(河津桜)

第2話からつづく)

トイレと同様にモントリオール大学の寮のシャワールームは、2つのボックスしかありません。そのボックスもまた仕切りの壁がお互いのすねが見える構造になっているのです。

もじゃもじゃのすね毛が見えるのも嫌ですが、女性のすねが見えるのも、これまた何ともいえない気分にさせられます。

シャンプーの泡がこちらの陣地に流れ込んできた日には、胸が高鳴りました。いままさに隣で女子学生が現在進行形で浴びているのです。

流水がタイルの傾斜を超えてやってくる様子をじっと見つめました。アマゾン川の大逆流「ポロロッカ」以上の衝撃がありました。

当時、私は29歳。学生たちは20歳前後。

密室にすることで犯罪防止を図るという論理は破たんしているのではないか。半端な仕切りの方が危険なのではないか。自分は試されているのではないか。

そんなふうに様々な思念、いや、邪念が錯綜するシャワールームでした。

さて、モントリオール大学東アジア研究センターのK先生のお誘いを受け、モントリオール日系文化会館で行われいてる句会に参加するようになりました。

ホトトギスの系列に連なる「河内野(こうちの)」という会に所属する句会でした。毎月1回、開催。5句以上の作品を作って参加します。

秀逸な句は日本で発行している河内野の俳誌に掲載されるという栄誉もあるという。

ある月のことでした。私の作った句が俳誌の座談会で取り上げられたのです。

第4話へつづく)


(地震のあと職場から一時的に避難した公園)

3 福島は福の島

福島は、大地震、津波、そして原発事故に見舞われました。

震災が起きた当時、私は、なぜこんなことが起きたのだろうと何度も考えました。でも、あるときから、「なぜ」と考えても意味がないと思うようになりました。

今回起きたことは深い意味があるのだ。後ろ向きに考えるのではなく、いかに福島を復興していくかを真剣に考えよう、そう思うようになりました。

それが自分の使命なのだと思います。

日本は災害の多い国です。台風をはじめとする気象現象による災害、地震。そのような災害を乗り越えての日本があります。

人生においても、よいことばかりではありません。いろんな困難なことに出遭います。

大事なことは、その困難に負けないこと。起きたことをいつまでも悔やんでいても、何も変わりません。

起きてしまった「こと」は変わりませんが、その「こと」の意味が将来変わってきます。意味のある「こと」だったと思えるようになってくるのです。

「福島(fukushima)」の福(fuku)とは、よいことがある、幸せになるという意味です。

タイ語ではmongkonに近いかもしれません。島(shima)はタイ語でkoです。

この災難を必ずよい方向に転じていくことを誓い、皆様への感謝の言葉といたします。誠に誠にありがとうございます。

(完)


(塩屋埼灯台からの眺望)

2 あの日、何が起きたのか

あの日、いわき市役所の保健福祉課に所属していた私は、8階建ての市役所の3階で仕事をしていました。午後2時46分に携帯電話の緊急地震速報のアラームが鳴りました。

これまで聞いたことのないような地鳴りと激しい揺れに襲われました。ロッカーが倒れ、立っていることができず、机の下にもぐりました。

悲鳴が響き、強い揺れがいつまでも続きました。揺れが早く収まってくれと、心の中で必死に祈りました。

揺れがあまりにも長く、市役所の建物が壊れるのではないかと死を覚悟しました。

3月11日当日は市役所の庁舎で徹夜し、翌朝、小学校の体育館に行き、避難してきた市民の対応に追われました。

おにぎりは1人1個。もっと食べたそうにしている子どもに「ごめんね、1個だけだよ」と言って配りました。

その小学校の体育館には、いわき市民だけでなく、原子力発電所の立地する双葉郡内の住民もぞくぞくと避難してきました。

今回の震災で私の住む地域で「まさか」ということが、2つ起きました。それは、津波と原発事故です。

「津波」という言葉は子どものころから知っていました。しかし、まさか自分の住んでいるいわき市に津波が襲ってくるとは思いませんでした。

今回の震災で、いわき市では津波により約300名の方が亡くなりました。

もう一つは、原子力発電所の事故です。原子力発電所が事故を起こすとはまったく想定していませんでした。

高い安全性が保たれていると信じていたからです。

原発事故が起きたとき、タイの私の友人たちは、とても心配してくれました。あるタイの友人は、私の妻と子どもをバンコクに避難させてはどうかとまで提案してくれました。

本当に有難いことです。うれしく思いました。

なお、いわき市における放射線の値は十分に安全なものであることを皆様にお伝えします。

(へつづく)


(勉強会会場からの眺望)

