(海老チリを作ってみました)

「ふるさとは遠きにありて思ふもの」 --- 室生犀星の抒情小曲集の詩句。この抒情は第一に物理的距離があり、そして心理的距離があることを前提としている。そう私は思います。

東南アジアに留学した息子。寮の部屋はWi-Fi環境が整っています。

3人部屋で共同のトイレ、水のシャワーだという。東京で暮らしていたよりは不便な生活になったようです。

たしかに遠くには行きました。が、心理的距離が離れていない。SNSで無料いつでもつながります。動画でも会話ができる。

これはよくないのではないか。やはり「ふるさとは遠きにありて思ふもの」です。

「むかしは」と言うのは避けたいと思いつつ、やっぱり言いたくなるのです。

30年前の私のタイ留学時代。薄暗い独房のような部屋。ヤモリと巨大ゴキブリとの共生。もちろん水のシャワー。電話なし。

実家との連絡手段は手紙でした。5日間程度の“時差”が心を豊かにしたような気がします。赤と青のストライプに囲まれたエアメールの封筒が届くとき、心躍りました。

さだまさしの「案山子」の歌詞のような母の文面。思えば遠くに来たもんだと思いました。

人生は「いないいないばあ」の姿勢が必要なのではないか。最近つくづく思います。「いるいるばあ」ではなく「いないいないばあ」というところが深い。

離しつつ、見守っている。あるいは、離れつつ見守る。完全にいないのではない。かといって常時いるのではない。それが「いないいないばあ」なのです。

いつかはいなくなる親という存在。たくさんの「いないいないばあ」のシャワーを浴びた人は親亡きあとも“見守れ感”が心の中に残るような気がします。

というわけで、飛行機の航路をリアルタイムで追跡するアプリを捨てられずにいる私こそ「いないいないばあ」が必要だと思う昨今です。修行が足りません。


(サザコーヒー 大洗店)

「時間の供給は硬直的である。(中略)簡単に消滅し、蓄積もできない。永久に過ぎ去り決して戻らない」(P.F.ドラッカー著『経営者の条件』)

50歳を過ぎ時間の有限性をつとに感じます。コアな部分にこの時間という限りある資源を投入しようと決意しています。

いただいた年賀状を整理します。年賀状はコアな部分の一つだと思うようになりました。

なにせ忙しい年末あるいは年始にはがきに住所を記載し、投函するという作業を行うのですから。有り難いことです。

宛名は手書きですが、住所録はエクセルで管理しています。来年の年賀状に備え、その住所録に時点修正をするのが今ごろの作業となります。

番地が変更となっている場合があります。こちらの転記ミスなのか、あるいは筆界の変更によるものなのか、とにかく修正が必要です。

うっかり名前を間違って記載していることも発見します。あってはならないことです。申し訳ない限りです。

「裕」と「祐」、「己」と「巳」等々、老眼の進行によってますます発見が困難になっています。

以前、配偶者の名前が変わっていることに気づいたこともありました。永久不変はないのです。

住所録には、お子さんの名前も入力しておきます。お会いする機会があったときに話題に出せるように留めておくためです。

「近くにお寄りの際はお声掛けください」「また会いたいですね」

社交儀礼もあるのでしょうけど、添え状に込められた思いを大切にしたい。今年は一つ一つ実現したいと思っています。

もちろん交友関係を広くしていく工夫も大切です。他方で、限りある時間を考えたとき、今ある人間関係を濃くしてみるのも善なるかなと思うのです。

というわけで、本日、約200枚の年賀状を辞書のごとく完璧に五十音順に並べ替えました。畳からテーブルに持っていこうとしたその瞬間、まるで散華(さんげ)の儀式のようにはらはらとはがきが散り落ちていきました。

このやるせなさ、不甲斐なさ、情けなさ。柱に足の小指を打った瞬間に似た気持ちです。

こんなとき私は「大漢和辞典」の編纂途上に起きた空襲による原版焼失事件を思い起こすようにしています。

編纂者は返ってすっきりしたという。より完璧な辞典を作ることができると思った、と。

こちらはたかが200枚です。ファイト一発!


