(日々弁当作りに挑戦)

「学ぶ」は「まねぶ」と語源が同じだという。学ぶことはまねること。というわけで、だし巻き玉子作りについてです。

昨年、職場旅行で築地に行きました。玉子焼きの店に引き寄せられました。

じっと作り方を見ていました。30分ほど観察。いろんなことに気づきます。

まず道具がいい。銅製の玉子焼き器がほしくなりました。自宅の鉄製のとはやっぱり風格が違う。

そして、菜箸がやけに太い。使いづらいのではないか、と不審に思いました。讃岐うどんをゆでるときに使う、麺箸に似た四角柱の箸です。

先端も太いまま。のちに自分でだし巻き玉子を作るようになって菜箸の太さの意味がわかりました。

はじめに油を均等に引きます。

この場合、「ひく」なのか「しく」なのか、私は迷います。NHK放送文化研究所によると引き延ばすようにして油を引くので「ひく」なのだそうです。

ちなみに、鉄道は「しく」で、水道は「ひく」とのこと。日本語は難しい。

さて、油を丁寧に引いたあと、溶き卵を玉子焼き器に流し込みます。

マグマのように溶いた卵が沸き立ちます。ところどころ円墳状に膨張します。

名人はその円墳を菜箸の角で軽く叩きつぶします。沸き立ちが鎮静すると、遠い側から玉子を巻きながら手前に寄せていきます。


(築地にて。この店は銅製ではありませんでした)

これがじつに上手い。ここで再度、油を引きます。巻いた玉子の下にももぐらせるように引きます。

溶き卵を流し込みます。このとき、巻き上がった玉子を少し持ち上げて、溶き卵を迎え入れます。このプロセスが大事です。

「迎え入れ」なくしてだし巻き玉子は焼けぬ、といっても過言ではありません。この「迎え入れ」によって巻き上がった玉子と焼いている最中の“平面玉子”とが接合するのです。

巻き上がった玉子を今度は向こう側に転がしながら巻いていきます。

だし巻き玉子は意外にも重量があります。2度、3度と巻いていくにしたがい、どっしりとしてきます。

通常の菜箸で転がそうとすると玉子との接触面が小さいため、玉子に傷がついてしまうのです。押そうにもなかなか転がりません。

ここで表面積の広い四角柱の太い箸の本領発揮です。太い四角の箸には意味があったのです。

築地でそんなことを学びました。いま私のだし巻き玉子の完成度は85パーセントです。


(初めて訪れた「百人パン」)

組織という船が沈み始めるとき、その兆候は出ているものです。周りはもちろんのこと、当事者も薄々とは気が付いていることが多い。でも、対策が打てない。

「兆候」とは、組織構成員による小さなミスです。それが頻出します。致命的なミスとまではいかないものの、ボディーブローのように響いてきます。

いわば「終わりの始まり」です。運が尽き始めたともいえます。

次に、少し影響の大きいミスが起き始めます。そのころになると、危機感を覚えた構成員が警告を発し、組織内で沸騰したように議論が始まります。

改革に向けていくつも議論がなされ、そして、議論がなされいるにもかかわらず、決定的な対策が打たれないまま、組織という船に浸水が進み、沈んでいく。

なぜか。

個々のミスが、一見すると属人的な問題であることにあります。その人由来の問題であるように見えるがゆえに、組織の問題と捉えられない。

組織の問題ではないと判断されるがゆえにリーダーの責任とは結び付きません。ミスを犯した個人に原因を求め、責めを負わせます。

ここに落とし穴があります。

少し大きなミスが出始めたころに侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をします。が、ミスを犯した個人に原因を求め、責めを負わせる組織体質に変わりはありません。

属人的に見えるミスもじつは組織に由来することが少なくありません。個別のミスの多くは、その原因において地下茎でつながっているのです。

組織に柔軟性がなくなり、硬直した結果として表層に現れたものが、その属人的ミスともいえるのです。

というわけで、「終わりの始まり」から「終わりの終わり」に向かうとき、不思議なことにリーダーはさほどの危機感を自覚しないままに放逐(ほうちく)され、組織も沈み、枯れていきます。


