(いつものカフェ「讃香」)

会津で国際交流の集まりがありました。終了後、紅葉彩る戸外で集合写真を撮影。

私は集合写真が好きではありません。特に立ったままのものはきらい。

私、かなりのO脚なのです。みっともないくらいO脚です。集合写真の際、内側にキュッと力を入れるものの無駄なあがき。

どうしてもデレっとした感じに写ってしまうのです。写真を見るたびにがっかりします。矯正できるものなら直したい。

さて、そんな集合写真が仙台から封書で届きました。会津で行われた国際交流の集まりでの一コマです。


(葉書はモントリオール在住の画家の作品。ボールペンは米国加州のお土産でいただいたもの)

わざわざ写真屋さんでプリントアウトし封書で、一筆添えて投函する。アナログです。面倒極まりない。だからこそ送り手の思いが伝わってきます。

昼前、心のオアシスことカフェ「讃香」にきました。

私もまた礼状を電子メールではなく、葉書でしたためます。紅茶を飲み終えたら切手を貼り投函しましょう。

店内では美輪明宏の歌声が流れています。昭和な雰囲気が好きです。

それにしても、このO脚。なんとかならないものでしょうか。


(ほぼ毎日お弁当を作っています)

うまみ調味料で有名な食品メーカーの方の来訪を受けました。社会貢献活動として震災時から社員を被災地に派遣。食の分野で支援活動に取り組んでいます。

お話を聞きながら、ふと30年前のタイでの出会いを思い出しました。

「私、タイに留学していたとき、貴社から同じ大学に派遣留学されていた方にお世話になったんです。でも、名前を失念し思い出せないんです」

業務とは関係のない話をお客様に切り出しました。

「どんな感じでしたか」

「小柄でがっちりしていて...」

「頭はどうでしたか、もしかして、こう、なんていうか、ちりちりというか」

「そうです、髪の毛はちりちりでした」

「それでしたら、Tさんです」

「ああ、そうですTさんです!」

「いまどちらにいらっしゃるんですか」

「ポーランドです。海外が長いですね」

きょうはじつに懐かしいお名前を思い出すことができました。

留学中、うまみ調味料のことやマヨネーズのことなど、タイ料理を食べながらTさんといろんな話を聞かせてもらいました。

暑熱のタイにいながらも、ワイシャツの第一ボタンをきちっと閉めていました。紳士でした。同じ東北出身で親近感を持っていました。

ポーランド。

どのくらい遠いのでしょう。ショパンと「ワレサ 連帯の男」しか思い浮かびません。

行ってみようかなって、ひそかに思い始めました。


(北木島の浜辺で散策)

職場のスタッフの結婚披露宴。新郎の主賓として挨拶しました。1か月前に原稿を作り、直前まで推敲。

本当は数着持っている野菜の着ぐるみを着て喜びを表したかったこと、しかし、パフォーマンスすればこのような上司の下に新郎がいることに不安を覚えるであろうことを冒頭に開陳。

特に受けませんでした。私は座の白けた雰囲気を味わうことも趣味としており、この程度でリジリエンス(折れない心)は揺らぎません。

返って、だいこんの着ぐるみを羽織ればよかったかもしれないと思いました。後悔先に立たず。

新婦側の主賓挨拶は職場の同期の友人です。歩んできた職場は違うけれど、お互い会えば、声をかける仲です。

主賓同士で隣席に座りながら、近況を報告し合いました。友人が私に語りかけます。

「あのときつらかったでしょう。◯◯経営課にいたとき」

「よく知ってますね。本当に大変でした」

同期のその友人の人柄や仕事ぶりはそれなりに知ってはいたつもりでした。

が、私が彼を知る以上に私のことを深く知っていたことに驚きとともに温かいものが胸の中に広がりました。

他者の苦しみに共感できる心を持つこと。これこそが大切である、と。

様々な意味において心温まる披露宴に出席させていただきました。


(読むほどに切なくなる本です)