(かわうちの湯にて)

年頭に当たり本年の目標を掲げます。第一に小川のカントたらんとすること。第二に列車の中、待機している間、就寝前に本を読むこと。第三に逆流性食道炎を治すこと。

「小川のカント」については、「時計代わりにされていた私」を参照。

カントは『純粋理性批判』で述べています。「認識が対象に依存するのではなく、対象が認識に依存する」と。

リンゴが赤いのはそう見えている人間の側の認識によるものであり、赤い色を認識しないミツバチは赤色とは見ていない。

つまり、認識次第で対象の見え方が異なる。ありのままに見るということは幻想の世界であり、人はみな色眼鏡をかけて物事を見ている。

このような発想の転換をコペルニクス的転回と呼んでいます。

人間は複雑な存在です。半世紀を生きてきたいまだ自分を認識できていません。

さて、オランダ語に由来する「レッテル」。

レッテルを貼ることは対象に対する認識の正確性に誤謬をはらむおそれがある一方で、把握を容易にします。一言で言えば便利です。

「北朝鮮」にどのようなレッテルを貼っているでしょうか。東北人、関西人に対してはどうでしょうか。現職の総理大臣に対してはどうでしょう。

心理的距離が遠くなるほど、私たちは単純なレッテルを貼りたがる傾向があります。

自分の親、配偶者、子どもに対してはどのようなレッテルを貼っているでしょうか。あるいは貼っていないでしょうか。

親しい人にはレッテルは貼らないものです。不要だからです。

さて、コンビニでアルバイトをしている息子が言います。

「お客さんってだいたい同じ物を買いに来るんだよ」

「そうなんだ」

「だから、たとえば、あるおじさんは、いつもタバコはクール・マックス8。心の中で『クール・マックス』って呼んでいるんだ」

ちなみに、「マックス8」はメンソールボール内蔵、メンソールを超強化していることを意味します。8はタール8mgの意。

「そうするとお父さんもレジの人に心の中でレッテル貼りされているのかな」

「そうだよ」

私は馴染みのセブンイレブンで干し芋をよく買います。飲み会のあとはハーゲンダッツのストロベリー、塩気がほしいときはカルビーのポテトチップス限定版。

「干し芋のおじさんが来た。ほんとこの人は干し芋が好きなんだね。顔が赤いときはいつもハーゲンダッツのストロベリー」というようにおそらく認識されているに違いありません。

というわけで、小川のカントたらんとする私であります。店員さんの心の中でいかに呼ばれようとも「干し芋おじさん」を貫く決意を固めたのでありました。


(古民家欧風カレー「カキノキテラス」)

人は潜在的に誰もが被り物を着用したがっているのではないか。最近、そのような結論に至りました。

コラージュアプリというのでしょうか。詳しくは承知しませんが、自分の顔写真に加工を施し、アニメの動物やキャラクターに扮するのが流行っているらしい。

私自身は現実主義者ゆえ、そのようなアプリには興味ありません。しかし、現実生活の中で本物の被り物をします。


(カキノキテラスのメニュー看板)

ただ、誤解を招かぬよう付言すれば、日頃から被っているのではなく、あくまでもハレの機会にご披露しているということです。

とは言うもののアプリも実物も紙一重。所詮は、仮装の世界で行うか、あるいはリアルに実行するか、ただそれだけの違いに過ぎない。そう私は思います。

古くは能の世界も仮面であり、平たく言えば被り物です。何故に人は被り物に魅せられるのか。


(庭に柿の木のテラスがあります)

「顔面は人の存在にとって核心的な意義を持つものである。それは単に肉体の一部分であるのではなく、肉体を己れに従える主体的なるものの座、すなわち人格の座にほかならない」(「面とペルソナ」『和辻哲郎随筆集』)


(久しぶりにカレーを食べて食道が焼けています。カキノキテラスにて)

和辻哲郎の言う「人格の座」なるがゆえに異なる人格、否、己の奥底に潜む真の欲動を表出したいとの止み難き思いが面を被らしむのでしょうか。

書いている筆者本人も何が何だかわからなくなってきました。


(お手洗いも素敵です。カキノキテラスにて)

要は断カレーを解いて久しぶりに食べたカレーがじつに美味しく感じたことを写真付きで訴えたかっただけです。

カキノキテラスは八王子にある古民家の欧風カレー店です。テラスが素敵です。素敵な人といっしょならさらに素敵なひとときを過ごすことができるでしょう。


(しっかりと胃が焼けました)


(どこか遠くに行きたい)

あさのカフェは旅人の交差点。これから旅立つ人、遠方から来て旅装を解く人、出勤前にくつろぐ人。それぞれの旅人の姿を観察しつつ、ひっそりと混じる私です。

“手の甲冷え性”ゆえ、冬季は室内でも指先を第2関節まで出している手袋を常時はめています。その手指でドトールのモーニングAセット(ハムタマゴサラダのトースト)を食べつつ、私は嘆息。