(阿佐ヶ谷の花屋さんで見つけた糸トンボ)

自宅を出て、30分弱歩いて最寄り駅の小川郷駅に到着。黒色のスラックスに歯磨き粉が付着していることに気づきました。しかも、股間付近に。

歯磨き中、私の意識は宙に浮いています。きっと離脱しているのでしょう。

コイン精米機内での意識活動レベルに似ています。モーターの振動音に身を任せ、米の流れる様をぼーっと見ている。意識が鈍磨していきます。

セルフ式ガソリンスタンドで給油中の薄ぼんやりとした意識とも共通です。

本来、万が一のために給油口をこそ注視すべきなのです。が、リッター表示を見つめてしまう。

ともあれ、またやってしまいました。駅に至るまで何人も中学生と、あいさつをしながらすれ違いました。

過去と他人は変えられない。反省はすれど後悔はしないことにしましょう。いや、反省も足りないかもしれない。

数か月前のこと。ユニクロでスラックスを買いました。

股下の長さが印字されたテープを側面にべろっと貼付したまま、まちを歩いていたのです。儀仗兵のズボンの側面のラインのようでした。

気づいたとき、耳たぶまで炎症を起こすほど赤くなりました。

さて、小川郷駅で狼狽(ろうばい)する私。ハンカチで拭いても取れません。弁当を入れたトートバッグで隠しながらディーゼル車に乗り込みました。

幸いにもボックス席が空いていました。

私のリュックは少し重い。災害がいつきても2日間程度は自活できるように下着類をはじめ衛生用品を常備しています。


(開かずのポーチ)

アルコール含有のウェットティッシュをポーチに入れていることを思い出しました。

備えあれば憂いなし。ほくそ笑む私。

過去までは拭い去れないものの清拭完了。

ウェットティッシュをポーチに戻し、ファスナーを閉めた、そのときです。

スライダー(栓抜きの赤ちゃんのような形のツマミ)が外れてしまったのです。

もう二度と開けることのできないポーチ。ポーチの中身を取るためにははさみで切り破るしかありません。

人生、上がり下がり。けさの午前7時30分前後に起きた出来事と心象風景を描きました。


(夜に寄るスタバ)

いま思えば過剰なまでに気にしていました。小学校のときの跳び箱のことです。

体育の時間はただでさえ好きではありませんでした。とりわけ、できる・できないを評価する類いの種目は苦手でした。

跳び箱はその代表格です。

ピーっ。先生の呼び笛が鳴ります。華麗に跳び越えた級友の跳び方をイメージして全力で助走を開始。

徐々に跳び箱が目の前に迫ってきます。ここか、ここでいいのか。立ちはだかる木の壁が大きくなってきます。峨々として聳え立つ岩壁のよう。

勢いよく走っていたのに、跳び箱を前にして足がもたつき、小刻みになる。結局、跳ぶタイミングを逸し、跳び箱の背に前面に激突。2回目はちょこんと跳び箱の背に乗るだけ。

ほかの種目と異なり、40数名の級友全員が1個の跳び箱に注目する中で行う競技。それが跳び箱です。

できない人間にとっては恥辱です。地獄とまではいかないものの、自己肯定感を喪失させる嫌な時間です。

子ども心にも、というか、子ども心だからこそ深い心的外傷を負うものだと私は思います。これは、おそらくできなかった人にしかわからないのではないでしょうか。

いま思えば、たかが跳び箱です。しかし、当事者にとってみれば、されど跳び箱なのです。大人になったらなったで、“大人の跳び箱”が存在し、「されど」跳び箱の重い心に胸が覆われました。

「されど」という、物事を凸レンズで見てしまう心理を「たかが」という凹レンズで俯瞰するためには、“スルー力(りょく)”が必要です。

では、スルーする力をどうやって養うか。

はっきりとした結論はまだ得ていないのですが、自分をわかってくれる人を持つこと。これは必須条件ではないかと最近思うようになりました。


(やがてはこんな高層のセンターも)

