(カフェの朝が好きです)

朝のうちに単線のディーゼル車に乗り市中心部の駅に出てきました。休日に鉄道を使うと小旅行のような気持ちになるのが不思議です。

なじみのカフェに行ったらマスターの姿が見えません。お休みなのでしょう。マスターとの何気ない会話が好きでこの店に来ます。

会いたい人に会えない。ちょっとがっかりです。

次に南下すること4駅。生まれ育った町に降り立ちました。かつてのにぎわいはなく、さびれ具合が痛々しい。

駅前の小さな洋菓子店でロシアンケーキの詰め合わせを購入。美味しそうなチーズケーキ(238円)がありましたが、ぐっとがまん。

線路沿いの道を5分ほど歩き、辺りの風景を数枚撮影。高校3年生のとき出会ったタイの留学生がホームステイしていた場所です。

画像を添付してメールを送ってみました。4年ぶりです。

「きょうは地元自治体の招きでプーケットのホテルで歯について講演をしている」との返事が返ってきました。小児歯科が専門。元気にしているようです。

返信はしません。一往復で十分です。次回は数年後にしましょう。


(親友宅の近所のコンビニで時間調整)

さて、ここから3キロ弱山あいの方に向かって歩きます。初めて行く場所です。

途中、小中学校で親友だったお宅を訪問。約束なしで失礼かと思いました。が、連絡すると返って気を使うのではと思って突然伺いました。

仏壇に洋菓子を供し、ローソクに火を灯しました。線香に火を付けたとき、ため息が漏れてしまいました。

不慮の事故で亡くなって23年。居間でご両親と対面しました。無沙汰をお詫びしました。

お元気そうでほっとしました。

私がテレビや新聞に出るたびにいつも話題にしてくださっているとのこと。恐縮至極。


(きょうの振り返りを夜のカフェで)

親友宅を辞去し、40分ほど歩きました。途中、母校の脇を通りました。築49年。雨漏りをなんとかせねばと仕事の目で見ました。

目的地の多目的会館「三香縁」に到着。七草会という地域の有力者で構成される団体に招待を受けての参加です。

元中学校長の講演を聴講そして懇談会。

「弔うは元来『とぶらふ』、つまり、『訪う』から来ている」との講師の話に私はいたく感銘を受けました。

寒い一日でしたけど心はぬくもりました。


(秋深し)

赤飯、メロン、シイタケ、ナスが苦手だという友人。ゆっくりと話をしたのは卒業以来。約30年ぶりです。宮崎から出張でこちらに寄ってくれました。

赤飯は、わけもなく嫌いらしい。前世はアメリカ人だったのではないか、と本人は勝手に思い込んでいます。

肴で運ばれてきたナスの揚げびたしをどんなに勧めても、強く拒絶されました。

「こんなにおいしいナス、なんで食べられないの。カブトムシみたいに見えるから?」

「皮と中身のギャップがいやなんだよ」

友人曰く。メロンとシイタケとナスには共通したものがあるという。

「ぶよぶよとした部分がいやなんだよ。口が受け付けない」

「ぶよぶよ?へ〜」

同じ寮に住み、同じゼミだったのに。

友人が赤飯、メロン、シイタケ、ナスが苦手だったなど露知らず。友人のことをまったく知らず、申し訳ない思いです。

いかに当時の私は殻に閉じこもっていたか。いかに周りの人のことを考えていなかった。

そういうことだと思います。

寮のコンパで一芸を披露した際、先輩のSさんからいわれた「己を捨てるんや」との言葉。いまふたたび胸中に蘇ってきます。

私の芸は、憑依した霊媒師でした。トランス状態になり、己を捨てて演じました。

映画監督として活躍するSさんの詳細は「谷グチ夫妻」を参照。

「人生に必要な知恵はすべて学生寮で学んだ」

私の偽らざる実感です。

職業柄、そして、職階も上がり、コスチュームもそろそろ卒業したほうがいいのではないか。そんな心の声も響いてきます。

が、着ると別な人格を発見できる快感がやめられません。

忘年会シーズンの到来間近とあって、新たな着ぐるみの物色に余念のない今日このごろです。




(緑の鉄塔。こんな着ぐるみ、ほしい)

