(近所の諏訪神社にて)

親しみやすいが仕事ができない。親しみにくいが仕事ができる。スタッフとしてどちらを欲するか。今なら躊躇(ちゅうちょ)なく後者を選びます。

十数年前のことです。国内最大手の製薬会社の人事部の副部長の講演を聞く機会がありました。

「性格が悪くても成果を出せばよい。どんなに性格が良くても成果を出せない人間は要らない」

窓外は夕立でした。激しい雷鳴とともに講師の言葉が胸に深く刻まれました。この講演は、親和動機の強い私にとって忘れられない思い出になっています。

職場の中で挨拶をし、挨拶を返そう、と私はつねにスタッフに訴えています。特に出勤時の朝の挨拶の励行を強調しています。

しかし、長年の習慣や個性などからでしょうか、全員が明瞭な声で挨拶できるとは限りません。

でも、それでいいのです。そう思うようになりました。挨拶と仕事の成果とはスタッフレベルにおいてはさほどの相関関係はないと感じるようになったからです。

親しみやすさは人間関係を構築する上で重要な要素ではあります。が、その観点で組織を作るとグループを築くことはできても、チームは作れません。


(近所の諏訪神社の夜桜)

親しみやすさはとは感情の領域です。感情はときに揺れ動きます。うつろいやすく、壊れやすい。感情のもつれが起きれば、そのグループは解散です。結婚も、結婚当初はグループに類するのかもしれません。

一方、チームはどうか。ある目的を達成するために各々の持ち分を果たすための組織です。感情の領域ではなく、理性の領域による結合と言えるでしょう。

芸能界の複数メンバーの集まりはほとんどがグループに分類されるでしょう。でも、いかりや長介さんが健在だったころのドリフターズはチームだったような気がします。

最近、思うようになったことがあります。

チームが円滑に活動できるようにするためには、その長が、厳しさとともに人間的魅力、作り物ではない親しみやすさも必要なのではないか、と。

とは言うものの、言うは易く、行うは難し。一番苦手な四字熟語は「言行一致」です。だから、つぶやくだけの「星々のつぶやき」に逃避するのです。


(気候の差が激しい福島県内は1か月以上にわたって桜を追い楽しめる)

以前は世界各地を旅してみたいと思っていました。ペルーのマチュ・ピチュやエジプトのギザの大ピラミッド、南米のイグアスの滝、トルコのカッパドキア等々。

ところが、近ごろ、国内、しかも身近な地域を綿密に訪ねてみたいと思うようになりました。いかなる心境の変化かはわかりません。経年劣化、いや、経年変化ととらえたい。

劣化と言えば、近ごろ、新聞記事に「公務員の劣化」といった言葉を見かけます。パトカーに出くわしたときのようになぜかドキリとします。

朝のカフェでふくしまを楽しむ大人の情報誌「Mon mo(モンモ)」を見ています。幸せな気持ちになります。


(隣席では若い女性が蛍光ペンを手にしながら日経新聞を凄い勢いで読んでいます)

今号の特集は「歩いて楽しむ春満開の桜めぐり」。桜と花51ヵ所が掲載。

嬉しいことに自宅から数分の所にあるシダレザクラも載っています。通勤で使っている駅も次のように紹介。

「今は無人駅となっている小川郷駅。平成22年に『小川郷の会』が、駅舎の隣に小川諏訪神社の子どもの桜を植樹している」

足で歩いて取材していることがよくわかります。地元にいながら駅舎の桜の由来を知りませんでした。

今号の桜の写真は昨年あるいはそれ以前に撮影したのだろうと思います。長期視点に立った取材の大変さにも思いを致します。

花より団子。桜めぐりのコースにはモンモ選りすぐりのグルメスポットも合わせて掲載。「何より団子」の私にとっては嬉しい情報です。

早速、iPhoneのリマインダーに登録。極めて忘れっぽい私です。「指定場所で通知」の機能は助かります。


(表紙も春爛漫のモンモ)

お店の名前と位置情報を登録しておけば、付近に近づくと「お前、ここに行きたいって言ってたよな」と教えてくれるのです。文字通りリマインドしてくれます。遠方の地域の場合は感知する半径を大きく設定。

今号にはカフェ好きの私の心をくすぐる「寄り道コーヒースタンド」も特集されています。堪りません。

先月創刊されたというムック本「プチモンモ」の第一弾「ふくしまカフェ手帖」を早速注文しました。

というわけで、早朝のカフェで日経新聞を真剣に読む若い女性の隣でモンモの世界に耽っていました。至福の時間です。

劣化した公務員、ただ今より出勤します。


(これからいい季節になります)

