(ブーゲンビリア)

県内同業者の管理者研修に参加。午前10時半から午後4時までです。参加者名簿を一瞥(いちべつ)。既知の職員がいないか探しました。

特に知り合いはいないようです。午前の部を終え昼食をとるため外に出ようとしたところ、I村のSさんに会いました。

「あら、Sさん久しぶり。名簿で見つけられなかったです」

名刺を交換しながらお互いの所属部署を紹介し合いました。

近くの焼肉屋に入店。二人ともカルビ丼を注文しました。

「震災からずっと大変だったでしょ。役場が元の場所に帰還したのは...」

「今年の4月です」

「そうすると、SさんもI村に戻ったんですか」

「戻りました。本当にいろいろ大変でした。病気もしたんです」

「病気?どこか悪くしたんですか」

Sさんと私は10数年前に福島県の外郭団体「シンクタンクふくしま」でいっしょに働いた仲でした。

カラオケが上手なのが印象に残っています。いつもはつらつとして見るからに健康そうでした。

「2年前にくも膜下で救急搬送されたんです」

「えっ、くも膜下ですか。どこで倒れたんですか」

「自宅です。日曜日に机で昼寝していたら、そのままくも膜下になっていたようです。椅子に座ったまま万歳をするように眠っていたそうで、不審に思った家族が救急車を呼びました」

「家族の方が気がついて本当によかったよかった。いまこうやって生きていて本当によかったです。気がついたら病院で目が覚めたっていう感じですか」

「何にも覚えていないんです。痛みも何もなく...。目が覚めたら縛られていて」

「昼寝していてそのままひょっとしたら永眠してしまったかもしれないところでしたね」

「あのまま永眠すればよかったんです。気持ちよく寝ていましたから。痛みも何もなく」

Sさんのその言葉にこの6年半余の辛労が偲ばれました。

午後の部の研修を終え、私はSさんと力強く長く握手を交わしました。

「また会いましょうね。必ず会いましょう。福島でゆっくり飲みましょう」

Sさんはにっこり笑って答えてくれました。Sさんと会えたことは、きょうの研修の最大の成果でした。


(新舞子浜の風景)

夕餉を食べながらふと疑問に思いました。「帰らぬ人」ってどこから帰らないんだろう、と。家人にその疑問をぶつけてみました。

「あのさ、帰らぬ人って言うけどさ、なんで帰らぬ人って言うんだろうね」

「生き返らない人って言うことじゃないの」

「字が違うよ。帰らない人であって、返らない人じゃいなもの」

「じゃ、家にもう戻って来ないという意味じゃないの。生きて帰らないって言うこと」

「そうかな。すっきりと意味がわかんないだよね」

ここに至ると夕餉の食卓では私の独白となり、誰も付き合ってくれない。したがって、ここからは鉤括弧なしの私のつぶやきとなります。

ベクトルとしては死者はいったんは帰宅させるのが日本の風習だと思う。だから「無言の帰宅」と言う。いちおう帰っては来る。帰らないのではなく帰って来るのだと思う。

では、「生きて帰って来ない」説はどうか。

この場合、精緻に考えると、山などで遭難して文字通り、帰って来ないことも意味することもあり得る。が、一般的には“生きては”帰って来ないのであって、死者となっては帰って来る。

では、原点に戻り、そもそも帰らぬ人とは、どこから帰らないのか。

あの世から帰らないということも考えられる。これは有力な説ではある。

しかし、その場合、一つの疑問が生じる。生きている私たちは、あの世から帰っている人ということになってしまう。あの世が起点になるのはおかしい。

生きている私たちからすれば、死者は「帰らぬ人」ではなく、むしろ「行ってしまった人」と言うべきではないか。したがって、「逝った人」と言うのだろうと思う。

このような思考実験的つぶやきを吐露するとネットで検索しようとするあなた。ここを私は警鐘したいのです。

考える力。この考えようとする力が弱ってきているので、世の毀誉褒貶(きよほうへん)に翻弄されるのではないかと私は思うのです。

いっしょに考えてみませんか。

というわけで、気がつくと、すっかり夕餉が片付けられていました。


(酒縁てる)