からつづく)

「大人元気センター」のもう一つの目玉は個室型安眠室です。文字通り安らかに眠る部屋。ただし、1時間を限度とします。宿泊施設にはしません。

大広間に雑魚寝は見た目もよくない。子どものころよく目にしたヘルスセンターの猥雑な大広間を思い起こします。

座布団を半分に折って座卓のわきに横になる。あまりにも日本的です。常磐ハワイアンセンターでも日常茶飯な風景でした。

目覚めたときに頭や足を座卓の天板にぶつける。あの、他に責めを求めることのできない痛さは不甲斐ないものです。

さて、個室型安眠室は、“和風シエスタ”ともいうべきコンセプトに基づき設計されます。

枕カバーをはじめ、布地は、最高級の麻であるアイリッシュ・リネンです。湯上り後の清涼感を心ゆくまで味わえます。

壁は呼吸する壁といわれる珪藻土(けいそうど)。適度な湿度と防音性を保ちます。

ヒノキの香りが漂う安眠室は身体を横たえた瞬間から脳内のアルファー波が増大。深い眠りを約束します。静養こそが最良の治癒といわれます。

幼いころ、午後の昼寝の目覚めときに、いまが朝なのか、夕方なのか、そしてどこにいるのかわからなくなるくらいの、マリアナ海溝のような深い睡眠を経験しました。

それを大人にも味わわせたい。私の切なる願いです。

思わず翌朝を迎えたのか、と錯覚するような目覚めを安眠室はお約束します。

というわけで、大人元気センターは入浴後のくつろぎに力を入れています。

防音性に優れた個室型居酒屋、多種多様なマッサージを味わえるマッサージコーナーもプライバシーに配慮しています。マッサージ後のまどろみタイムも確保。

そして、前後不覚となるほどの深い眠りと目覚めを約束する安眠室を設置しています。

「大人元気センター特区」。おしりを決めて速やかに進めてほしいものです。


(レトロなカフェが好きです)

(上よりつづく)

「大人元気センター」構想への要望が読者から寄せられました。マッサージコーナーも個室化を図るべき、と。

確かにむべなるかなと私も思います。揉まれている姿を人に見られるのが嫌だという。

そういった羞恥心を私は元来において持ち合わせていません。しかし、マッサージ中にうつぶせ状態で顔面を支える開放部分から唾液を床に垂らすという実績を私は持っています。

“垂涎(すいぜん)記録保持者”としては、やはり隔離してもらったほうが断然いい。マッサージコーナーは個室化を図りましょう。

ただし、男女が二人きりになることによるリスクもあることから、目立たないよう監視カメラを室内に設置したいと思います。

ところで、このごろ物事において余韻というものの大切さを感じるようになってきました。むしろ、余韻こそ「主」であり、余韻に至るまでは「従」なのではないか、と考えるようになりました。

齢(よわい)五十路に至ると心境も変化するものです。

そこで、揉んでもらったあとに即座に退出を促される、あの余韻のなさを改善したい。もう少しベッドでまどろみたい。

「大人元気センター」ではそんな余韻を楽しむ時間を設けたいと思います。

1時間のマッサージにはその半分の30分間のまどろみを、40分コースの場合は20分間のまどろみタイムをセットとします。

さらに私の場合は床にソラマメに似たステンレス製の膿盆を置いてもらいます。安心してまどろむことができます。

もう一つ、当センターでは、トイレの質を限りなく高めたい。TOTOとLIXILによる夢の共同開発によって最高級のシャワー付きトイレを設けようと思います。

肝(きも)はシャワーの機能の高度化です。

最高品質の洗浄はもちろんのこと、新たに「便意促進機能」を付与します。シャワーには洗浄以外の力が秘められています。

水勢や角度、温度の最適化を図り、シャワーが便意を促進し、初期排泄後にさらに二次、三次と横行結腸付近に滞留しているものまでをも促すのです。

おなかがすっきりすると頭も心もすっきり。心も元気になります。

一流のアスリートは、試合において食事の摂取以上に排泄に神経を使うといわれます。おなかをすっきりさせることでメンタルを最適に保つのです。

心の元気といえば、当センターではこれまでにない機能を設けます。詳細は(下)にてお話します。

(下へつづく)


