(通勤途上のハナミズキ)

からつづく)

「赤痢の一歩手前」で新婚旅行先で入院。しかし、そこで得難い体験をさせてもらいました。

バンコク総合病院のスタッフは皆が「患者に気を配る」のです。以前、両親が入院していたときに見た「患者が気を使う」風景とは対照的でした。

バンコク総合病院では総合案内から医師に至るまで「相手の立場に立って考える」という姿勢に貫かれていたといってよいでしょう。

しかし、この「相手の立場に立って考える」は言うは易く行うは難し、です。

臨床心理士で北九州市立大学教授の中島俊介氏は、人の相談にのるときの自戒として恩師の言葉を心に留めているという。

「他者の経験というものは筆舌に尽くしがたいものなのだ」と。

私たちは他者の体験を追体験するわけにはいかない。また、USBケーブルのような便利なもので頭脳同士で情報を共有することもできない。

じつに「相手の立場に立って考える」ということは至難なことです。

そこで大切なことは何か。それは「想像力」だと私は思います。追体験することはできずとも、想像することはできます。

今回の経験を踏まえて、少し難しい言葉を使って本稿をまとめます。

表面的な事象で脊髄反射のように反応する昨今の社会。そのような社会にあって他者を真の意味で理解するには、どうすればよいのか。

それは、大脳をしっかりと使って他者の行動のプロセスにまで思い至る豊かな「想像力」を駆使していきたいと思うのです。

不登校という問題から、大きくは国際問題に至るまで、表層の出来事にとらわれるのではなくして、その奥底に込められたメッセージに思い至ることです。

私たちは、つい<感情の領域>で反射してしまいがちです。そうではなく、思いをめぐらす<想像の領域>を使うことによって相手の立場に立って考えてみる。

そんな小さな心の改革を積み重ねていきたいと思います。


(夜のホールの静寂。アリオスにて)

からつづく)

人生初の「赤痢の一歩手前」の体験。赤痢は俳句の夏の季語にもなっているくらい以前はなじみの感染症でした。

さて、重症化していた妻は入院しなければなりませんでした。

「旦那さんは、前にタイに留学していたときに耐性ができているのでしょう。軽いので入院は大丈夫です」

「では、私は近くのホテルで泊まって明日の朝また病院に来てみます」

「奥さんと同じ部屋に泊まれるように手配しますから安心してください」

バンコク総合病院に入院(宿泊)して気が付いたことがあります。

それは、医師・看護師、配膳係など従事者が「患者に気を配る」ということです。「患者が気を使う」風景とは対照的でした。

海外で病気になると現地の食べ物は受け付けないものです。異国の食べ物はどんなに美味しくても、身体が健康のときにのみその美味しさを味わえるものなのです。

緊急外来の女性の医師は海外留学の経験から、おそらくそのことをわかっていたのでしょう。

日本食を配膳するよう、その医師が指示したのだと思います。翌日の朝食に日本食が出されました。

しかし、料理は天ぷらとスイカでした。代表的な日本食といえば天ぷらです。患者の症状までは厨房に伝えなかったのでしょう。

でも、その真心がうれしく、私は天ぷらもスイカもぜんぶいただきました。

同病院に貫かれている「患者に気を使う」あるいは「患者に気を配る」振る舞いは私に強いインパクトを与えました。

翻(ひるがえ)って思うに、新婚旅行で日本に来たタイ人夫妻が入院したと仮定して、もちろんタイ料理の食材はないにしても、「タイ料理を出してあげたい」という発想が自然に出てくるだろうか。

仮に私自身が医療従事者だとして、それは疑問です。

私たちの心には何が不足しているのか、と私は考えざるを得ませんでした。

へつづく)


(ヒナゲシを見るとアグネス・チャンを連想します)