元の職場の仲間と懇親の一席。お店はかねてから行きたいと思っていた「酒縁てる」。

JR常磐線泉駅を降りてすぐの場所です。本年5月にオープンしました。

いわき駅で乗車し泉駅で降車。地元で電車を使って飲みに行くのは新鮮な感覚です。

席はカウンターのみ。ご夫婦で切り盛りしている素敵なお店です。

お通しはポテトサラダと鯨カツ(たぶん)。そのあと出されたのは、もずくの天ぷらでした。

外側はほどよくカリッと揚がり、中身はあくまでもほくほくとしている。どんどん口に入れてしまいます。塩で食べるのもよし、大根おろしを入れた天つゆでもよし。

もずくの天ぷらは揚げるのが意外に難しい。

私自身何度か試しているものの、納得のいく仕上がりになりません。大将の知人はもずくを揚げている最中に爆発させてしまったそうです。

大将曰く。このところの台風の影響で海がしけているため、水揚げが少ない。納得のいく魚を求めて、わざわざ市内の港を歩いて“常磐もの”を探したのだという。

「お店の名前の文字がいいですね。どなたかに書いてもらったのですか」

「地元の書家に書いてもらったんです」

「やわらかくていい字ですね」

「気に入っています。じつは200枚ほど書いてもらって、そこから消去法でこの字を選んだのです」

「200枚とはすごいですね。プロはやっぱりすごいですね」

次にお造りが出されました。

“常磐もの”のイシモチの刺身を初めて食べました。いままで塩焼きででしか食べたことのなかったイシモチ。刺身もまた美味しい。

「さっきの200枚の話で思い出したんですけど、以前、日経新聞の記者さんにこんなことを聞いたんです」と私が大将に話し始めました。

「取材のためこちらに記者さんが来たときです。カメラマンも随行して来ました。記者とカメラマンの2人体制ですけど、記者が撮影することはないんですか、と」

「あるのはあるけど、基本的には写真はカメラマンが撮る、というんです。で、カメラマンと記者が写す写真は何が違うんですか、って聞いたんです」


「答えは、枚数です、と。1枚の写真のために、数百枚撮るのだそうです」

次に出てきたのは鯛(花鯛でしょうか)の奉書焼き。

厚みのある昆布で身を包み、さらに奉書で包む。それをこんなにと思うほどの大量の塩の中に埋めて蒸し焼きにしたものです。

昆布と鯛の旨味が淡い塩味によって引き出されています。嗚呼、熱々の白いご飯がほしい。

炭水化物チストを自認する私は、本当に美味しい肴が出てくると白いご飯で食べたくなるのです。

時計を見ると下り列車の時間です。楽しい時間は過ぎるのが早い。またお邪魔したいと思います。

ちなみに「酒縁てる」の向かいには私の心の中のプリンランキング1位の関根菓子店があります。


(秋のアリオス)