嗚呼、旅に出たい。無性に思います。渇仰します。

片雲の風に誘われて漂泊の思いやまず。やや年も暮れ、春立つる霞の空に勿来の関こえんとす。

なお、受験生が誤解するといけないので「奥の細道」の原文では白川の関であることを申し添えます。

この勿来の関は歴史上実在したものではないらしい。

かつて菊多の関は存在した。その菊多の関をいつしか短歌の世界で歌われる架空の「勿来の関」に当てるようになったのが真相のようです。

現在の勿来の関跡から山あいに進むと旅人という地に行くことができます。旅人と書いて「たびうと」と読ませる。風雅な地名です。

子どもの頃、旅について不思議に思うことがありました。

よく行く、地元のふつうの温泉にどうして県外から観光バスを仕立ててわざわざ来るのだろう、と。当時の私には理解できませんでした。

非日常を求めて来るのに、日常のありふれた世界にやって来るように私には思えたのです。

後年になって気がつきました。

旅の非日常とは場所ではなく、己の感じ取る心の作用だったのです。その意味では旅情とは非日常を感じたいと欲する心の中に埋め込まれているのかもしれません。

つい、能書きを語ってしまいました。

来年は旅に出よう。今まで行ったことのない処に出かけよう。旅支度に着ぐるみは重い。頭部のかぶりものがいいだろう。

非日常の土地で非日常を振舞う。非日常性を心から味わってみたい。そんな欲望がふつふつと湧いてきます。

私の友人はニューカレドニアに行きたいという。そんなはるか彼方でなくてよい。まずはニュー新橋ビルの「みぼうじんカレー」を旅程の一里塚としよう。


(重厚な造りの夏井川第一発電所)

「あなたの住んでいる所に、昔からある植物を10種類あげてください」、「あなたの家にいる人以外の生き物は何ですか 」

東京財団週末学校の「地元学の実践」で講師は私たちに質問を投げかけてきました。鋭い質問に時に肝を冷やしながら、風貌とともにその独特の語りに魅せられていきました。

地元学とは何か。

「地域の歴史や風土、成り立ちを調べるが、過去を振り返り懐かしむものではない。足元にあるものを確認し、その意味を知る。まず今あるものと向き合い、そして時代の変化を地域の個性となじませながら、地域の力を引き出していく」(東京財団週末学校

講師は訴えます。「自分たちの地域のことをいかに知らないかということに気づくことが地元学のスタートだ」と。

私の住む小川町には夏井川が流れています。渓流沿いに水力発電所がいくつか設置されています。

でも、いつどのように設置され、どのような発電所なのか、詳しくは知りませんでした。

いつしか、知りたい、と思うようになりました。

知人の紹介で水力発電所に詳しい方から話を聞く機会がめぐってきました。

夏井川第一発電所は、実業家の久原房之助(くはらふさのすけ)氏によって、大正5(1916)年に設置されました。

同氏は、日立製作所、日産自動車、日立造船、日本鉱業創立の基盤となった久原鉱業所や久原財閥の総帥で、当時、鉱山王の異名を取ったという。

2・26事件にも深く関わっていた氏がどのような経緯で夏井川水系に着目したのかは不明。

同発電所の落差は約90メートル。水車は横軸フランシス水車が2台。総出力4626kw。発電機はもちろん日立製作所製です。

100年前の発電機が今もなお稼働していることの驚き以上の驚きが私にはありました。

それは何か。

大正5年と言えば江戸時代が終わって50年。電気もない江戸時代からわずか半世紀で水力発電所を建造できた技術の進歩に驚嘆せざるを得ません。

翻って我が身の半世紀を顧みるに、いったい何が進歩したのか。

父のようにうなぎの頭ををまな板に釘で刺して捌けるようになったのか。否であります。

父のように自転車のパンクしたタイヤをベンジンで汚れを拭いてゴムを貼り付けて修理できるようになったのか。否であります。

母のように油揚を出汁醤油に浸して、美味しいいなり寿司を作れるようになったのか。否であります。

母のように鮟鱇の肝を潰して美味しい友酢を作れるようになったのか。否であります。

というわけで、我が半世紀の歩みは牛歩に似て極めて緩慢だということが判明しました。たかが半世紀、されど半世紀。

先人たちの偉業をただ仰ぎ見るだけです。来年は半歩は前進したい。

以上が私の地元学の実践でした。


(冬の夏井川第一発電所)