駅前のビルの一角で同僚たちと勉強会。ノンアルコールです。こういう同志がいることを誇りに思います。

ロビーでばったり元上司と会いました。期日前投票の立会人だという。

「会いたいと思っていたんだよぉ」

「私もです。『東京砂漠』を聞きたいと思っていました」

元上司のカラオケは絶品です。昭和歌謡曲を情緒豊かに、しかも譜面より半テンポ遅らせる、いやらしい歌い方がたまらない。

以前、「瀬戸の花嫁」をリクエストしたら、あまりにも感動的で私は大喝采しました。

学生時代、合唱部に所属していた元上司曰く。

「『東京砂漠』はね、架空の話じゃなくて、そういう事実があったことがわかったんだよ」

「へ〜、東京が砂漠になったんですか」

「そうなんだよ。渇水で東京に水がなくなって東京砂漠って呼ばれたんだ」

昭和39年に発生した関東地方の大渇水を通称「東京砂漠」といっていたらしい。ダムが干上がり、水没した村まで出現したとか。

東京で発生した渇水を東京砂漠と称していたなんて私は知りませんでした。

元上司は私が「東京砂漠」をリクエストすることを楽しみにして、わざわざ調べていたようです。心が温かくなりました。

「東京砂漠」の2番目の歌詞「ビルの谷間の 川は流れない/ひとの波だけが 黒く流れて行く」が特に好きです。

元上司と私との間には心通うものが流れています。近々、昭和歌謡大会を元上司と催したいと思います。

ちなみに私は正真正銘の本格派の音痴。ですから、まったく歌いません。

本格派の音痴。それは、無理に歌わせた場合、歌っている当人はもちろんのこと、聞いている方もいたたまれない思いになります。

人生とは、いたたまれない思いをした数だけ優しくなっていくのかもしれない。


(雨の中でかがんで撮るのは大変です)

訃報を受けて参列しようかどうか逡巡していた遠戚のお悔やみ。葬儀に行ってきました。亡父のいとこの御母堂(享年93歳)です。神葬祭でした。

仏式での焼香はいたって簡単。

近年の葬祭場では、抹香の一つまみを推奨しているところもあり、よりいっそう簡便に。大脳を使わず脊髄反射のレベルでできます。

神葬祭は市南部の一部の地域だけ。たまにしか遭遇しないため、どうするのか忘れてしまいます。

初めて神葬祭の葬儀に参列したときは、三方に盛られているお米を前に身体が硬直。お米を凝視したまま、いったいどうするのかわかりませんでした。

さて、儀式の最中、雅楽が生演奏で奏されました。篳篥(ひちりき)と笙(しょう)です。ときおり横笛も奏でられていました。

篳篥の何ともいえない尻上がりの音色を聞いていて、けっして優美とはいえないと感じました。

笑点のテーマ曲に出てくるパフパフラッパを連想してしまう私は不謹慎だなぁと思いました。

低頭の時間が長く、うつらうつらしているときにそんなことを考えました。

清少納言は『枕草子』で「篳篥はいとかしがましく、秋の虫といはば轡虫などの心地してうたてけぢかく聞かまほしからず」と述べています。

要するに、篳篥の音色は、クツワムシのように不快だということです。

神事が終わり、篳篥で「ふるさと」を演奏するとのアナウンスが。白い衣冠装束をまとった奏者が顔を真っ赤にして“力奏”する姿はすさまじいものがありました。

というわけで、私の亡父の顔によく似たいとこや私の叔母などに会い、旧交を温めることができました。

「この前、テレビに出ているのを見たよ。アップで映っていたね」

「ありがとうございます。仕事で取材を受ける機会が多く、この1年で6回ほどテレビに出ています。恐縮です」

私自身は面識のない複数の親戚が幼いときの私の呼称で声をかけてくれました。

こちらは疎遠のつもりでも先方は気にかけてくれている。そんなことを知った温かい神葬祭のお葬式でした。


(造花もアングルによって魅惑の被写体に)