職場のボックス内で佇んでいると小用の人たちの会話が聞こえてきます。

不思議なことに日本語に聞こえないことがあるのです。私だけに起きることなのでしょうか。

傾聴しようとせず意識を少しずらすことでこの現象は生じます。まるで異国のトイレにいるかのよう。

音声のゲシュタルト崩壊と称してもいいかもしれません。

欧陽脩(おうようしゅう)の言う三上「馬上・枕上・厠上」で私はもっぱら厠上派です。皆さんはいかがですか。

この季節、干し芋をよく食べます。繊維が多いせいかガスが溜まりやすい。

ボックス内で絞り気味にガスの排出作業を行うものの、推定埋蔵量をはるかに超えるガスに苛まされることがあります。

そんなときはいったん休止して、さらに絞りをかけ再開。それでも永遠のフェルマータのように続く。これほどの量がいったいどのように埋蔵されているのか、人体の不可思議を感じます。

ガス・フェルマータが続くときに小用族の気配を感じると恥ずかしい。隣のボックスの存在は同一作業に従事する同志であり、さほどは気にしない。

こんなとき私は思います。

ノイズキャンセラーのような音を打ち消す音源がないものか、と。

TOTOのトイレ用擬音装置「音姫」では華奢(きゃしゃ)過ぎて太刀打ちできません。

せめて「音将軍」がほしい。いや、将軍も帝(みかど)に宣下せられて初めて称することができる役職。少し弱い。「音皇帝」あるいは「音大王」こそふさわしい。

さらに、私は提案したい。

個々のボックスに備え付けるのではなく、トイレ用擬音をスマホのアプリとして開発してほしいのです。各人の音の特徴に合った、つまり音源の逆相をカスタマイズした音を発生させるのです。

マッサージチェアーに最初に背骨の特徴を把握させるのと同様に、まずは家庭で自分の音を録音してアプリに認識させます。

「あなたのガス音を解析しています。解析が終わりました。逆相音を生成しています。完了しました。音の長さを設定してください」

どうでしょう。

これで推定埋蔵量を超過したガスにも安心して対処できます。

そんなことを厠上で考えていました。ちなみに「厠上」を「しじょう」と呼びます。


(静謐の森に包まれる「岩塙山荘珈琲店」)

長く憧れていた岩塙山荘(いわばなさんそう)珈琲店。北茨城の山里にあります。初めて訪れました。

「以前からお邪魔したいと願っていました。こちらに来る機会ができたので伺いました」

「それはそれはありがとうございます」

ブラジル産の豆を自家焙煎したコーヒーを注文。手作りのブルーベリータルトも合わせてお願いしました。


(甘さ控えめのしっとりとしたブルーベリータルト。癖になりそう)

窓外の樹林を眺めながら、ブログのネタに思いをめぐらせる私。憧れていた由を伝えて「あ、そうなんですね」と言われまいか、心配でした。杞憂に終わり安堵。

ブルーベリータルトが美味し過ぎて徐々に思考が停止。脳内にアルファー波が満ちてくるのを感じました。

「土日が休業日と伺い、なかなか来れずにいました」

「祝日は営業していますのでいらしてくださいね」

これはいい情報を得たと思いました。足で稼ぐ情報は有益です。


(いつまでくつろいでいたくなる雰囲気です)

また来店することを約し、岩塙山荘珈琲店を辞去しました。

夕刻になって自分の手帳がないことに気づきました。機密情報も含む手帳です。どうやら店に忘れてきたようです。

「もしもし、今日の12時半ごろにお邪魔した者ですが...」

「あっ、お忘れ物ですね。お預かりしていますよ」

「そうなんです。お店は何時までやっていますか」

「自宅がすぐ近くですから気にせずいらしてください。お待ちしています」


(新緑の季節にまた行こう)

到着するとお店はもう終わっていました。ドアを開け薄暗い店内に声をかけました。

「こちらですね。お預かりしていました」

「またすぐに来てしまいました。また伺います。ありがとうございました」

アルベール・カミュ『異邦人』の主人公ムルソー風に言えば、手帳を忘れた理由は、「タルトがあまりにも美味しかったから」ということになるでしょうか。

というわけで、岩塙山荘珈琲店への超高速リターンでした。


(あっという間に咲いて散る桜)