流しそうめんの歴史は意外と浅いらしい。商業化したのは宮崎県の高千穂峡。昭和30年代のことです。

流しそうめん発祥の地・高千穂峡では竹樋にそうめんを流すタイプ。いわば、流下式の流しそうめんです。

一方、鹿児島県の唐船峡では、たらいの中で水流を起こす回転式の「そうめん流し器」が発明されました。したがって、唐船峡では「そうめん流し」と称します。

幼いころ、私の住む市内にも清流沿いに回転式の流しそうめん屋がありました。流れるプールのごとく、ジェット水流によってたらい内を回転させるものです。

両親は、この流しそうめんを汚い食べ方だと言っていました。確かに箸を皆でつっこんでそうめんを掬う様は美しくはないかもしれません。

が、当時の私は興奮しながらたくさん食べたのを覚えています。

さて、少し前に地域の関係者と懇親する機会がありました。

「我々の業界の人材は、流しそうめんなんです」

「えっ、どういうことですか」

「そうめんは樋を伝って流れてきますよね。流れ流れて取られずに最後に流れ着いたそうめんのようだということです。最初から我々のところを目指してきたんじゃない」

「流しそうめんとは、心が痛む話です」

この懇親会以来、ずっと流しそうめんのことばかりを考えています。流しそうめんが喉につかえているような気持ちです。

なんとかできないのか、と。

流しそうめんと言えば、もう一つ思い出があります。

10数年前に地元のボランティア団体主催の竹を使ったイベントに参加しました。真冬でした。

まず竹馬。竹がこんなに冷たいとは思いもしませんでした。手袋をしても冷たさが伝わってきます。

きわめつけは、竹樋を使った流しそうめん。冬ということで、温かいつゆをお椀に入れる配慮はありました。

が、竹の持つ保冷効果により流したそうめんはキンキンに冷え、温かいつゆにそうめんを入れるも急速冷却。くちびるが冷えて口が開きません。

もはや剣豪の修行のような凄まじいイベントでした。帰りに寄った常磐湯本温泉の古滝屋さんのお風呂で生き返りました。

というわけで、以上が私の流しそうめんの思い出です。


(けさのお弁当)

たまに食べると美味しい緑のたぬき。熱湯を注いで3分。すぐにできる即席麺です。即席麺には不思議な魅力があります。

不思議なことに「星々のつぶやき」においても、練りに練りあげた、構想1週間、作成2日間のような記事は意外にも人気がありません。

ふっと思い浮かんだことを15分程度で仕上げたものがよく読まれます。

どういうわけなのでしょう。

いま構想中の記事の一つは、息子が私に投げかけた一言です。

「お父さん、社会の先生がね、国の名前って実際は名前の意味と違う政治体制なんだって言ってたよ」

「どういうことなの」

「例えばね、朝鮮民主主義人民共和国って言うけど、民主主義じゃないんだって」

「あぁ、なるほどね。そうだね」

これは政党名でも言えるかも、と思いました。ほかのことでも言える汎用性があるかもしれない。

昔、NHK総合であさに放送していた「明るい農村」。子ども心にも番組名に欺瞞性を感じていました。

そういえば、「野望の党」の代表は、もしかすると実際は、逆に野望などという大それたことは抱いていないのかもしれない。

むしろ、まっとうなことを主張している可能性もある。

ふと、そんなことを自分で作った弁当を食べながら思いました。

当記事は構想30秒、作成8分です。


(行きつけのカフェ「讃香」)