「勿来学」--- その第2回目の講座を受講しました。以前から睡眠学習の癖はあったものの、最近とみに著しい。でも、熟睡はしないのが不思議。ついに練達の域に達したのかと思います。

かつて仕えた上司も講演を聴講している際、よく目を閉じていました。首(こうべ)も少し揺らいでいました。

しかし、確認すると内容を覚えているのです。まさに睡眠学習の練達の士。

さて、「勿来学」です。講師の力強い語調によってスリープ状態から脳が再起動しました。

「昭和の戦争は、戦争を終えることを学んでいなかった。そこに最大の問題があったのです。物事は、どう終えるかを考えてから始めなければならない。日清・日露戦争はまだ政府首脳にその考えがあった」

「勿来の関」の話からどのような経緯を経て戦争の話に至ったのか、そこは記憶がありません。そこが睡眠学習の欠点です。琴線に響く言葉が耳に入ったときのみ再起動します。

講師は続けます。

「昭和の軍首脳は、戦争を始めること、戦争を続けることは考えても、どう止めるか、そこは考えていなかった。結局、自分たちで止められなくなり、聖断を仰ぐということになった」

深く共鳴しました。得心が行きました。加えて、私の身の回りの様々な業務にも言えるのではないか、と思いました。

新規事業は耳目を引きます。“目玉”という名のもとに新しい事業が起こされます。特にふわふわした名称の付いた事業はもてはやされます。

でも、ほとんどの人がそれをいつ、どのように止めるか、考えていません。

まったく同じだ、と思いました。そして、人生もまたかくのごとし、と。

どう己の始末をつけるか。まず臨終のことを習う必要があるのだろう、と。

というわけで、「星々のつぶやき」も、どう終えるのか。そろそろ考えなければなりません。ボタン一つですっと消すのも気持ちがいいかもしれない。

これまで書き連ねてきた恥辱、悪態、無礼、雑言(ぞうごん)、愚痴の数々。さすがの私も最近、羞恥心なるものが少し芽生えてきました。

先日の課の忘年会では全身の着ぐるみは控え、頭部のみのうさぎの被り物にしました。自重の心です。

一歩成長しました。


(ハクチョウの季節です)

前号から間が空いてしまいました。検診車での検査が億劫この上ない。半端な身だしなみでとにかく寒い。

胸部エックス線検査のあと、半端に上着を羽織ってとなりの検診車に移動。心電図検査です。

吸盤型の冷んやりした電極を肌に付けられます。

「全身の力を抜いて楽にしてください」

楽にしろと言われて、楽にできない体質の私。

目をつむって架空のひなびた温泉地を妄想します。ひとり静かに露天風呂に浸かる様を想像。脳内にα波が広がっていきます。眠気が襲ってくる頃に検査終了です。

吸盤を剥がされて着替え、またとなりの車両に移ります。いよいよ胃部バリウムエックス線検査です。

バリウムを飲むのはなんでもありません。お安い御用です。お通じも慣れました。

ただ、検査が胃部の検査なのか、腕力検査なのかわからないほどアクロバティックなのがいやです。まるで宇宙飛行士の訓練のよう。

垂直に立っているうちは腹を検査台に向けようが横腹を付けようが構いません。

ところが、徐々に傾斜がきつくなっていきます。頭部が下を向きずり落ちそうになる中、1回転しろと命じられます。

胃の内壁にバリウムが満遍なく行き渡るようにするためでしょう。体重が腕に掛かってきます。

「はい。そこで息を大きく吸って、止めたままで。はい。楽にしてください」

と、書いていたら、ますます憂鬱になってしまいました。あと3週間後に検査です。何か新たな発見があり次第、加筆します。


(自転車通学の中学生に大きな声であいさつされます)