(あさの風景)

「大人元気センター」こそ必要なのではないか。この思いが日に日に強くなっています。

先日、シンガーソングライターの弾き語りを聞く機会がありました。

彼曰く。若者を元気にするためには、大人が元気にならないといけないと思う、と。

我が意を得たり。私は己の膝を打ち、彼の肩を叩きました。彼に私はいいました。

「子どもは大人の鏡です。大人こそ元気にならねばなりません」

そう、私はかねてから心ひそかに「大人元気センター」の構想を温めてきました。

まず入館の条件。

18歳未満は入れません。入館禁止です。お子ちゃまな雰囲気を一掃することで大人の世界の静謐(せいひつ)を保つのです。

センターの中核施設はやはり温泉。もちろん私の好きなサウナも充実しています。

4〜5人が入れる個室風サウナも複数設けます。室内では好きな動画を選択でき、番組は10分程度で完結するお笑い動画を中心とします。

画面は近眼者がメガネをはずしても見ることができるよう330インチのワイドスクリーン画面。つまらない既存のテレビ放送を垂れ流すことはやめます。

入浴後はマッサージコーナーにスムーズに移行できるよう予約状況がわかるよう浴室内にリアルタイムで表示。

マッサージコーナーはいわゆる整体のほか、あん摩、針灸など多種多様な業態を配置。お客様の多様なニーズに応えます。

湯上りの楽しみはなんといっても、干からびたのどを潤すビール。

完全個室の居酒屋を館内のど真ん中に設けます。

なんといっても防音性にこだわった設計。隣室の話し声がまったく聞こえないように随所に工夫を凝らします。

あくまでも気の置けない者同士の会話を心ゆくまで楽しむ。個室内においても音の反響は抑制した作りになっています。

居酒屋での私の最大の不満は雑音です。目の前の人の話が周りの雑音によってよく聞き取れない。楽しみを半減させています。

星々のつぶやきコンサルタントによると居酒屋での不満の第1位は「周りの雑音」、第2位は「従業員の接客態度」、第3位は「料理の内容」となっています。

まるで山里の一軒家でくつろぎながら飲んでいるような雰囲気。それを私は再現したい。

)へつづく


(アリが蜜を吸っています)

職場では始業前に朝礼があります。私がいまの職場に就職したころは朝礼はありませんでした。

私の課では毎日当番で職員があいさつをします。しかし、月曜日だけは課長が毎週あいさつする習わしになっています。

理由はわかりません。週の初めだから気合を入れる意味合いがあるのでしょうか。

そのようなわけで月曜日は毎週ひとこと、私が語らなければなりません。これがけっこう憂鬱です。

愛読者の皆様はご存じのように私は月曜日が非常に苦手です。

「星々のつぶやき」では、私のポリシーとして「非常に」や「とても」等のいわゆる“程度副詞”を基本的に使いません。

しかしながら、こと月曜日に関しては「非常に苦手」なのです。

前日の夕方から気分が下降。「笑点」のラッパが鳴ると、起立時に後ろからひざの裏を一撃されたときのように心が沈鬱になります。

さらに、「サザエさん」のエンディングの間奏に至った瞬間、とどめを刺すかのように浮上困難な憂鬱さに満たされます。

月曜日が苦手なことは、当ブログでもたびたび言及している通りです。

というわけで、月曜日の私のあいさつは称賛の言葉から始まります。

「皆さん、よくぞ出勤してこられた。これ、ただごとにあらず」と。

雪中行軍(せっちゅうこうぐん)で誰ひとり落伍せず目的地まで踏破したときの隊員を見る、上官の眼差しになっています。

金曜日をプレミアムにする前に月曜日対策を講じてほしいと切に願っています。

月曜日は午後からでいいんじゃないでしょうか。いっそのこと月曜日を廃止してほしい。


(火力発電所を望む)