「大人の学び場」と題する読書会に参加。ファシリテーターのほか4名の陣容です。教材は、落合陽一著『日本再興戦略』(2018年1月、幻冬舎)。

課題図書を事前に買わず読まずで参加可能だという。どういうことなのか。

「参加者みんなで読書から得たことを対話形式で共有・学び合うことで、ただインプットするだけではない、アウトプットを通じて自分の血肉にすることを目指す」

ファシリテーターから趣旨説明がありました。と、同時に本を手に取り表紙をはぎ取り、さらに本を章ごとに手切りで分けてしまいました。

見事です。これは新鮮な驚きでした。

本は私にとって信仰の対象ではありません。が、少なからぬ神聖さを感じてきたのも事実です。割くという行為に衝撃と禁じ手から解き放たれたような快感を覚えました。

読書会の中で最も刺激的な瞬間でした。次回は私にやらせてほしい。

ファシリテーターが言うように、肝要なのは本を通して学びを得ることであり、血肉とすること、すなわちインカーネーションです。

本の表紙を見て思います。いかにデザイン性に優れた美しい装丁が施されていたとしても、中に書かれている文章に訴えるものがなければ意味をなしません。

とは言いながら、装丁に惹きつけられて購入することも少なくありません。馬子にも衣裳ではあります。

次元は異なりますが、フルートの演奏会案内のポスターに写る奏者はみな美しい女性ばかり。本来、フルートの音色と容姿は無関係なはずです。

木管楽器と言いながら、宝飾品にも似たフルートの特性がそうさせるのか。

勝負処はそこではないだろう、とかねてより思っていました。音そして奏法だろう、大事なところは、と。

容姿といういかんともしがたい事情により、沈む夕日を眺めながら涙をのんだフルーティストがどれほどいたか。島崎藤村ならずとも、たぎり落つ異郷の涙に暮れた淑女もいたことでしょう。

失礼しました。つい、熱くなり脱線してしまいました。

要は、本は飾りではありません。見てくれではなく内容です。

中身を理解し、血肉化してなんぼの世界です。読後、己が行動にいかなる変容ももたらされなければ、無読に等しい。行動がどう変わったのか、そこがポイントです。

その意味で、割り当てられた各章を読み、6枚ほどの用紙に要旨をまとめ、発表し共有を図る。さらに、ディスカッションを通してアイデアを磨き深め合う。この営みは新鮮で面白い。

身は切り裂かれようとも、著書の一文によって読み手の人生を変えたならば、これぞ本たるものの本懐の姿と言うべきでしょう。

とは言うものの、誰か「星々のつぶやき」を綺麗な装丁で書籍化してくれないでしょうか。よろしくお願いします。


(毎年見ても飽きない桜かな)

施設の竣工式に出席しました。初めて訪れる県外の施設です。式典のあと内覧会となりました。

「こちらは理美容の部屋となります。理美容師に出張してもらいます」

「なんだ、リビョウって」

地元の市長が施設職員に尋ねます。

「頭を切っていただく部屋です」

「あ〜、床屋か。床屋って言えよ」

「女性の入所者もおりますので、女性は美容をご利用になります」

なかなか矜持(きょうじ)のある職員です。証人喚問にも耐えられそうな気位が漂っています。私には無理だ、と思いました。

“リビョウ”に触発されたのか、廊下の隅でこの市長と地元選出の県会議員とが頭髪のことを話題にし始めました。

「俺よ、きょう頭を切ってきたんだけど、この辺ハゲちゃってさ」

左側頭部を撫でながら県会議員に訴えます。確かに薄い。すだれ状になっています。県会議員はノーコメント。賢明な判断です。

黙して語らず。組織で権力者に重用されるにはしゃべり過ぎないことです。特に官房系の部署においては。おしゃべりは、時に干され、そして刺されます。

脱線しました。市長が続けて言います。

「このハゲは選挙でできちゃったんだよ」

私なら愛想笑いをするところ。が、件(くだん)の県会議員はうなずくだけです。処世術の一端を垣間見る思いがしました。

春光輝く竣工式。桜の花のほころびを数葉撮って会場を後にしました。

選挙とはハゲができるほど苛烈なものなのか。そこまでしてやる動機はいったい何なのか。

今後、調査研究してまいります。


(パシフィコ横浜。こちらが表側なのか裏側なのか)