台風が近づいて来るとわくわくしていた子どものころ。社宅の屋上から荒れる鮫川の河口や海を見るのが好きでした。

たまに停電が起きるとさらに興奮。ろうそくを灯し、懐中電灯で自分の顔を照らすなどして遊び心を満開にさせていました。

停電が1時間程度で復旧すると、せっかくの楽しい暗がりが蛍光灯の光で白々しく照らされ、興ざめしたものでした。

停電は子どもにとって心の宴(うたげ)。宴のあとはつまらない日常が待っていました。

私は思うのです。生活に差し支えない範囲で“電気のラマダン”があってもいいのではないか、と。

自分の親や子、兄弟が当事者とならない限り、戦争ほど面白いものはない。

かつて、恩師はこのように戦争報道の本質について語っていました。

言い換えれば、当事者の悲劇は非当事者にとってのネタなのです。だからこそ、報道が成り立つと言えるでしょう。

逆に言えば、報道の99%は非当事者にとって実益はなく、日々の生活とは無関係なものと言ってよいでしょう。

大脳はつねに刺激を欲しています。大脳は退屈が苦手です。単調な高速道路での運転が眠気を誘うゆえんです。

非日常でかつ非当事者のニュースほど、私たちにとって無害であるがゆえに、食事をしながらでも安心して見ることができます。

シリアでのIS掃討作戦の様子を見ながら、納豆ご飯を食べることができますし、災害により避難所で不便な生活をしている様子を見ながら、ラーメンをすすることも可能です。

ニュースとは大脳を退屈させない刺激剤である。最近、つくづくそう思います。

大事なことは、非日常の非当事者のことに心惑わされるのではなく、地域で起きている日常の当事者の課題に思いを致すことではないかと思います。

先日、福祉関係の法人の役員の方々との懇親会に出席しました。地域で起きている驚くべき日常を知り、己の無知を知りました。

永田町で繰り広げられる悲喜劇もまた刺激的ではあります。でも、所詮はネタに過ぎません。

報道されることのない、本当の課題、シリアスな問題は、いまここで、私たちの足下で起きているのです。


(コリドーの向こうは猪苗代湖)

薬にも毒にもならない。沈香(じんこう)も焚かず屁もひらず。偉大なる平凡でありたい。「星々のつぶやき」の主義主張です。

プラシーボとは、ラテン語で「私は喜ばす」の意。フランス語発音のプラセボと称されることも多いプラシーボ。薬理作用のない偽薬です。

偽薬なのに効果があることが報告されています。驚くことに副作用まで起きることもあるという。

その意味で当ブログは、まさに正負両面にわたってプラシーボをねらいとしていると言ってよいでしょう。

サラダについてつぶやけば、それに影響され読者の皆様の夕餉の食卓にマカロニサラダやポテトサラダが登場することを私は知っています。

さて、主義主張とは、取捨選択の代物です。唱えている人自身も取捨選択できますし、当然のこととして賛同する側においても取捨選択することが可能です。

チョイスするということですから、昨日まで用いていた主義主張は一夜にして取り換えることも簡単にできます。

それでは、料理を用いて説明しましょう。

Aさんは、中華料理を作ると主張。Bさんは、フランス料理を作る、と。Cさんは、和食を作る、と。また、Dさんは、フランス料理と和食を組み合わせた料理を作る、と主張します。

私たちはともすると、この料理の違いに着目しがちです。

料理というものは、当然、何を作るかということも大切ではあります。しかし、より大切なことは、上手に調理できるのか、ということではないでしょうか。

一食二食に留まらず、大人数に料理を提供するとき、コックは配下のスタッフを使いこなす、つまり、マネジメントも行わなければなりません。

さらに、コストという経営感覚も不可欠です。当たり前のことですが、無料で美味しい料理は出せません。

優れたリーダーシップの下、このような総合的なマネジメントができるのか、という視点を持つことが選ぶ側には必要であろうと、私は思うのです。

ある意味で主義主張よりも大事なことは、組織をマネジメントできるのか、ということではないでしょうか。

主義主張は当然、大事な要素ではあります。でも、私の関心はマネジメントに注目してしまうのです。

中華料理でも、フランス料理でも、和食でも、かまいません。要は、美味しい料理をすぐに効率よく、低コストで出せるのか、ということだと私は思っています。

というわけで、今後とも、このような薬にも毒にもならない、沈香も焚かず屁もひらずのつぶやきを続けていく考えです。


(温室は暖かい)

かつて、私の職場の中枢部門にはまっとうな人に混じって変わり者がいました。ナイフのように尖っていたり、エキセントリックだったり...。

いまも彼らは健在です。健在ではありますが、いまいる所では彼らが持つ力を存分に発揮できずにいるように見えます。

もったいないなぁと思います。それは当人にとっても、組織にとってもそうです。

でも、彼らは楽しそうです。いかなる部署にいようとも楽しむ術(すべ)を知っているのでしょう。

かつて、なぜ彼らは存在し得たのでしょうか。言い換えれば。なぜ受け容れられたのでしょうか。単に人の巡り合わせだったのでしょうか。

私にはわかりません。

彼らがいたとき、そこにはわいわいがやがやとした雰囲気がありました。ちょっとはみ出した話し合いや青くさい議論もありました。理想を語ったりしました。まさに侃侃諤諤(かんかんがくがく)。