20数年前、新婚旅行でタイを訪れたときのことです。夫婦ともに高熱を伴う猛烈な下痢に襲われました。

思い当たるフシがありました。一昨日ホテルで食べた寿司です。新鮮さに欠けるネタがあったのです。

一晩中うなり続け、トイレットペーパーのおかわりをフロントに注文する始末。

かつてタイに留学していたときもよく下痢に見舞われました。が、発熱はありませんでした。今回の下痢は前代未聞空前絶後のそれでした。

翌朝、病院に行くことを決意。選んだ病院は「バンコク総合病院」という著名な私立病院です。

広いエントランスホール。激痛のお腹を抱えながら文字通り右も左もわからず当惑していたそのときです。

「どうしました」

総合案内のスチャートさんという若い男性が素敵な笑顔で尋ねてきました。

下痢が極めてひどいこと、妻の方が症状が重いことなどを説明しました。

スチャートさんは私たちのただならぬ症状を見て取ったのでしょう。すぐに救急外来(ER)に案内するという。

「まだ受付もしていないんです」と私はタイ語でいいました。

「手続きはあとでいいですよ。ERにご案内します」

救急外来に到着すると日本の医学部を修めた女性の医師が待っていました。

問診と検査の結果、医師から下された診断は「赤痢の一歩手前」でした。

赤痢の一歩手前。どういうことなのか。とたんに不安になりました。

へつづく)


(楢葉町の菜の花畑)

久しぶりの緊急事態でした。川内村の知人宅で談笑していたときからお腹の調子がよくありませんでした。

知人宅を辞去し数分後、ただならぬ事態を予感させる腹腔の圧力と痛みに襲われました。

高原の春は寒い。寒気は下痢の促進剤です。

車内の暖気をフル回転させるとともに大脳もフル回転させました。

ここから最短距離にあるトイレはどこか。

そうだ、川内村複合商業施設ショッピングセンターYO-TASHI(ヨータシ)がある。2km先だ。

持つのか。いや、持たせるのだ。祈るような思いで、車を走らせました。

いざとなったら田んぼのあぜ道もあると自分に言い聞かせます。村内に数か所しかない交差点でまさかの赤信号です。

待機時間が長い。変わる気配がありません。永遠の赤信号なのか。

本気で無視しようと思いました。が、かろうじて理性が踏みとどまらせました。

走行して数分、YO-TASHIを視野に捉えました。この安心感が括約筋に油断を与えます。長年の経験からそれを私は知っています。

YO-TASHIの玄関脇には障がいのある方などのための「思いやり駐車場」が数台分あります。そこに駐めたい誘惑にかられました。

しかし、すぐに障がい福祉課長の職責にあることを思い出しました。


(YO-TASHI)

車を駐車。ブレーキの踏み込みも要注意ポイントです。悲劇の経験者を私は知っています。羽毛のようにソフトにペダルを踏みます。

内股気味にして足早にYO-TASHIに突入。眼球運動を最速にしてトイレ表示をサーチ。一気に駆け込みます。

ああっ。ボックスに店員さんが清掃のため、いままさに入らんとしています。

「す、すみません。使わせてください」

危ないところでした。しかし、最後の最後こそが油断禁物です。着座の瞬間は魔の数秒なのです。

吉田兼好も『徒然草』(高名の木登り)で言っているではないですか。

「過ちは、やすきところになりて、必ずつかまつることに候ふ」

地面にほど近い高さまで降りてきたときが危険である、と。

今回も危機は無事に去りました。

帰り道、県道36号線沿の新芽が吹く山々を見て思いました。山と積まれた除染土壌の土嚢袋と自然の美しさの対比の違和感。

杜甫の「春望」が蘇ってきました。

国破れて山河あり
城春にして草木深し

というわけで、無事に用足しできたことに心から安堵しました。


(火力発電所の社宅前の公園。タイムスリップをしたかのよう)