数年越しの念願が叶いました。愛読者のYさんとの差しでの語らい。

一畳もない正方形の個室。これまた小さな正方形の座卓がコーナーに押し付けられ、座席はL字型に配置されています。

狭く天井が低い。これは、刀を振り回せないように作られた茶室を思わせます。土壁に一輪のバラの造花。妖しい光を放っています。


(私にとって赤提灯は誘蛾灯。※イメージ)

「一見ムダに見える“遊びの部分”が大事だと思うんです」と、Yさん。私も深く賛同。

ムダに面白い企画の象徴として「トリビアの種 等身大のペッタン人形を高層ビルから落とすと何m進む?」をiPadで視聴。

遊びにここまで真剣に取り組むと、もはや教育テレビに域に達しているのではないか。

ムダを超越した何かを私たちは感じ取りました。

熱を帯びるYさんの語り。直近の投稿「軽トラックの断崖絶壁感」にもメスが入ります。

「お腹が弱いとばかり思っていただいこんくんが腰も弱く、ふらふらしている。その様子が手に取るようにわかるんです」

「いや、もう電動ベッドが重くて...。よろけて引き戸に思いっきりぶつけてしまったんです」


(ITろくろなポーズを取るYさん)

熱く語るYさんを激写。それを見せると...

「おっ、この手はITろくろじゃないですか」

「何ですか。ITろくろって」

「後で検索してください。出てきますから。この手の形がろくろ回しのようだということからきています。IT関係者に共通したポーズなんです」

というわけで、きょうもまた一つ学びの収穫がありました。ーー ITろくろ。

持つべきは友。改めて感じた次第です。


(カフェの朝が好きです)

朝のうちに単線のディーゼル車に乗り市中心部の駅に出てきました。休日に鉄道を使うと小旅行のような気持ちになるのが不思議です。

なじみのカフェに行ったらマスターの姿が見えません。お休みなのでしょう。マスターとの何気ない会話が好きでこの店に来ます。

会いたい人に会えない。ちょっとがっかりです。

次に南下すること4駅。生まれ育った町に降り立ちました。かつてのにぎわいはなく、さびれ具合が痛々しい。

駅前の小さな洋菓子店でロシアンケーキの詰め合わせを購入。美味しそうなチーズケーキ(238円)がありましたが、ぐっとがまん。

線路沿いの道を5分ほど歩き、辺りの風景を数枚撮影。高校3年生のとき出会ったタイの留学生がホームステイしていた場所です。

画像を添付してメールを送ってみました。4年ぶりです。

「きょうは地元自治体の招きでプーケットのホテルで歯について講演をしている」との返事が返ってきました。小児歯科が専門。元気にしているようです。

返信はしません。一往復で十分です。次回は数年後にしましょう。


(親友宅の近所のコンビニで時間調整)

さて、ここから3キロ弱山あいの方に向かって歩きます。初めて行く場所です。

途中、小中学校で親友だったお宅を訪問。約束なしで失礼かと思いました。が、連絡すると返って気を使うのではと思って突然伺いました。

仏壇に洋菓子を供し、ローソクに火を灯しました。線香に火を付けたとき、ため息が漏れてしまいました。

不慮の事故で亡くなって23年。居間でご両親と対面しました。無沙汰をお詫びしました。

お元気そうでほっとしました。

私がテレビや新聞に出るたびにいつも話題にしてくださっているとのこと。恐縮至極。


(きょうの振り返りを夜のカフェで)

親友宅を辞去し、40分ほど歩きました。途中、母校の脇を通りました。築49年。雨漏りをなんとかせねばと仕事の目で見ました。

目的地の多目的会館「三香縁」に到着。七草会という地域の有力者で構成される団体に招待を受けての参加です。

元中学校長の講演を聴講そして懇談会。

「弔うは元来『とぶらふ』、つまり、『訪う』から来ている」との講師の話に私はいたく感銘を受けました。

寒い一日でしたけど心はぬくもりました。


(秋深し)