来日中のタイの青少年36名に向けた復興勉強会でタイ語でスピーチする機会をいただきました。その日本語原稿を3回に分けてご紹介します。

1 はじめに 福島県は、海・山・川・湖と自然豊かな文字通り「福の島」です。

その福島が地震・津波という「自然の災害」に加え、原発事故による放射能汚染という「人間による災害」にも見舞われました。

この震災で、私たちはたくさんのものを失いました。大切な家族の命、人と人とのつながり、長年住み慣れた家や土地などを失いました。

2011年3月の東日本大震災に際し、タイをはじめ、世界中の皆さんが温かい支援の手を差しのべてくれました。

その前年、タイは大洪水に見舞われ、そのような中でもたくさんの人々が日本を応援してくれました。

タイの私の友人も、心から心配してくれました。手紙や贈物、メッセージなどを送ってくださり、私や私の家族を励ましてくれました。

私は、生涯このご恩を忘れることはできません。

今回、みなさんはタイからわざわざ福島県いわき市に来てくださいました。不安もあったことと思います。両親や家族から心配の声もあったのではないでしょうか。

そういった中、来てくださったことに心から感謝を申し上げます。そして、お越しいただいたことを心からうれしく思います。

あのとき、何が起きたのか、いわき市役所の一人の職員としてどう感じたのかなどについてタイ語で語りたいと思います。

(へつづく)


(悠々と泳ぐエイ。本文とは関係ありません)

(第1話からつづく)

私はトイレを気にします。トイレが快適かどうか。物事の判断基準の重要なポイントです。

モントリオール大学の寮のトイレはこれまで経験したことのないタイプのものでした。

便器の形状はふつうの洋式トイレです。タンク式ではなくフラッシュバルブ。

フラッシュバルブは乳鉢の乳棒のような形のハンドルを押して水量を制御するものです。

脱線しますが、あのレバーを手で押している人の割合はどのくらいなのだろう、とかれこれ50年近く思案しています。女性も足で押すこともあるや否や。

さて、モントリオール大学の寮のトイレは何が違うのか。

エレベーターホールを起点に両翼に廊下が広がり、廊下の両側に部屋が連なっています。

エレベーターから一番奥の両翼の端にそれぞれトイレがあり、洋式便器が2基設置されています。

男女共用の寮にもかかわらず、というか、だからこそなのか、トイレも男女共用なのです。

しかも、2基を仕切る壁が半端。密室を作らないという防犯上の理由から、仕切り壁が床まで達していない。

2人同時に入室した場合、どうなるか。

航空機のコックピットの機長と副操縦士が座るがごとく2人が着座し、膝から下のお互いの脚が見えるのです。

寮に住むようになってしばらくして、履いているスリッパで隣に着座している学生が誰なのか判別できるようになりました。

隣室の可愛らしい女子学生といっしょになったときは、音の出ないように下腹部を絞り込みつつ、所期の目的を達成するという、二律背反の行為をしなければなりませんでした。

トイレのみならず、シャワールームも同じ形状となっていることに気づいたとき、嫌な予感がしました。

(第3話へつづく)


(9月初旬の空)

この物語は全10話の「タイからカナダまで」の続編です。当地ではモントリオールを多くの人がフランス語読みでモンレアルと呼ぶことから、本シリーズは「モンレアル滞在記」とします。

では、カナダへ旅立つ前日から筆を起こすとしましょう。

9月2日。離日前の夜は銀座に泊まりました。何か美味しいものをと思い、いろんな店を覗き込みました。居酒屋、寿司店、ステーキ店などなど。

結局、牛丼店に入り、注文したのは特盛り牛丼(650円)。紅生姜をたくさん乗せて食べました。

夕食後、映画館で「釣りバカ日誌8」を鑑賞。同映画は自宅近くの夏井川がロケ地でした。

自分の地元の映像が映し出される映画を銀座という地で見ることの違和感。そして、訪れたことのない国へ旅立つ不安感。

それらが入り混じった、不思議な感慨にとらわれました。

翌日、成田空港で研修所長の見送りを受けました。

「日本での食事は最後になるね。何が食べたい?」

「うなぎが食べたいです」

まるで戦地に赴くようなやり取りをし、午後2時55分、成田発カナディアン航空002便にてまずは経由地のトロントに向かいました。

トロントに午後1時50分に到着。11時間のフライトでした。

トロントの入管で今後1年間の滞在ビザを取得し、目的地であるモントリオールに向かいました。

午後4時35分(日本時間午前5時35分)、モントリオール・ドーヴァル空港に到着。

空港にはモントリオール大学東アジア研究センターのM先生が迎えに来てくれていました。

まず大学に向かいました。

カナダの国旗のモチーフにもなっているカエデの葉が無数に落ちています。それを巨大な掃除機で掃いているのが印象的です。

ただし、通常の掃除機のように吸引するのではなく、空気を吐き出して、葉っぱを移動。散らかしているようにしか見えませんでした。

そんな様子を眺めながら、1年間住むことになる大学敷地内の寮に案内されました。

壊れそうなくらい不安定なエレベーターで上階へ。薄暗い廊下を少し歩くと私の部屋17119号室がありました。

廊下の奥にあるトイレを見たとき、私はいい知れぬ不安に襲われました。

(第2話へつづく)