子どものころ、春は南東から吹く潮の匂いとともにやってきました。春を告げる磯の香り。

このことは以前にも語りました。幼少時の原風景というものは強く濃く胸に焼き付いているものです。

火力発電所の社宅の敷地には納屋風の横長の物置がありました。

その物置の裏側の庇(ひさし)には、太い針金製のフックがあり、竹製の釣竿が数本かけてありました。おそらく父が造作したのでしょう。

磯の香りが嵩じるようになると、私は干潮の時刻を新聞で調べ、発電所脇のどぶ川に自転車で出かけました。

目指す獲物はゴカイです。

粘着性のある墨色の粘土をスコップで掘り起こします。ときにバランスを崩し、どぶ川に転倒しそうになりながら、一心不乱にゴカイを探す私。

長靴が冷たいどろで圧迫される感触。何ともいえないものがありました。

干上がったどぶ川は歩みを進めるたびに、ぬちゃっぬちゃっと音がなり、ときにごごごーっとうなり声のような音が響き渡ります。

さて、ゴカイは一匹として同じ色のものがありません。

ピンク系の強い色を放つもの、緑色の濃いもの、その中間や混ざったもの等々。文字通り多彩な色をしていました。

バケツの底の無数のゴカイを見ていると、さながらアラベスクのようです。私にとってゴカイは生きた宝石でした。

ゴカイの採取に満足すると、いよいよ釣りです。物置裏の釣竿をもって川岸に向かいます。

ところで、中学生のとき、アメリカ映画「スクワーム」(1976年)をテレビで見ました。

ミミズ(実際にはゴカイの類)の大群が凶暴化して人間を襲うというストーリーです。

人間の体の中をのたうち回るゴカイたち。目、鼻、口、耳といった穴という穴から侵入する様子に息を飲みました。圧巻です。

天井まで埋め尽くすゴカイの大群がうごめぐ中で人間が虫に食(は)まれていきます。いまも瞼(まぶた)に焼き付いて離れません。

宝石のように思っていたゴカイがあのように描かれて私は残念でした。まさに誤解だと思いました。

※ゴカイは近縁な複数の種の複合体でありヤマトカワゴカイ、ヒメヤマトカワゴカイ、アリアケカワゴカイ、の3種に分割されている。このため、ゴカイという単一種としての和名は分割後消滅した(出典:ウィキペディア)。



(可愛いまな板をいただきました。本文とは関係ありません)

(第8話からつづく)

65階のカクテルラウンジ「レインボールーム」の受付の前を素通りしようしました。が、案の定、ジャケットを着用していないことを指摘され、入室を拒絶されました。

舌打ちしながら引き返そうとすると「当店のジャケットでよろしければお貸しします」と。せっかくなので、辱しめ、否、ご好意を受けることにしました。

この日のニューヨークの夜景は、湿度が高いためか、鮮明さに欠けていました。斜面にビル群が立つ香港の夜景の方が美しいと私は感じました。カクテル3杯で26ドル。

お呼びじゃない感が嵩じてきたため早々に退却。エレガンスとは無縁な、己の分を超えた振舞いの仕打ちを受けたように感じました。

「わきまえる」との言葉を文字通り噛みしめました。

下界の安いバーで飲み直してホテルに帰還。

翌朝、メトロポリタン美術館を見学しました。同美術館は、17部門に分かれ、ギャラリーは236箇所。総コレクション数は、300万点に及ぶ。

時間がないので、エジプト部門のみを鑑賞。

エジプト第1王朝から第30王朝、プトレマイオス王朝へと年代順に展示が並べられています。古代エジプトの世界に初めて触れ、いたく感激しました。

5千年前のエジプトの人々に思いを馳せました。

翌日、ニューヨークからモントリオールへ、ふたたび10時間かけての鉄路の旅。司馬遼太郎著『アメリカ素描』、吉村昭著『ポーツマスの旗』を読みました。

司馬遼太郎氏によれば、多様な文化群が文明の活性化をもたらしていると主張。米国の活力は、その民族構成の多様性に起因するとしています。

「大文明は、それを主導したとみられる民族が天才的に創造したというわけではない」

氏は中国文明について例を挙げ「殷、周の時代から、生業を異にする多種類の民族が、その都市国家の内外にも、大陸のまわりにもびっしりいたということが、文明成立の秘密のように思われる」と。