茶人の名によく似た牛タン店で食事をしていたときのことです。やっぱりこの店の牛タンは美味い。そう思いました。様々な牛タン店を回る中での結論です。

と同時に、私はいま牛タン、つまり牛の舌を食べているのだ、という当たり前のことに気づきました。まるで夢から覚めたような感覚です。不思議な新鮮さがありました。

おのれの行為をテレビカメラでモニターしているようにまざまざと凝視しました。

牛の舌を噛み切り、咀嚼(そしゃく)する私。ほどよい弾力性。噛めば噛むほど辛味噌と相まって肉の旨味が口内に広がります。

そのとき、私の舌と牛の舌が交わっている事実に気づかされます。そして私は在りし日の牛の顔を思い浮かべました。

搾乳はおろか、牛の身体にさえ触れたことのない私が舌を介して、どこの“牛”の骨とも知らぬ牛と濃密に触れ合っている。

正確に言えば、触れ合ってきた。いや、何十頭と触れ合い続けてきたのだ。驚嘆すべきことです。

そんなことを考えていたら、食欲が減退していきました。テールスープも残してしまいました。

あれから、一週間が過ぎました。あれほど好きだったのに、もはや牛タンに興味すらない。スーパーの生肉コーナーの前を通っても見向きもしません。

何かが枯れた。何かが萎んだ。そして、何かが変わったのだ。そんな感じがしています。

ph指示薬のBTB溶液の色が変わる、あの瞬間に似ている、と思いました。スポイトで少量滴下して軽く混ぜ、色の変化を見ていく、アレです。そうです。量の変化は質の変化を伴うのです。

これまでの蓄積によるものなのか、あるいは消耗によるものなのか、漸増・漸減の力はおろそかにできません。雨垂れ石を穿(うが)つのであります。

最近、テストステロンのサプリメントの広告が表示されるのが気になります。

テストステロンについて興味深い記述が日清製粉グループのサイトにあります。

「テストステロンは自分を社会の中で主張する時に必要なホルモンであることから、社会的ホルモンともいわれています。例えば、テストステロンの分泌量は社会の中に出ていくことで増加し、家庭に帰ることで減少します」

「さらに、赤ちゃんを抱っこすると一気に下がるなどといわれています。心が安らぐ時はテストステロンは不要なのかもしれません」

「顏の長い人、薬指が人差し指より長い人はテストステロンの分泌が豊富だといわれています。相撲力士142人の薬指と人差し指の長さを測り、番付と勝率を調べた研究があります。薬指が長い力士ほど、成績がよいという結果が出ました」

「あなたの薬指は人差し指より長いですか?」

枯れ切った末に見えてきた地平線の向こう側の現実。心の安寧が訪れてきたのか。はたまた、活力の喪失なのか。

「太陽と死は直視できない」とは、フランスのモラリスト文学者、ラ・ロシュフーコーの言葉です。

というわけで、目下、薬指を引っ張る体操をして、ぽきぽき鳴らしています。


(たまに無性に食べたくなる)

何気ないひとことが胸に深く刺さる。そんなことが以前より多くなったような気がします。けっして小難しい四字熟語などではなく、平易な言葉なのです。

講演会に招かれ、冒頭に短いあいさつをしました。

講師はその道の第一人者。豊富な実例を挙げながら、どのように対処すべきなのか、試行錯誤や失敗談も包み隠さず話をしてくれました。

「私は怒られやすいんです。よく怒られます。でも、怒られやすいっていいんですよ。怒られにくい人もいるんです」

どのような文脈でその言葉が出てきたのか、意識が2メートル上空の方に漂っていたときだったので、残念ながら覚えていません。

「怒られやすいっていいんですよ」--- この言葉が耳に飛び込んできたとき、何か灰色の心の霧がぱっと晴れました。不思議な明るさ、前向きな姿勢。これだ、と思いました。

加えて、「怒られにくいより怒られやすい方がいい」という発想。爽やかささえ感じました。

これまで躊躇(ちゅうちょ)せず果敢に新しい課題にチャレンジしてきた生き様がそのようなメンタルを築いたのだろうか。先駆者ゆえの非難や中傷もあっただろうと思いました。

顧みるにこれまで私は「怒られる」ということに対して神経質になっていたかもしれない。最近も、外部の専門家からお叱りを受けました。

要は専門知識を持っていないにもかかわらず、どのような法的根拠によってあなたは私に意見するのか、という内容です。

でも、「怒られやすいっていいんですよ」との言葉を聞いた瞬間、認知行動療法のように「怒られる」ことの意味が変わりました。

先日、アンガーマネジメントの初歩を友人に教えてもらいました。自らの怒りのみならず、他者の怒りの意味を分析し、捉えることも大切だ、と。

ともすれば、怒られることに悲観的感情を持ちやすい私にとって「怒り」への対処は大事なことなのかもしれないと思いました。所詮、小心者なのです。

それにしても、「怒」という字は、何故に女の又の心なのでしょう。


Calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>

Archive

Recommend

Mobile

qrcode

Selected Entry

Comment

Profile

Search

Other

Powered

無料ブログ作成サービス JUGEM