(阿佐ヶ谷の街角)

(第9話からつづく)

英語のレジリエンス(resilience)は回復力、復原力といった訳語が当てられます。語源はラテン語に由来し、はね返るという意味だそうです。

オクスフォード辞書には「The capacity to recover quickly from difficulties.」と説明され、「困難から速やかに回復する力」と訳すことができるでしょう。

元の状態にする力は、本来においてすべての個々人に備わっています。

では、困難に直面し、生きる力を失ったとき、どのようすれば回復力を得ることができるのか。

それには、回復力という「因」を引き出すための「縁」が必要となります。それが、言葉であると私は思うのです。

言語学者の丸山圭三郎氏は、「身(み)分け・言(こと)分け」という考えを提唱しました。

身分けは動物がふつうに持つ本能といえましょう。たとえば、毒性のあるものを身によって感知し、誤食することを避けます。

要するに「食べられないもの」として境界線を引いている、つまり、身分けをしています。

そして、動物においては、親も子も同じく身分けの能力を有しています。

一方、人間はどうか。人間にも身分けの能力もあります。が、境界を引く作業(分節化)は、圧倒的に言葉によって行われています。

つまり、言分けすることによって環境を理解しようとします。

たとえば、動物は、毒性のあるものを身によって感知することができます。

しかし、人間は、「毒である」という言葉によってはじめて、我が身と毒との境界を引くのです。

身分けの能力が著しく低下している人間は、親は子に「毒=食べてはいけない」という言葉によって伝達し、危険から身を守ろうとします。

毒とは異なりますが、生ものをはじめとする食品に消費期限を定める意味も、身分けできない人間に、言分けによってその危険性を喚起している。そのようにいってよいでしょう。

東日本大震災の数日前、我が家の裏庭に棲むキジがけたたましく鳴いていました。いま思えば、危険を察知していたのでしょうか。

人間は、言葉を手に入れたことにより、そのような身分けの力の多くを喪失してしまいました。

かといって、言葉を放棄し、言語のない世界に戻ることは、もはやできません。であれば、どうするか。

私の仕事の師匠はよくいいます。

「言語化能力を磨きなさい」と。

言分けによって失った身分けの能力以上の力を「言葉の力」として、さらにいっそう磨きをかけ、他者に影響を与えていく。

それが、言葉の力によるレジリエンスだと私は思っています。

少々面倒くさい話になってしまいました。

要約すれば、言葉の力を鍛えて、他者に(いい方向に)影響を与え得る人間になっていきたい、ということです。私がたくさんの方々にそうされてきたように。

「病から病へ」のシリーズはこれをもって完結とします。長らくご愛読くださり、ありがとうございました。

(完)


(カフェ モカージュ。いわき市)

(第8話からつづく)

「病を受くることも多くは心より受く外より来る病はすくなし」。吉田兼好の言葉です。

また、吉田兼好は徒然草で「友とするに悪き者、七つあり」と述べ、そのうちの一つを「病なく、身強き人」と挙げています。

病気をしない頑健な人とは友達になりたくない。

兼好のいわんとすることはわかるような気がします。

今回の「病から病へ」での出来事は30歳から40歳にかけて起こったことです。

33歳の誕生日に肺がんの疑いと診断され、その後、様々な検査を受けました。

元来が悲観主義の私です。相当に落ち込みました。

父は血液のがんといわれる白血病で、母は文字通りがんで、二人とも50代で他界。祖父もまた肺がんで非常に苦しんだ末に亡くなりました。

その時点で身体に何らの不調をきたしていないにもかかわらず、すっかり意気消沈。私は生きる気力を喪失していました。

そのような中、知り合いの看護師さん(註 第4話)に院内でかけてくれた言葉「大丈夫。絶対に大丈夫。治るから」が希望となりました。

また、東京にいる先輩(註 第6話)から「肺に影があるくらいで弱気になっちゃいけないっ!」との肺腑をえぐるような鮮烈な叱咤に奮起しました。

うつになった40歳のときもやはり言葉の力によってレジリエンス(回復力)を得たと確信しています。

次回、第10話では、この言葉の力について若干の哲学的思惟(しゆい)をめぐらせて最終章としたいと思います。

(第10話へつづく)