34年前のいまごろ、私は中学3年生。卓球部に所属していました。新1年生が入部してくると、2年生は途端に先輩ヅラし、3年生も偉そうにするものです。

家族が中華料理店を営む1年生の男子が入部してきました。お店の名前は「洋々」(仮名)。

いつしか部員は彼のことを店名で呼びようになり、彼もそれを受け入れていました。いま思えば不本意だったはずです。

「洋々、ボール持ってこい」などと、呼ばれていました。

伊武雅刀が歌うように、子どもは決して天真爛漫ではありません。ときに酷であり、非情です。

中学時代のクラスメートで頭が円筒形の男子がいました。

彼は“ガスタンク”とあだ名を付けられました。しばらくすると、タンクが省略され、「ガスっ!」としか呼ばれないようになりました。ひどいですね。

教室でオナラをしたことがきっかけで“へ”と名付けられた友人もいます。「星々のつぶやき」で以前、紹介したことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

山本有三著『路傍の石』では、少年による執拗なイジメが克明に描かれています。胸がえぐられる思いです。

さて、きょう母校の近くに出向く仕事がありました。打合せを終え、時間を見ると昼前です。

34年ぶりに中華料理店「洋々」に係長とともに入りました。“彼”が後を継いでいれば、店にいるはず。

元気にしているだろうか。

申し訳ないことに、私は彼の姓も名も覚えていないのです。

「生年月日からすると2年下の後輩に間違いないのではないですか」

壁に掲げられている調理師免許状を係長が指していいました。

記載されている名前をじっと見ました。が、彼の名前なのかどうか確証がありません。

私たちは「今日のランチ」肉玉ねぎ炒め定食を注文。

奥様とおぼしき店の人に名刺を渡して、中学校で卓球部に所属していたか訊いてもらいました。

厨房から彼が出てきました。

「私が3年のとき1年生でしたよね」
「....」
「名前は◯◯◯です。覚えてますか」
「....」
「カットマンをやってたんだけど」
「あ、E先輩と同級の?」
「そうそう」
「あ〜...」

しばらくして、肉玉ねぎ炒め定食が運ばれてきました。肉玉ねぎのほかにコンニャクの醤油煮と漬け物、そして缶詰のミカンが付いていました。

係長と私は無言で食べました。コンニャクもミカンもキンキンに冷えていたのが印象的でした。

彼ともっと話をしたかったような、ちょっと謝りたかったような、もしや一品出てくるのではとの淡い期待が織り混ざった、すっきりしない感情に覆われながら、食事を終えました。

ライスの盛りはすごかったです。

34年の歳月を埋めるのは簡単ではないと思っただいこんくんなのでした。


(米沢と喜多方の境)

佐賀県知事選に落選したとき、命を絶とうとするほど落ち込んだという。

ふつうなら、選挙に負けたなら、表(舞台)には出てこないだろう。そういいながら、樋渡啓祐さん(45歳)は、私たちに熱く語りかけます。

現在、講演の依頼は、武雄市長だったときより多いという。

「日本人は義経が好きなんです」

衰えぬ人気の理由を判官贔屓によるものであると樋渡さんは分析して見せました。が、私の見立ては違います。

地位や役職のいかんにかかわらず、素のままの樋渡さんに大いなる魅力があり、みながそれに魅了されているからなのだと私は思います。

樋渡さんは、落選の報を受けた日の夜から翌朝まで、寝ては目を覚まし、またまどろみ、独り煩悶。悩みぬく中で滂沱(ぼうだ)として涙が止まらなかったそうです。

当選が確実視されていた中で、苦衷はいかばかりだったか。描いていた夢もあったことでしょう。応援してくれた支持者の顔(かんばせ)も浮かんだに違いありません。

悩みぬいた末に樋渡さんは、起業することで再起を決意したそうです。

置かれているシチュエーションは異なりますが、釈尊の降魔成道(ごうまじょうどう)のエピソードを思い起こしました。

釈尊が悟りを開く際に、魔と戦い、打ち勝つ様子が経典に記されています。仏典でいう「魔」とは、己心に内在する働きです。

心の葛藤劇が降魔成道なのだといってもいいかもしれません。


(山形市内の街並み)

樋渡さんの講演は今回で3度目。

改めて感じたのは、言葉の持つ力です。言葉に込める力といってもいいかもしれません。

言語化する力を意識して磨き続けていらっしゃることを強く感じました。

「熊本にはくまモンがいるが、武雄にはいちゃもんがいる」

樋渡さんの進めてきた取り組みは、図書館の整備(TSUTAYAなどを展開するCCCが運営)にしても、病院の民間移譲にしても、公式ページのfacebook化にしても、スピードが尋常でありません。