子どものころ一艘のボートがありました。ソーダアイス色の手漕ぎボートです。

購入したものか、もらいものなのか、いったいどういうわけで我が家にボートがあったのか。

入手の経緯は思い出せません。おそらく父が拾ってきたのではないかと思います。

拾ってきたといえば、学生時代に自転車に乗っていたら職務質問を受けました。

自転車は故郷の山中で父が拾ったものを修繕して私に送ってくれたものでした。拾得物横領罪の疑いで八王子警察署稲荷坂交番に連れて行かれました。

交番から実家に電話が行き、両親が慌てふためいていました。いまとなっては懐かしい思い出です。

さて、当時、火力発電所の社宅の脇を流れる鮫川の河口は少し変わっていました。ストレートに太平洋に向かって流れるのではなく、蛇行していました。


(蛇行していた鮫川の河口)

大腸が真っ直ぐな下行結腸からS状結腸に曲がり、最後に直腸に至って、また真っ直ぐになる。鮫川はそのような河口を形作っていました。

したがって、河口から海は直接見渡すことができず、河口の向こうには砂浜の岸がありました。その岸の向こう側に太平洋があったのです。

河口の陸地側からボートに乗り、向こう岸に遊びに行きました。陸地側とは植生が一変し、いかにも海辺という雰囲気に満たされているのが不思議でした。

地を這うように淡いピンク色のハマヒルガオが一面に咲き乱れ、ところどころにハマボウフウが生えていました。

寄せては返す波、むせるほどの濃い潮の香り、通奏低音のように絶え間なく響く波の音...。私たち家族のほかはこの真っ白な浜辺に誰もいません。

この浜辺の波の音を私はテレビの「砂の嵐」状態のボリュームを上げ下げすることによって再現することに成功しました。

ざるで小豆を動かす音より、よほどリアリティーがあると当時の私は信じていました。

得意になって家族に披露。が、誰も興味を持ってくれませんでした。ボリュームの調整が、もはやつまみではなくなったいま、あのときの感動は蘇りません。

別世界に来たような感じの向こう岸への小さな旅。文字通り、此岸(しがん)から彼岸(ひがん)に渡ったのだと思います。

あのときの高揚感は「浜辺の歌」とともにいまもなお胸奥に残っています。

というわけで、けさ、通勤時に映画「昼顔」のポスターを見て、遠い昔のヒルガオを思い出した次第です。

私のヒルガオはかくも美しい。大腸のたとえを除いて。


(「響きの宿」にて)

県立高校で実習船の教官を務めている友人にずいぶん前に尋ねたことがあります。以前から疑問に思っていたことをぶつけてみました。

「船の衝突事故ってニュースになりますよね。あの広い海でさほど高速でもない船がなんでぶつかるんですか」

「そう思いますよね。船はぶつかるんです。原因は何だと思いますか」

「さあ、見当もつきません」

「居眠りなんですよ。居眠り」

「居眠りですか」

「もちろんすべての原因が居眠りではありませんけど居眠りによる衝突事故が多いんです」

「へ〜初めて知りました」

「海は広く往き交う船も見えないこともあります。そんなわけで油断が生じ、うっかり眠ってしまうんです」

「居眠り運転ならぬ居眠り操船ですね」

「居眠りはよくあることですけど、海は広いのでふつうは船同士が出会うことはありません。ところがまれに居眠り操船同士でぶつかってしまうんです」


「そうなんですか」

「ひどい事例では居眠りしたまま島に乗り上げるなんていうこともあるんですよ」

というわけで、居眠りは重大事故の元だということがわかりました。

私は昼休みに居眠りして午後の始業のチャイムに気づかずにそのまま口を開けて天を仰いでいたことがあります。疲れていたのでしょう。

気がついたとき赤面するとともに痛いほどに視線に耐えられませんでした。事故の元ですね。


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