(あさのカフェが好きです)

栽培しているナスが二つ実をつけ、生まれて初めて収穫しました。可愛いピーマンも実りました。

ナスの栽培によって心境の変化が起きました。ナスを見る目が変わったのです。

いままでスーパーの野菜売場で見るナスは私にとって商品にしかすぎませんでした。

安いか、高いか。新鮮かどうか。ただそれだけでした。

作り手に思いを至ることなど、まったくありませんでした。安く、良質なナスが手に入ればうれしい。それ以上でもそれ以下でもない。

ところが、実際に育ててみると変わるものです。

たかがナス、されどナス。それなりに手間がかかります。人とナスの協働作業によって実がなることを知りました。

毎日の水やり、施肥、アブラムシの退治など日々手をかけるにしたがいナスに感情移入していく自分に気がづきました。


(ナス2個にピーマン1個)

朝の出勤時、夕の帰宅時にナスに近づき、実はもちろんのこと、葉や土の状況を確認。朝な夕なにナスと対話するようになりました。

もしかしたら、「声がけ」とは「肥がけ」に通じるのではないか、と思うようになりました。

日々成長していくナスに愛おしさが募ります。特に雨後に見違えるように大きくなった姿に感動すら覚えました。

ナスを栽培できるまでに成長した己の姿を両親に報告しようと、けさ、仏壇にナスとピーマンを供えました。

五十路に至り、やっとここまできました。

両親も喜んでいることでしょう。感謝合掌。

初茄子をもぎりて痛し指の先


(ナスの苗ナスの花咲く何の不思議なけれど)

いまになって思います。タイに留学していたころは笑いの感覚が鋭敏になっていたと。

小学館の「週刊ビッグコミックスピリッツ」をバンコク市内の古本屋で立ち読みしていたときのことです。

相原コージの4コマ漫画「コージ苑」の可笑しさに我慢ができず、ついに極まって店内で大声で笑ったことがありました。なぜか爽快な気持ちになりました。

「嗚呼、あの人は暑熱に頭がやられてしまったんだろう」と周りのお客さんは見ていたと思います。

当時、私の住んでいたバンコクの学生寮にO君という日本人留学生がいました。

経済学に秀でた学生でした。単に優秀だということに留まらず、私にわかるように噛み砕いて教えてくれる。つまり、教えることも優秀なO君でした。

ある日のこと、米国人留学生にコージ苑を見せた。そうO君が話し出しました。

「あいつにさコージ苑見せたんだよ」

「で、どうだった」

「受けてたよ。特にこの場面。日本的だって。いかにも日本人らしいっていってた」

「え、なになに」

「これだよ」

中年のおばさんが家でシャワーを浴びています。名前と年齢も1コマ目に出ていたように思います。

気持ち良さげに浴びています。

3コマ目で展開があります。お尻に付着していたものを発見。トイレットペーパーの小さな塊です。指先で弾いて洗い流します。

4コマ目で何事もなかったかのように、ふたたび気持ち良さそうに浴び続ける場面でむすびとなります。

この4コマ漫画に米国人留学生は反応したというのです。しかも「これはいかにも日本的だ」と。

日本的だといいつつも、ウケる。反応するということは米国人も日本人も同じような共鳴装置があるのでしょう。きっと経験もあるのでしょう。

ただし、通常の出来事をネタとして認識することは困難です。言語化することは至難といえます。

わかるということと言語化することは別次元の話なのです。

松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」の句は多くの人がそのいわんとすることを感じます。でも、常人は言語化できない。

人がふだん認識していないものをネタとしていかに表象させ、かつ、共鳴装置に響かせる言語として表すことができるか。

そこに常人と奇人との違いがあるのでしょう。「星々のつぶやき」の挑戦もまたここにあります。


(昨日と同じような写真です)