数多くのいちゃもんがあったと聞いています。議会などでも白熱した議論となり、休議もしばしばだったそうです。

「ストーリー(物語)が重なると、ヒストリー(歴史)になる」

今回の講演会で心に深く残った言葉です。樋渡さんは周りから独裁といわれ、ご本人も「独裁です」と自認しています。「だけど、放任している」と。

樋渡さんは関係性を重視する方です。一人でなし得る力の限界を熟知している方でもあります。

数多くの職員や協力者を巻き込みながら、一人ひとりの力を結集して、一つのものを作り上げいった自負が上述の言葉を紡ぎだしたのではないか。

私にはそう感じます。

質疑応答で最後に質問した学生の問いが私の胸を打ちました。

「こんなにも反対に遭いながら、非難されながら、なぜ、これほどまでに情熱をもって取り組めるのか。その根源はなんなのか」

その秀逸な質問は、樋渡さんの琴線に触れたようです。

ご自身の体験を織り交ぜた樋渡さんの答えに私は深く感銘を受けました。勇気をもらいました。心が洗われました。

本当に素晴らしい「東北まちづくりオフサイトミーティング第20回勉強会in山形」でした。

関係者の皆さんに心から感謝申し上げます。


(川内村のいわなの郷)

日々の生活で気がついたこと、気になること、それらは「星々のつぶやき」のネタの素材になります。

フレッシュな素材をそのまま使うこともあります。が、大概は「ネタ畑」で育苗し、花を咲かせ、実りに至って初めて使います。

育苗中のネタ畑をちょっと覗いてみましょう。


(スーパーの多目的トイレの注意書)

まず、トイレネタ。最も得意とするところです。

10分以内で完了しないと従業員が声がけをするトイレ。便座の右側に貼ってありました。ウルトラマンの焦りに親近感が湧きます。

腹痛時は第二波、第三波の方が重篤な場合があるのです。

こんな注意書を見ると、途端に大腸に緊張が走り、蠕動運動機能が急速に低下。汗が吹き出します。

その後の顛末を面白おかしく綴るのもいいかもしれないとは思います。

けれど、トイレネタばかり頻出すると、読者が離れるおそれがあるため、抑制的であらねばと自戒しています。

次に、ミステリーネタ。私は超常現象に人一倍、いや百倍興味があります。

火星の人面岩ってバイク販売のレッドバロンのロゴと似ていないか、というネタ素材。

まだ、磨きがかかっていません。たぶん、ボツになるでしょう。

それから、国際ネタ。昨日から遊びに来ている30年来のタイの友達から聞いた話。

機微に触れるタイ政治の今後の行方や日本の商社の戦略などを彼から教えてもらいました。そうだったのかというものが少なくありませんでした。


(友達の略歴。昔からよく勉強していました)

彼に迷惑が及ばないように時期を置いてから、そして、表現に注意して書こうと思います。いましばらくネタ畑で生育させます。

というわけで、ポップコーンの思い出についてお話する紙幅がなくなってしまいました。申し訳ありません。

学生時代、ポップ仮面というキャラを演じながら、ポップコーンを売っていたことをお伝えするだけにして、今回は筆を置きたいと思います。


(無印のトムヤムクン。けっこういいです)