赤飯、メロン、シイタケ、ナスが苦手だという友人。ゆっくりと話をしたのは卒業以来。約30年ぶりです。宮崎から出張でこちらに寄ってくれました。

赤飯は、わけもなく嫌いらしい。前世はアメリカ人だったのではないか、と本人は勝手に思い込んでいます。

肴で運ばれてきたナスの揚げびたしをどんなに勧めても、強く拒絶されました。

「こんなにおいしいナス、なんで食べられないの。カブトムシみたいに見えるから?」

「皮と中身のギャップがいやなんだよ」

友人曰く。メロンとシイタケとナスには共通したものがあるという。

「ぶよぶよとした部分がいやなんだよ。口が受け付けない」

「ぶよぶよ?へ〜」

同じ寮に住み、同じゼミだったのに。

友人が赤飯、メロン、シイタケ、ナスが苦手だったなど露知らず。友人のことをまったく知らず、申し訳ない思いです。

いかに当時の私は殻に閉じこもっていたか。いかに周りの人のことを考えていなかった。

そういうことだと思います。

寮のコンパで一芸を披露した際、先輩のSさんからいわれた「己を捨てるんや」との言葉。いまふたたび胸中に蘇ってきます。

私の芸は、憑依した霊媒師でした。トランス状態になり、己を捨てて演じました。

映画監督として活躍するSさんの詳細は「谷グチ夫妻」を参照。

「人生に必要な知恵はすべて学生寮で学んだ」

私の偽らざる実感です。

職業柄、そして、職階も上がり、コスチュームもそろそろ卒業したほうがいいのではないか。そんな心の声も響いてきます。

が、着ると別な人格を発見できる快感がやめられません。

忘年会シーズンの到来間近とあって、新たな着ぐるみの物色に余念のない今日このごろです。




(緑の鉄塔。こんな着ぐるみ、ほしい)

34年前のいまごろ、私は中学3年生。卓球部に所属していました。新1年生が入部してくると、2年生は途端に先輩ヅラし、3年生も偉そうにするものです。

家族が中華料理店を営む1年生の男子が入部してきました。お店の名前は「洋々」(仮名)。

いつしか部員は彼のことを店名で呼びようになり、彼もそれを受け入れていました。いま思えば不本意だったはずです。

「洋々、ボール持ってこい」などと、呼ばれていました。

伊武雅刀が歌うように、子どもは決して天真爛漫ではありません。ときに酷であり、非情です。

中学時代のクラスメートで頭が円筒形の男子がいました。

彼は“ガスタンク”とあだ名を付けられました。しばらくすると、タンクが省略され、「ガスっ!」としか呼ばれないようになりました。ひどいですね。

教室でオナラをしたことがきっかけで“へ”と名付けられた友人もいます。「星々のつぶやき」で以前、紹介したことを覚えている方もいらっしゃるでしょう。

山本有三著『路傍の石』では、少年による執拗なイジメが克明に描かれています。胸がえぐられる思いです。

さて、きょう母校の近くに出向く仕事がありました。打合せを終え、時間を見ると昼前です。

34年ぶりに中華料理店「洋々」に係長とともに入りました。“彼”が後を継いでいれば、店にいるはず。

元気にしているだろうか。

申し訳ないことに、私は彼の姓も名も覚えていないのです。

「生年月日からすると2年下の後輩に間違いないのではないですか」

壁に掲げられている調理師免許状を係長が指していいました。

記載されている名前をじっと見ました。が、彼の名前なのかどうか確証がありません。

私たちは「今日のランチ」肉玉ねぎ炒め定食を注文。

奥様とおぼしき店の人に名刺を渡して、中学校で卓球部に所属していたか訊いてもらいました。

厨房から彼が出てきました。

「私が3年のとき1年生でしたよね」
「....」
「名前は◯◯◯です。覚えてますか」
「....」
「カットマンをやってたんだけど」
「あ、E先輩と同級の?」
「そうそう」
「あ〜...」