何よりも楽しそうでした。

懐古主義はきらいですが、勤務して四半世紀が経ついま、ふと、かつてのことを思います。

まっとうな人によるまっとうな人のためのまっとうな組織になりつつあります。

我が身はどうなのか、ですか。まっとうではありませんが、以前と比べまともになってきたと自負しています。

これを経年変化とも、経年劣化とも言います。


(大好きな楢葉町の天神岬)

彼は必死に仕事をする人です。人一倍責任感が強い人物です。

日夜研究に勤しみ、他国の技術開発についても情報収集を怠りません。ときにリスキーな人脈も使い、先進技術の習得に余念がありません。

勤務態度も非の打ちどころがありません。始業1時間前に出勤し、その日に行うべきことをシミュレーションし、準備を万端にします。

上司や同僚、部下からの信頼も抜群です。問題が発生すればすぐに上司に報告・連絡・相談をします。

配下のスタッフの意見にも耳をよく傾け、組織のマネジメントに心を砕いています。

家庭においてはよき父であり、よき夫でもあります。

その一所懸命で真面目な姿から、彼は本物の人物に見えます。

でも、作っているものは原子爆弾です。

以上はフィクションですが、「一所懸命に頑張っている姿」に私たちは心揺り動かされるものです。

何をしているかではなく、一所懸命にしていることが評価されます。

一所懸命とは、「昔、武士が賜った『一か所』の領地を命がけで守り、それを生活の頼りにして生きてきたこと」(出典:NHK放送文化研究所)に由来します。

まさに人は生活の頼りとする「一か所」を守るとき一所懸命になります。

なぜ彼が一所懸命なのか、私たちはそこを見抜く必要があります。何に対して一所懸命なのか、よく知る必要があります。

正しいことを正しく行う。
正しいことを間違ったやり方で行う。
間違ったことを正しく行う。
間違ったことを間違ったやり方で行う。

やっかいなのは、間違ったことを正しく行う人です。つまり、間違ったことを一所懸命に行う人に注意しなければなりません。

蛇足ながら、「本物に見える」と「本物である」には修辞技法において大きな違いがあります。


※現在は、一所懸命から派生した「一生懸命」の表記が普及。報道等においても「一生懸命」が使われています。


(大好きな東山魁夷の絵葉書に認める)

福島県庁の発表によると来年3月卒業予定の県内高校生の就職内定率は9月末時点で61.0%となり、過去最高だという(2017.10.17福島民報)。

内定が決まった市内の中堅企業の社長から息子宛に手紙が届きました。

学校側の指導で内定企業宛に御礼の手紙を送ったことに対する返礼のようです。

息子に開封させると社長自ら直筆で便箋にびっしりと息子の送った手紙に対する感謝の言葉と入社への期待が綴ってありました。

私は深く感動しました。就職は誰しも不安を抱きます。そのような中にあって社長が直筆の封書を送る。期待のメッセージを直筆で伝える。

心強い気持ちになります。なんて素晴らしいことでしょう。私たちの心を鷲掴みしました。

「お父さん、机下ってなぁに」

「机下は恐れ多いので直接お渡しせずに机の下に差し出しますという意味で相手に敬意を表する言葉なんだよ」

「んじゃ、おれ、机の下にしまっておく」

「.......」

なんか違うなと思いつつ、ともあれ、保護者として社長さん宛に返礼を認めました。


(水戸の梅)

絵葉書は本年4月2日に茨城県近代美術館(水戸市)の「東山魁夷 唐招提寺御影堂障壁画展」を観に行った際に購入したものです。

そのとき水戸はまだ梅が咲いていました。季節はあっという間にめぐりますね。

ちなみに銘菓「水戸の梅」はクマリンのにおいが苦手なので食べません。ちなみにのちなみにですが、クマリンはゆるキャラではありません。


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