弟から昼食の誘いがあっていっしょに食べました。二人でお昼を食べるなんて何十年ぶりのことでしょう。談たまたま、かつて住んでいた火力発電所の社宅時代のことが話題に。

「そういえば、いまの職場に9号アパート出身者がいるよ」と私が切り出すと。

「だれなの」

「のぼちゃんだよ。覚えてる?帰りに会ってみる?」

というわけで、30年数ぶりに弟とのぼちゃんが再会しました。

のぼちゃん曰く、「共同浴場側の2階にいたふーちゃんもここにいるよ」。

ふーちゃんは出張で不在でした。

のぼちゃんと弟と私で盛り上がり、9号会をやろうということになりました。

「ゆたちゃんはどこにいるの。しょうちゃんとみのちゃんはいっしょに働いているみたいだよ...」

あの当時、みんなあだ名で呼びあっていた私たち。人脈を辿っていけばそれなりの人数が集まれそうです。

ところで、常磐炭鉱の流れを汲む火力発電所は「一山一家(いちざんいっか)」の気風が残っていたように思います。

火力発電所は、父の勤める会社というだけではなく、「私たちの会社」ととらえていました。社宅に住む家族全員が「火力」に帰属意識を持っていました。

会社の運動会では、1号棟から12号棟まであるアパートが東西南北に分かれ、激しい応援合戦をしました。

9号棟から12号棟は西組。運動会の前にドラム缶を改造した太鼓で応援の練習をした記憶があります。

かけ声がまた変わっていました。

「勝った方がいっ。勝った方がいっ。に〜しがんばれ、に〜しがんばれ」

勝った方がいいに決まっているのですが、それを連呼するのです。

会社の運動会になぜあれほどまでに熱を上げることができたのか。本当に不思議です。

運動会が終わると、その夜は各アパートでは空き部屋を利用して大宴会が始まります。

大人たちは大人たちで集まり、なぜか卵酒を大きなボウルに作って飲みます。

子どもたちは別の部屋でふだんはなかなか飲むことのできないファンタやコカ・コーラをこのときばかりは底なしに飲むことができます。

あの熱気はいったいなんだったのか。いまとなってはおとぎの世界のようです。


(飲茶の美味しい「Le Parc」)

子どものころ、家に1メートルの竹製の物差しがありました。飴色の古びたもので、なぜかカーテンレールの上が定位置でした。

物差しの表側には10センチ間隔で惑星の公転軌道のような丸印が刻まれていました。

母が裁縫で採寸をするとき、
照明の笠に風船が上がってしまったとき、
たんすと壁の隙間に鉛筆が転がってしまったとき、
そして蒲団叩きにも使われていた我が家の物差し。

物差しと定規はどう違うのか。正直私もよくわかりません。

たぶん余白があるかどうかではないでしょうか。1メートルの物差しは端から端までの長さはぴったり1メートルです。

でも、定規は少し余白があります。30センチの定規は30センチと8ミリくらいあるはずです。


(Le Parcの店内)

ところで、先日ふた回り歳上のご婦人と会食いたしました。正確にいうと、飲茶をご馳走になりました。タイ・バンコクの飲茶専門店に勝るとも劣らない味です。

背筋をしっかりと伸ばし、歩く姿が凛としています。そのことを正直に申し上げました。

「歩くお姿が背筋がぴんと伸びていらっしゃいますね」

「それは母のお蔭です」

その方は子どものころ猫背でお母様に背中に棒を入れられて姿勢を直されたそうです。

そのときふと、昔、我が家にあった飴色の竹製の物差しのことを思い出しました。

このようなことを書いていたら私の弟から顕微鏡の画像が送られてきました。


(プランクトンなどを見ていた顕微鏡)

私が小学生のとき父に買ってもらった顕微鏡が物置から出てきたというのです。じつに懐かしい。40年近く前のものです。

古びた物差しと顕微鏡。

父母の在りし日を思った振替休日でした。


(朝粥の会)

学生時代に感銘を受けた山本周五郎著『樅の木は残った』。江戸時代前期に起きた伊達騒動を描いた作品です。

作中で主人公の原田甲斐が一族や友人を招いての「朝粥の会」を催す場面があります。いまも深く印象に残っています。

その「朝粥の会」にちなんで地元のワシントンホテルで友人と二人で美味しい朝食を共にしながら意見交換をしました。

5千円かけての夜の懇親もいいでしょう。

でも、朝、ホテルで1,200円のビュッフェを味わいながら会話を楽しむのも、また格別の趣があります。

話題に上ったのが、頻繁に会っていない人との“ゆるいつながり”の大切さです。

株式会社コーチ・エィ取締役の粟津恭一郎氏は、コラムでマネジメントの研究者ダニエル・レビン教授の実験を紹介しています。

「『以前は頻繁に会っていたけれど、現在は連絡をとっていない人たち』との関係を『復活』させるとどのようなことが起こるか」という実験を実施。

実験の結果、「休眠状態のつながりからもらったアドバイスの方が、現在進行形のつながりからもらったものよりも価値があった」のだそうです。

「休眠状態のつながりは自分自身の大きな財産」と粟津氏は述べ、「休眠状態だけれど、連絡してみたい人」のリストの作成を勧めています。

というわけで、しばらく休眠状態に入ろうかと思案中のだいこんくんなのでした。


(「KIRIMIちゃん」もどき byだいこんくん)