しばらくして、肉玉ねぎ炒め定食が運ばれてきました。肉玉ねぎのほかにコンニャクの醤油煮と漬け物、そして缶詰のミカンが付いていました。

係長と私は無言で食べました。コンニャクもミカンもキンキンに冷えていたのが印象的でした。

彼ともっと話をしたかったような、ちょっと謝りたかったような、もしや一品出てくるのではとの淡い期待が織り混ざった、すっきりしない感情に覆われながら、食事を終えました。

ライスの盛りはすごかったです。

34年の歳月を埋めるのは簡単ではないと思っただいこんくんなのでした。


(米沢と喜多方の境)

佐賀県知事選に落選したとき、命を絶とうとするほど落ち込んだという。

ふつうなら、選挙に負けたなら、表(舞台)には出てこないだろう。そういいながら、樋渡啓祐さん(45歳)は、私たちに熱く語りかけます。

現在、講演の依頼は、武雄市長だったときより多いという。

「日本人は義経が好きなんです」

衰えぬ人気の理由を判官贔屓によるものであると樋渡さんは分析して見せました。が、私の見立ては違います。

地位や役職のいかんにかかわらず、素のままの樋渡さんに大いなる魅力があり、みながそれに魅了されているからなのだと私は思います。

樋渡さんは、落選の報を受けた日の夜から翌朝まで、寝ては目を覚まし、またまどろみ、独り煩悶。悩みぬく中で滂沱(ぼうだ)として涙が止まらなかったそうです。

当選が確実視されていた中で、苦衷はいかばかりだったか。描いていた夢もあったことでしょう。応援してくれた支持者の顔(かんばせ)も浮かんだに違いありません。

悩みぬいた末に樋渡さんは、起業することで再起を決意したそうです。

置かれているシチュエーションは異なりますが、釈尊の降魔成道(ごうまじょうどう)のエピソードを思い起こしました。

釈尊が悟りを開く際に、魔と戦い、打ち勝つ様子が経典に記されています。仏典でいう「魔」とは、己心に内在する働きです。

心の葛藤劇が降魔成道なのだといってもいいかもしれません。


(山形市内の街並み)

樋渡さんの講演は今回で3度目。

改めて感じたのは、言葉の持つ力です。言葉に込める力といってもいいかもしれません。

言語化する力を意識して磨き続けていらっしゃることを強く感じました。

「熊本にはくまモンがいるが、武雄にはいちゃもんがいる」

樋渡さんの進めてきた取り組みは、図書館の整備(TSUTAYAなどを展開するCCCが運営)にしても、病院の民間移譲にしても、公式ページのfacebook化にしても、スピードが尋常でありません。

数多くのいちゃもんがあったと聞いています。議会などでも白熱した議論となり、休議もしばしばだったそうです。

「ストーリー(物語)が重なると、ヒストリー(歴史)になる」

今回の講演会で心に深く残った言葉です。樋渡さんは周りから独裁といわれ、ご本人も「独裁です」と自認しています。「だけど、放任している」と。

樋渡さんは関係性を重視する方です。一人でなし得る力の限界を熟知している方でもあります。

数多くの職員や協力者を巻き込みながら、一人ひとりの力を結集して、一つのものを作り上げいった自負が上述の言葉を紡ぎだしたのではないか。

私にはそう感じます。

質疑応答で最後に質問した学生の問いが私の胸を打ちました。

「こんなにも反対に遭いながら、非難されながら、なぜ、これほどまでに情熱をもって取り組めるのか。その根源はなんなのか」

その秀逸な質問は、樋渡さんの琴線に触れたようです。

ご自身の体験を織り交ぜた樋渡さんの答えに私は深く感銘を受けました。勇気をもらいました。心が洗われました。

本当に素晴らしい「東北まちづくりオフサイトミーティング第20回勉強会in山形」でした。

関係者の皆さんに心から感謝申し上げます。


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