(たくさんの支柱によって支えられる橋梁)

(第7話からつづく)

心身の状態がおかしいことは、私自身よりも周りが先に気づいていたようです。ある日、元上司からランチの誘いがありました。

「やりにくいところで頑張るのも大事だぞ」

心から尊敬する元上司です。困難な仕事であった施設整備の事業でお仕えしました。

私に全幅の信頼を寄せ、当時、整備していた施設名を冠し「○○場博士」と呼んでくれていました。これほどの誉れはありません。

また、別な元上司は「何かあったらいつでも相談して。無理しないでね」とつねに気づかってくれました。

元上司はいずれもすでに退職。10年近く経ったいまでも連絡を寄越してくれます。

さらに、同じ職場の同僚も心配し、その同僚と私が共に私淑(ししゅく)する知人に連絡を取ってくれたようです。

「○○○さんがおかしくなっている」と。

知人はわざわざ会津の地から心配してやってきてくれました。職場近くのイタリアレストランで励ましを受けたことは生涯忘れられないでしょう。

知人が教えてくれた言葉は短いものでした。

「夏は暑い」

夏が暑いことをいくら嘆いても暑い状況が変わるわけではない。そういうことを意味するものだと理解しました。

「夏は暑い」という隻句(せっく)は、私のいま置かれている状況に対する認識の変容をもたらしてくれました。

一気呵成(いっきかせい)にではありませんが、何かが変化していきました。

その言葉は、認知行動療法に似た作用をもたらしたといってよいでしょう。

相手に変わってほしいといくら願っても、叶わぬ場合もある。いや、むしろ変わらないことがふつうでしょう。そういうものだと受け入れる姿勢もまた必要である、と。

いわば俯瞰(ふかん)する目を持つことです。

世の中には共有できない価値観も存在する。価値観の異なる人同士で、どう折り合いをつけていくか。

そういうことも、また大事なことなのだろうと、いまは思います。

心療内科の主治医からも温かい助言をいただきました。

「いつでも病気休暇の診断書を出しますよ。でも、あなたはぎりぎりのところです。私に会いに来るのを一つの目標にして、もう少し頑張ってみませんか」

長距離ランナーが目の前の電柱を目標に走り、それを続けていくように、私もまた月1回の主治医の診察を受診することを目標としました。

夏に発症したうつは、翌春、人事異動とともに徐々に軽くなっていきました。

いまでは季節の変わり目やサザエさんのエンディングを聞いたたときなど、時折、気分が落ち込むことはありますが、もう、大丈夫です。

私のうつの発症により幾十人もの人が心配し、陰に陽に奔走してくれたことを私は忘れません。

うつという病を経験し、いまでは人生の肥しを得たと感じています。

(第9話へつづく)


(湘南海岸から望む富士山)

第6話からつづく)

4月に新しい部署に異動。その半年後、出勤時に駐車場に止めた車から降りられなくなりました。

足の震え、頭痛、倦怠感、そして何よりも、どうしようもない鬱屈感に襲われました。ついに出勤すらできなくなくりました。

ふとんを被ったまま、一日を過ごすようになりました。

前年度、私は仕事において深い達成感を味わいました。

これまで手掛けてこなかったような種類の施設の整備を担当。当初予定した運営方法を転換し、短日月のうちに新たな運営方法を考え、それが導入されました。

私自身にとって大きな成功体験となりました。

困難な仕事でも組織一丸となって歯車を合わせ、目標に向かっていけば乗り越えられない壁はない。

そう私は確信しました。

チームとして仕事をし、成果を得たことに私は喜びを感じました。

しかし、それは、あくまでも歯車ががっちりと合い、歯車に潤滑油が流れている場合に限ることを後に思い知るのです。

いつでも、どこでもなし得るものではないことに気づかされました。

数年前まで肺がんを恐れ、死ぬことに恐怖を感じていた私。それが、今度は打って変わって、死んでしまいたいと思ようになりました。

上司の命を受けて仕事を進めることが困難になりました。部下に対しては指示もままならなくなりました。

認知症になってしまったのではないかと思うほど記憶力が減退。判断、つまり決めるということができなくなってしまったのです。

いつも頭の中が靄(もや)がかかっているようで、熱を帯びた粘土を頭蓋骨に抱えているような気持ちでした。

心療内科を受診するとうつ病だといわれました。

第8話へつづく)


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