「美味しい」と心の底から感じた思い出は、これまで生涯で3回ほどあります。1回目は中学3年生のとき。2回目は大学1年生、そして3回目は4年生のときです。

中体連(卓球)東北大会の会場は岩手県大船渡市でした。大会数日前から高熱を発し学校を休んでいました。

が、私が出場しないと団体戦が成立しないため、熱を帯びたまま両親の看護のもと大船渡に向かいました。

数日間、食欲がなくほとんど食事をしませんでした。一ノ関から大船渡線に乗り換えました。

車中でどういうわけか、なめこ汁が販売されていました。なめこ汁なら飲めそうな気がし、母に頼んで注文。

なめこ汁を口にした瞬間、こんな美味しいなめこ汁があるのか、と思うほど。まさに五臓六腑になめこ汁が染み渡りました。

大船渡駅前の喫茶店で食べた塩味の利いたトマトサンドイッチも忘れられません。ずいぶんと体力が復活したような気がしました。

でも、試合は負けました。

美味しい思い出の2回目は、お金がなく2日間、食事をしていなかったときのことです。母親が手作りの梅干を寮に送ってくれました。

さっそくご飯を炊いて、その梅干で食べました。この世にこんな美味しい梅干があったのか、と感動すら覚えました。

最後の美味しい思い出は大学4年生のとき、タイ留学中での出来事です。

南部のソンクラー県ハジャイを旅したとき、宿泊先で日本人の駐在員と出会いました。大手缶詰メーカーに勤めているという。

翌日、ハジャイ市内のシーチキン製造工場に案内してもらいました。

ブラックライトの下で女性の従業員が手作業で小骨を取り除いていました。骨は紫外線に当たると発光するのです。

できたてのシーチキン缶詰をその場でいただきました。もう、ぎゃお〜っと叫びたいほどの美味しさでした。できたてはまったく違うのです。

ぬめっとした生気を失ったいつものシーチキンとは似ても似つかぬ味わい。シーチキンとは別物だと感じました。

というわけで、以上が生涯で美味しいと心の底から感じた思い出の陳述でした。

最後の思い出からかれこれ30年が経過しようとしています。「飢餓状態」が美味しさのポイントなのだろうことは薄々わかってきました。


(玄関を出て北側を見たら気持ちのよい空でした)

私はよくドジを踏みます。だいたいにおいて液体関連のドジが多い。

ファミリーマートでトイレを借りました。小用専用もあり他のコンビニと比してお手洗いが充実しているのがファミマです。清潔で広い。

小用を済ませ、ウェスタン風(両扉ではありませんが)のドアを開けて出ました。手を洗おうと手洗い場の左脇の狭いスペースに弁当箱を入れたバッグを置きました。

タイ製のピントーという鉄製の弁当箱で重量があります。

プシュっと押して泡状の石けん水を出しました。手に擦り付けようとしたそのとき、弁当箱のバッグのバランスが崩れ、落ちかけました。

手は泡だらけです。どうする。瞬時に脳が回転。

とっさに左の腰を壁側に振り、落下する弁当箱を壁との間に押さえ込みました。無事、弁当箱落下の食い止めに成功。

ホッとしたのもつかの間。ふと股間を見ると泡が付いているではないですか。一連の動作で遠心力が発生し手に付いていた泡が飛散したようです。

まるでモリアオガエルの卵塊のようです。

ま、きょうは一勝一敗ということで慰めることとしましょう。

じつはきょう一つ勉強になったことがあります。いえ、たいしたことではありません。

銀行の自動預払機(ATM)で10千円と入力すると千円札が10枚出てくることを知りました。

モリアオガエルの卵を被りましたがなんだか嬉しい日になりました。

人間がちっちぇーって自分でも思います。


(飛行機雲に見惚れていました)