ということで、ニューヨークで味噌ラーメンと餃子を食べ、古代エジプト王朝の文物に触れることができました。これぞ、米国の多様性です。多様性に多謝。

大学での様子がまったく登場せず、本当に勉強していたのかとの疑念が起きているようなので、次回は学内での出来事に触れます。

(第10話へつづく)


(自宅前のバス停。本文とは関係ありません)

第7話からつづく)

翌朝、ホテルのフロントに昨夜の“事件”を伝えました。深夜に水道の修理と称する怪しい人が訪ねてきた、と。

フロント曰く。実際に水道の調子が悪く、修理に向かわせたというのです。

ドアを開けたら絶対に撃たれると私は信じて疑いませんでした。

安堵しました。気を取り直して、この旅の目的である、ラーメンを食べに向かいます。

最高の調味料はいうまでもなく空腹。まずは腹をすかすため、三人でメトロポリタン美術館に足を運びました。

到着すると美術館は休館。きょうは月曜日でした。

紀伊國屋書店に寄って本日付の朝日新聞衛星版を購入。インターネットが普及する前は衛星通信で電送されました。

7番街と49丁目の角近くにある日本料理店「サッポロ」に到着。入店すると、飾らない大衆食堂の雰囲気がうれしい。

味噌ラーメンと餃子を注文。嗚呼、日本のふつうの美味しさと香り。これぞ、日本。食後に朝日新聞を読む。

この当たり前の日本の風景をニューヨークで実現でき、得もいわれぬ快感を味わいました。

夕食に備え、再度、カロリーを消費するため、国連本部を見学。

夕方、ほどよく腹が減ったところで、再び「サッポロ」にてチキンカツカレーを食べました。

夜はロックフェラー・センターのG.E.ビル65階に向かいました。目的地は、カクテルラウンジ「レインボールーム」。

65階に到着すると身分不相応なエレガントなたたずまいに思わずたじろぎます。フロアのそこかしこから「お呼びじゃない」感がひしひしと伝わってきます。

さあ、どうする。ドレスコードもあるだろう。こんな格好で入店できるのだろうか。

そして、何よりも、我々三人の醸し出す、味噌ラーメン臭とカレー臭満載の“一般ピープルオーラ”が店内の雰囲気を破壊するのではないか。

三人でしばし協議。ここまで来て退却はあり得ないだろう。

我々は勇気を出してカクテルラウンジ「レインボールーム」の受付に向かうことにしました。

(第9話へつづく)


(地元の炭鉱跡地を巡りました。本文とは関係ありません

(第6話からつづく)

ニューヨーク行き午後1時40分発のアムトラック70号に日本人留学生T君とK君とともにモントリオール・セントラル駅から乗車。

いよいよラーメンを食べに行く旅の始まりです。

セントローレンス川を渡ってしばらくすると窓外にとうもろこし畑と小麦畑が見えます。

午後3時過ぎ、国境を越え、車内で米国の入国審査を受けました。

ハドソン川沿いに広がる湿地帯を南下。広大な湿地帯には、紫色の花をもった植物が一面に群生し、美しい。ときおり、モーターボートが波を切って通り過ぎていきます。

ニューヨークに近づいたころ、体格のよい青年が隣に座りました。

「日本人ですか」

英語で話しかけられました。

聞けば、交換留学生として関西学院大学に留学するという。ニューヨーク州内にあるユニオンカレッジで電気工学を学ぶかたわら、自宅でコンピュータ関連の仕事をしているとのこと。

ラグビーが趣味で、温泉が大好きという。日本の温泉は、混浴と聞いていたらしく、興奮しているようなので、混浴温泉は数少ないことを説明し、クールダウンさせる。

午後11時半、ニューヨーク・ペンシルベニア駅に到着。午前0時、駅前にあるホテルペンシルベニアにチェックインしました。

午前0時半過ぎ、突然ドアがノックされました。水道の修理に来たという。夜中に前触れもなく修理とは絶対に怪しい。

小声で私は二人にいいました。

「ドアの覗き穴を見た瞬間、撃たれるぞ。ドアに近づいちゃダメだ。ここはじっと黙っていよう」

(第8話へつづく)