どんな人なんだろう、会ってみたいなと思う人の一人に「いちごの王さま」こと辻信太郎氏(86歳)がいます。

同氏は1927年12月に山梨県に誕生。桐生工業専門学校化学工業学科(現・群馬大学工学部)卒業。その後、山梨県庁に入庁。

1960年8月に県庁を退職。辻氏32歳のときです。山梨県の物産である絹製品を販売する同県の外郭団体だった山梨シルクセンターを株式会社化。社名をそのまま引き継いで、創業しました。

でも、その本業で早々に失敗し、小物雑貨の販売に転じたそうです。最初の成功は花柄を付けたゴム草履だったという。

1973年に商号を株式会社サンリオに変更。創業時から現在に至るまで辻氏が社長を務めています。

同社のサイトで辻氏は「SanrioとはSaint River『聖なる河』を表す言葉なのです」と述べています。が、「山梨王(さんりおう)が由来」とのガセ情報のほうが信憑性があるような気がします。

「月刊いちご新聞」でいちごの王さま(辻氏)は、「いちごの王さまからのメッセージ」を毎回掲載しています。ちなみに「いちごの王さま」はサンリオで一番最初のキャラクターです。

同社のキャラクターの中で私は「KIRIMIちゃん」が好きです。

ところで、昨年8月29日付の日経新聞で「サンリオの辻邦彦副社長が19日死去した。邦彦氏は創業者の辻信太郎社長(85)の長男で61歳だった。かねて辻社長は『次は邦彦副社長に決めているのでいつ辞めても問題ない』と公言するなど交代は既定路線だった」と報じており、同社は目下後継者問題で揺れているようです。

まさに「創業は易く守成は難(かた)し」(唐書)ですね。新しく事業を興すことよりも、その事業を受け継いで守り続けていくことのほうが難しいものです。


(「初秋の松島」byだいこんくん。メーカー希望小売価格108円)

というわけで、私の描くイラストもごく一部の間で人気があります。

サンリオの代表的なキャラクターのハローキティは関連グッズで全世界で年間数千億円もの売上になるそうです。

不肖私もキャラクタービジネスを始めようかと“捕らぬ狸の皮算用”に余念のないだいこんくんなのでした。


(家庭料理 うさぎ)

こうも暑いと湖水で涼みたくなります。国内では福島・裏磐梯の湖沼群、海外ではカナダ・ケベックのローレンシャン高原、イギリス・イングランドの湖水地方がいいですね。

「どこでもドア」を使って行けないものでしょうか。ちなみに、どこでもドアは英語でanywhere door。本当です。

さて、湖水地方を舞台にした『ピーターラビットのお話』の作者ヘレン・ビアトリクス・ポターは同地方の環境保全に尽力した人としても知られています。

(首を締められて苦しそうに見えるピーターラビット)
※「ピーターラビット」を「ピーターうさぎ」と訳す場合もある。

彼女は美しい自然を守るため、著作権使用料などの自身の財産で湖水地方の多くの小屋、15の農場、4000エーカーの土地を買い、ボランティア団体である「ナショナル・トラスト」に託しました。

団体の正式名称は、「歴史的名所や自然的景勝地のためのナショナル・トラスト」(National Trust for Places of Historic Interest or Natural Beauty)と言います。

このような由来からイギリスにおいてピーターラビットはボランティアを象徴するマスコットになっています。

うさぎと言えば、先日「家庭料理うさぎ」で美味しい料理とお酒を味わいました。隠れ家のようなお店です。教えたくないので軽く触れる程度にします。

太刀魚(たちうお)の塩焼きやズッキーニの肉巻き焼き、湯がいたアスパラガスが絶品でした。

独自ルートで仕入れる太刀魚は既成概念を覆す肉厚なものでアロワナもびっくりです。山梨産のズッキーニはくせがなく豚肉との相性が抜群。筆太の会津坂下産のアスパラガスは絶妙な茹で加減でした。女将さんの真心が伝わってきます。


(淡水域に住む熱帯魚アロワナ)

カウンターで隣合せとなった二人のご婦人と私はあいさつを交わしました。

お二人は福島を応援するため、近々相馬野馬追を見に行くというのです。

うち、お一人のご婦人は親戚がいた関係で私の生まれ故郷の町をたびたび訪れていたそうです。世間の狭さを感じました。


(©ぴーたーらでぃっしゅ)

というわけで、私もビアトリクス・ポター女史にならって、『ぴーたーらでぃっしゅのお話』を創作し、著作権使用料で悠々自適の生活を送りたいものだと思っています。


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