市外の遠縁の親戚に不幸がありました。義姉も乗せて高速道路を疾走。その義姉が素っ頓狂な声を出しました。

「どうしたんですか」

「あらやだ。靴が違う」

「別な靴を履いてきちゃったんですか」

「いや、違うの。右と左で違う靴を履いてきちゃったの。どうしよう」

厳粛であるべき場で私の腹筋を暴発しかねないネタが組み込まれてしまいました。

斎場に到着。

義姉は腹が据わっています。左右の違う靴を堂々と履いたまま入場しました。

笑ってはいけない。

私は己が心を鎮圧。厳かな場にふさわしい心理状態になるようセルフコントロールに努めました。

私の地元では祭壇に向かって右側に遺族、左側に親族が八の字に並び参列者に見えるように並びます。

ここは中通り。私の住む浜通りとは違うと感じました。

遺族も含め参列者全員が祭壇に向かって座っているのです。

浜通りでは焼香の際に遺族や親族に向かって一礼します。それが焼香の前後にやります。

焼香に進む者、退く者、皆が右に左にせわしなく頭をカクカクさせます。ときに参列者同士で頭がぶつかりそうになります。

そんなことを考えながら、導師の読経を聞いていました。木魚が響きます。

遺影の両サイドにLEDのロウソクが10本ずつ立っています。その左側の中ほどのロウソクが木魚のリズムに呼応して明滅していることに気づきました。

一本だけ明らかに木魚に反応しているのです。どのような原理で起きているのか。気になって気になってしょうがありません。

木魚の音が弱くなると明滅も弱くなることも不思議でした。ロウソクを見つめているとそのロウソクの隣の一本も感染したかのように明滅し出しました。

読経が終わりました。明滅をやめたロウソクが静かに光っています。

通夜の儀が終わると浜通りでは基本的に参列者の誰もが別室での通夜振舞いに行くことができます。入退室自由のバイキングのような雰囲気です。

ところが中通りでは、遺族や近しい親族など限られた参列者のみです。特徴的なのは、そこに導師も参加するのです。

喪主のあいさつや献杯の発声もあります。

今回は棺は運ばれてきませんでしたが、以前に参列した中通りでの通夜では通夜振舞いの部屋に棺を運び入れ、文字通り、故人を忍びながらの会席でした。

所変われば違うものですね。


(夏井川沿を毎日歩いて通勤しています)

ハイカロリーとはわかっているものの天乃屋の歌舞伎揚が好きです。私にとって「至難」とは歌舞伎揚の袋を開けて1枚だけで食べ終えること。私にはできません。

3枚目を食べている途中で脳内で小さなスパークが起きました。

冷蔵庫にあるフィラデルフィアのクリームチーズを歌舞伎揚に塗ったらどうだろう、と。

脳細胞は我ながら不思議な存在です。無意識下で己の欲望を満たさんとつねに発酵と熟成を重ね、休むことを知らない。

先日、東京に行った際に東京駅地下街のベーグル専門店でベーグルを購入。ベーグルといえばクリームチーズ。地元に戻りスーパーでクリームチーズを買いました。

フィラデルフィアを開けると十分に残っていました。

カレー用スプーンでクリームチーズを大胆にすくい上げました。思いっきり歌舞伎揚の凹面に塗りたくります。

頬張ってみました。

嗚呼、こ、これは...。美味い。美味すぎる。歌舞伎揚とクリームチーズの妙なるハーモニー。えもいわれぬ味わいです。

誰もいない居間で叫びたい衝動に駆られました。我、発見せり、と。

もしかして私は禁断の扉を開けてしまったのかもしれない。禁じられた組合せだとすぐに確信しました。

試しに歌舞伎揚単体で心静かに1枚食べてみました。

なんだかもう味気ないのです。たった少し前の感動がうそのよう。

こうしてまた依存対象が増えてしまいました。

蛇足ながら、ハーゲンダッツ・バニラアイスクリームにメープルシロップも絶妙なコンビネーションです。


(自宅前を通過するディーゼル車)

その区長さんはいつも会議の1時間前には会場に来ていました。私たち職員が会場設営する前に姿を現していました。

「◯◯さん、そんなに早くいらっしゃらなくても大丈夫ですよ」

「いやいいんです」

はにかみながら、そして微笑みを浮かべつつ、静かに待つ区長さんでした。


(ナスの花。早朝に起きてアブラムシ退治のため木酢液を散布)

どうして会議開始の1時間も前に来るのだろう。いつも不思議に感じていました。

侃侃諤諤(かんかんがくがく)の議論をするような会議でもなく、いわゆる“会議のための会議”です。

その区長さんの行動を私は理解できませんでした。せいぜい10分前に来ればいいのにと思っていました。


(午前8時前の駅前のカフェでくつろぐひととき)

きょうは土曜日です。にもかかわらず午前5時前に起床。会津の師匠の助言を受け、栽培しているナスの葉に木酢液を希釈して散布しました。

※希釈については「希釈力」で一考を論じています。

そして、午前8時前なのに駅前のカフェでくつろぐ私がいます。主催する「中級音訳奉仕者養成講座」の開講式で午前10時半にあいさつをすることになっています。

業務開始の2時間以上も前に待機していることに気づきました。

何事に対してもぎりぎりな、いわば“ぎりぎりスト”だった私。いまやあの区長さんと同じ、いや、それ以上になってしまっている。

経年変化とは、時が経たないとわからないものです。鼻毛が白くなるだけでなく、行動様態まで変わるのですね。


(飛行機雲を見ているとどこかに行きたくなる)