(ラーメンに次いで好きなのがそば。写真は大石の鴨南蛮そば)

第5話からつづく)

モントリオール大学東アジア研究センターのK先生の紹介で日系人向けコミュニティー雑誌「Montreal Bulletin」の編集のお手伝いをするようになりました。

同誌は日本語・英語両版で月刊誌としてボランティアにより発行。日系コミュニティの出来事を中心に投稿記事やエッセイ、広告などで構成されています。

在モントリオールの宗教界のコーナーもあり、カトリック系3派、仏教界1派があります。

宗教界といえば、ケベックのカトリックはローマンカトリックの流れを汲む宗派で、日本とのつながりも深い。かつて日本のカトリックは組織上、カナダの管轄下にあったという。

カナダのカトリックといっても、そのほとんどはケベックです。

そのようなことから、福島県内の「桜の聖母」「会津若松ザベリオ学園」「郡山ザベリオ学園」などいくつかのキリスト教系の学校は、ケベックの教会が設立に関与しています。

全国には有名校であるラサール学園を含む50校以上の学校がケベックのカトリックが設立や運営に関わっています。

雑誌の編集の仕事のあと、皆さんが持ち寄った手作りの日本料理を御馳走になるのが最大の喜びでした。

パブロフの犬のように同誌の編集ボランティアが近づくと、唾液の量が増しました。

このように日本の食べ物を口にする機会は、比較的恵まれていました。

しかし、モントリオール市内にはラーメン店がありませんでした。ラーメンが食べたい。どうしても食べたい。とにかく食べたい。

毎日のようにラーメンのことばかり考えるようになりました。

ある日、私は鉄路でモントリオールから600km南の米国ニューヨークに向かいました。

目的はただ一つ。ラーメンを食べること。ラーメンのためだけの10時間の旅に出ました。

第7話へつづく)


(伊丹の空)

第4話からつづく)

俳誌の座談会に自分の句が取り上げられたことに気を良くした私はモントリオール滞在中、句会に通い続けました。

後日談があります。

私は比熱が小さく熱しやすく冷めやすい体質です。日本に帰国した途端に句作をやめました。

ところが、機縁に触れると再起動する私は十数年後、伊丹市のホームページの投句コーナーに応募するようになりました。

伊丹市は、松尾芭蕉と並ぶ俳人・上島鬼貫の出身地です。同市は国の構造改革特別区域「『読む・書く・話す・聞く』ことば文化都市伊丹特区」の認定を受けています。

毎月のテーマに応じて句作。何度か特選に選ばれました。選者の感想と合わせて紹介します。

2013年4月
テーマ「石鹸玉(しゃぼんだま)」
【特選】石鹸玉百パーセント僕の息
【感想】この作品も私ども俳人が思っている石鹸玉の概念をがらりと変えました。「僕の息」、生きている喜びが感じられます。

2013年5月
テーマ「牡丹(ぼうたん・牡丹園・白牡丹)」
【特選】暁闇の垣根に浮かぶ白牡丹
【感想】暁闇は朝のまだ暗さの残っている時刻。白が際立ちます。

2013年9月
テーマ「残暑(残る暑さ・秋暑し・秋暑)」
【特選】秋暑し雨後の陽に照る石畳

「秋暑し」の句は同市のコミュニティ放送局「ハッピーエフエムいたみ」でも取り上げられました。丁重にも選者の朝妻力先生から録音CDを送っていただきました。

にもかかわらず、ホームページの投句コーナーが終了するや否や句作する気持ちが萎え、いまや作る勇気もありません。

閑話休題。

句会のほかにモントリオール滞在中、私はもう一つの集まりに通っていました。次回はそのことについて触れましょう。

第6話へつづく)


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