うたのおにいさん」を務めたことのある人のようです。息子は興奮気味に語ります。

「で、終わってからその人とご飯食べに行こうってなって」

「へ〜。どこに行ったの?」

「駅の半田屋」

大衆食堂の半田屋は、ときおり私もひそかに利用しています。

豚汁がこれまたひそかに美味しい。いろいろとおかずの皿をトレーに載せるとそれ相応の金額になります。注意を要します。

「で、ご馳走になったの?」

「いや。ご馳走する?って訊かれたけど、いいですって言って、350円で食べた」

「ふ〜ん。ご馳走する?って、その人が訊いてきたんだ」

おそらく、息子も何か違和感を感じたのでしょう。自腹は正解だったかもしれません。

ご馳走することを疑問形で表現するのはプロフェッショナルではないかもしれない。と、勝手な考えがよぎりました。

すでにセルフサービス兼事前精算の半田屋を選択した時点で予防線は張られていたと言ってよいでしょう。

ふと、四半世紀前の出来事を思い出します。

後輩たちを連れて新舞子浜の洒落たレストラン「ヒュッテ吉田」にランチをしに行ったときのことです。

じつは姉に勧められて初めての入店でした。

「なんでもいいよ。好きなのを頼んで」

私も遅れてメニューを見ると途端に動悸が激しくなりました。

基本的にコース料理しかなく、アラカルトは最低価格のものが1200円。

顔がほてり、耳たぶもカイロのように熱を持ち始めました。

何を食べたのか、何を言ったのか、一切の記憶がUFOにさらわれたときのように消去されて、思い出せません。

帰宅後、姉に尋ねました。

「高かったよ、あのお店。なんで高いって教えてくれなかったの?」

「私、払ったことがないからわかんない」

というわけで、プロフェッショナルはゴルゴ13のように綿密に事前調査をしなければならないですね。


(レトロなカフェにいると落ち着く)

もう一歩のところなのです。極められるかどうかは。言い換えれば、このもう一歩ができないばかりに私は失敗を重ねてきました。

「もう一歩」かどうかは、残念ながら、過去形でしかわかりません。振り返ってみれば、なんとなくはアクションを起こさなくてはと思っているのです。

しかし、できない。ここがもう一歩の壁の厚さです。

最近もあるイベントの段取りでしくじりました。懈怠、怠慢、甘え等々のもっぱら心理的要因により、確認を怠ってしまいました。

前日になって集合者の希望と私の企図するところに齟齬があることが判明しました。もう一歩の確認さえすれば、発生しなかっただろう事態でした。

もう一歩のところで、つまずきを繰り返してきた私。
もう一歩のところで、痴態をさらけ出してきた私。

省みれば、思い出します。

台車を路上でスケートボードの如く滑走させようと右足で後方に蹴りを入れた瞬間。この瞬間のことを私は生涯忘れることはできません。

左足がバーを踏み、瞬時にぱたんと取っ手が畳まれ、側面から見るとL字だった荷台はただの一枚板に成り下がってしまったのです。

気持ちよく滑走するはずだったのが公衆の面前で恥辱の悲劇を演じることになりました。

というわけで、トイレのボックスでトイレットペーパーの包装紙と芯が無造作に置かれているのを見ながら、もう一歩について思索を深めた次第です。

紙は新しいものに交換され未使用でした。前の使用者は紙を使い切ったのでしょう。次の人のためにと思い、紙を交換したに違いありません。

ただし、包装紙と芯がそのままでした。あの花開いた乱れた姿がボックス内の秩序を乱しています。

もう一歩のところなのです。交換したのなら、残骸を捨ててほしかった。ここなのです。もう一歩の壁とは。


もちろん私はきちんと始末しました。


(カフェ「ハッタンドウ」会津美里町)

この4月から障がい福祉に携わるようになって改めて思いました。45年前の不登園になったときのことを整理しておこう、と。4歳のときのことです。

とにかく幼稚園に行くのが嫌でした。火力発電所の社宅のわきに幼稚園の送迎バスが来ました。乗るのを拒みました。


(カフェの窓外には葡萄畑が広がっています)

母に励まされ、弁当を持たされ、嫌々ながらバスに乗りました。

母の作る弁当は決まってのり弁でした。しかも、2層式でのりが重ねられており、しょうゆが軽くかけられていました。当時を思い出すので、私はのり弁は作りません。

カリキュラムは歌を歌ったり、数を数えたりすることでした。歌も歌えず、何をどうしていいかわからず、私はいつも涙ぐんでいました。

ですから、私にとって足踏み式のリードオルガンの音色は悲しい音色です。オルガンの伴奏で童謡「チューリップ」を聞くと胸が締め付けられます。

なお、以前に作詞者をめぐって「チューリップと裁判」で触れています。


(カフェのレトロな照明が好きです)

さて、幼稚園では屈強な女の子によくいじめのようなことをされ、当惑と悲嘆と苦痛が入り混じった切ない気持ちになりました。

子どもというものは、伊武雅刀が「子供達を責めないで」(動画サイトで検索すると視聴できます)で歌い上げているように決して天真爛漫でもないし、無邪気でもありません。

ついて行けない私は休み時間になると園庭の南側の砂場で一人佇んでいました。園を囲う緑色のフェンスが恨めしく思いながら...。


(ふわふわのオムライス)

お遊戯の時間が大嫌いでした。あれのどこが「遊戯」なのでしょうか。先生に言われたことができず、ただ立ちすくむだけでした。

なお、パチンコホールの全国組織である「全日本遊技事業協同組合連合会」は「遊技」であって「遊戯」ではありません。

肩から斜めに下げる黄色のカバンとバインダー式の連絡帳もまたトラウマになっています。特に連絡帳は恐怖の対象です。

唯一の幼稚園での楽しみは、毎週土曜日のお昼のパンでした。

いわゆる付け食パンです。イチゴジャムやピーナッツジャムなど数種類ありました。アルミ製の大きな箱に詰められていました。


(ハッタンドウ。心癒されました)

結局、不登園となり、半年で幼稚園をやめました。おそらくやめさせられたのでしょう。

うまくいかないときの記憶をなぞるのは切ないことです。でも、この切なさを感じる心を持つことは大事なのではないか。そんなふうに思っています。

そしていま、大人になって本当によかったと胸をなでおろしています。


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