TBS系列『さんまのスーパーからくりテレビ』内で放送されていた『ご長寿早押しクイズ』。好きでした。鈴木史朗さんの司会もまた味がありました。

「ロミオとジュリエットが夜中にベランダでしたことはなんでしょうか」

鈴木史朗さんが質問します。

このときのご婦人の“誤解答”が耳朶(じだ)に残っています。

「カイワレの栽培」

シェイクスピアも真っ青の解答です。私自身、涙を出して笑ったことを覚えています。

さて、先月初めにナスの苗を初めて植えました。可愛い実が少しずつ大きくなってきました。愛着が湧いてきます。

よく見ると葉の上をアリが徘徊しています。アブラムシも少し付着しています。

アリは葉の上をせわしなく行ったり来たりしています。何をしているのでしょう。

かがんでしばらく観察していると何かを探しているようです。

ちなみに畑でかがんでいると不思議と便意を催します。畑が有機物を欲しているのでしょうか。

アリについて調べてみました。

わかったことは、アリとアブラムシは仲良しだということでした。初めて知りました。

アリは、アブラムシの腹部から出る甘い排泄物を餌にし、一方、アブラムシはアリに排泄物の掃除をしてもらいつつ、敵から守ってもらっているというのです。

共生関係にあるアリとアブラムシ。私も仲間に入れてほしいなと思いました。

来週、ナスの初もぎりの儀を執り行います。


(モノクロの世界も好きです)

日々の仕事で「自立」という言葉をよく目にします。意味はわかっているつもりです。「自立支援」というような使われ方をします。

「自立」の対義語は「依存」。

「自立」という言葉が氾濫しています。一方、「依存」も多く見かけます。

その使われる意味は、自立は、正また善であり、依存は、負または悪といえます。

でも、はたしてそうなのでしょうか。

「自立」することは目指すべき姿なのでしょうか。「依存」することはだめなことなのでしょうか。

もう一つ疑問に感じることがあります。「自立」を促す側は本当に「自立」しているのか、ということです。

子育て中の親子関係においてさえ、親もまた子に依存している。そう私は思います。

もちろん、子が親に依存しているのとは違う意味ではありますが。

患者は医師に依存しています。一方において、患者がいなければ医師という職業は成り立たないことを考えれば、医師もまた患者に依存しているともいえます。

その意味で人々は「何らかの依存症である」というのが私の結論です。きれいな言葉でいえば「共生」になるでしょうか。

私は炭水化物依存症です。脂質依存症でもあります。強く自覚しています。

一時、逆流性食道炎の改善のため、一切のおやつを食べないようにしたことがありました。

「断糖質」宣言です。3か月実践しました。

一切のおやつとは、カルビーのポテトチップス、ヨークベニマル好間店のモンブランケーキ、明治のミニガルボ、不二家のカントリーマアム(特にココア味が好きです)、亀田製菓のハッピーターン、岩塚製菓の味しらべ(私はハッピーターンと味しらべの違いが瞬時にわかります)等々。

その結果、そのストレスにより円形脱毛症を発症しました。

というわけで、良い依存をする、つまり、適度な依存関係を構築することこそが生物の本来あるべき態様であるとの結論に至りました。

それにしても、カントリーマアムはココア味だけでいいのにと思うのは私だけでしょうか。バニラ味は不要です。


(朝もやの田んぼ)

その瞬間は気になるけど、その直後、脳内で「気にならない」信号によって気にならなくなる。そんなことがあります。

まるでノイズ・リダクション(雑音軽減)のようです。

誰が履いたのかわからない旅館のぺらっぺらのスリッパ。履いた瞬間はちょっと嫌な気分です。

が、少し履いているともう自分と一体化してくる、この感覚。さっきまで別なお客さんが履いていたかもしれないスリッパなのに。

消毒などしていないはずなのに大丈夫な心理状態になります。

しかし、一方、浴室前の入口で「これは私のだぞ」と目に力を入れて、位置確認したうえで脱ぐ。が、湯から上がってきたときには、どれが自分のだかわからなくなっているときもあります。

一瞬のためらいがよぎります。そんなときでも、これぞ自分のものと確信し、いったん履き始まり数分もたてば、気にならなくなる。これは不思議。

脳内でどのような信号処理がされているのか。興味がわきます。

理髪店での耳かき。耳かきのメイン機能のしゃもじ型の部分の衛生状態も気になるところではあります。

あの、ふわふわした梵天(ぼんてん)は、いったいぜんたい消毒しているのだろうか。何十人、いや何百人の耳垢を捕捉してきているのではないかと思うのです。

これはゆゆしき問題なのではないか。と、思うものの、気持ちよさと「何かつけますか」の声がけにいつも忘却の彼方に追いやられてしまうのです。

逆に気にならないのが、お浄め塩。通夜・葬儀のあとに葬祭場では踏み台になっているものもあります。

踏んで効果があるのなら、人体そのものに塩が含まれているのだから、踏む必要なし、と思っています。

ちなみに体重60kgで身体には約300gほどの塩が含有していることになります。十分にお清めの役に立つ量ですね。

というわけで、まだ火曜日。ちょっと憂鬱です。


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