私自身が期待値を上げすぎたのだろうと思います。300kmを走破してたどり着いたカフェでの出来事です。

元はと言えば、職場の売店で見つけたプリンでした。ガラス張りの冷蔵庫の最下段に1個だけあったプリン。プリン好きの私をそそる、ある甘味料が使われていました。

ネットで検索するとある地域の山林で採れたものだという。その甘味料の商品化にはその地域のカフェが関わっていることを知りました。

行こう。行ってみよう。高速道路を使ってでも行ってみたいカフェ探訪の始動です。

想像していたよりも遠く、山奥でした。標高も高いのでしょう。耳奥が詰まった感じなりました。

目指すカフェに到着。店内は若いカップルや子連れのお母さん方でにぎわっています。

木材をふんだんに使った造りです。自然な雰囲気が落ち着きを醸し出しています。

目的のスイーツをいただいたあと、レジの可愛らしい店員さんに尋ねました。

「オーナーの方にご挨拶したいのですが」

「少々お待ちください。呼んでまいります」

しばらくすると40歳前後の女性のオーナーがやってきました。

「職場で見つけたプリンに誘われて福島からここまで来ました。とっても美味しかったです」

「あ、そうなんですね」

オーナーの素敵なブログも読み込み、期待値をマックスにして臨んだ私。感謝や喜びの言葉を期待していた私。

「そうなんですね」--- 胸の中でフェルマータが付され、低く響いていました。

そ、そうなんだよ。そういうことなんだ。勝手に舞い上がっていた私が悪かったのだ。所詮、そういうことなんだ。求めてはいけないのだ。

30年前の若き日に味わった苦みにも似た感覚になりました。

あんなに美味しかったスイーツも味気なくなりました。もう二度と来ることはないだろう、山奥のカフェを後にしました。

週明けの職場、お昼の鐘が鳴ってすぐのこと。入口付近で入ろうか入るまいか、ためらいがちのご婦人がいました。

「手話通訳の講座を申し込みたくて...」

「あ、そうなんですね。どうぞ、どうぞ、担当者を呼びますのでおかけください」

担当者に引き継ぎし、私は手洗いに向かいました。

あっ、しまった。感謝の言葉を添えるのを忘れていた。しかも、「そうなんですね」と言ってしまった。

というわけで、人生、詰まるところは、そうなんですね。


(柳の芽が美しい)

記憶力が経年劣化により減退しつつある今日このごろ。でも、我が頭骨も熟成の甕(かめ)とはなっているようです。

「人の天分は人によって異なるが、自分の天分すなわち才能を拡げることよりも小さくても自分の才能を何かのために使い切っている実感のほうがはるかに幸福を勝ちとれる」

北海道生産性本部連載の最終回原稿を根本忠一さん(日本生産性本部メンタル・ヘルス研究所主幹)からいただきました。

心を動かされました。読み終えたとき、私の胸の中で何かが弾けました。

文章は続きます。

「そのために自分の器を大きくする以上に、自分の器を満たすことに意を尽くすことが大事である。そうして、何かのため誰かのために自分が生きていると感じることこそが人に活力をもたらすのである」と。

そうだ。排気量50ccのスーパーカブだっていいのだ。排気量の多寡と幸福感とは直接関係がないのだ。ハーレーに憧れてもしょうがないのだ。

我が現状の器でどんな働きをするかが大事なのだ、と合点(がってん)しました。

何かのため、誰からのために自分の今ある器を使い切ろうとすること。そのことのほうがよほど大事なのだ、と思い至りました。

今まではと言えば、「大きくすること」と「満たすこと」を比べた場合、ともすれば大きくすることのほうに惹かれていました。

方策とか、仕組みとか、技術とか、そういった理屈の知識を増やそうとしていたように思います。「すべき(should)」何かを求めていた私。

この「すべき(should)」には、自分自身のことよりも、むしろ他人をして動かそうとする潜在的権力動機があります。

さて、昨日『映画 ビリギャル』の原作者・坪田信貴さんの講演を聞きました。

じつに情熱的な方です。坪田さんは訴えます。

「人は感動で動くんです。『理動』ではないんです。勉強しなさいという理屈では人は勉強しない。ところが、世の親たちは、押してダメだったら、さらに押すんですね」

根本忠一さんの文章と坪田信貴さんの講演の言葉がいい塩梅(あんばい)に熟成されてきました。

感じることが大事なのだろうなぁ。

というわけで、50ccスーパーカブ、少し方針転換します。

でも、ちょっとだけよ。あなたも好きね。「良いことはかたつむりのようにゆっくり進む」(マハトマ・ガンジー)のです。

(ここで弱音機の付いたトランペットの音色とピンクのスポットライトが浮かぶ人は旧い人です)


(「なぜか埼玉」を聴きながら秩父へ)

ある方が指摘していました。私もそのような気がしてきました。

もしかしたら「忖度(そんたく)」の意味がわからないまま答弁してしまったのではないか。

もしもシリーズ。初の福島出身の首相とスタッフが詰める首相官邸。

執務室でスマホで「そんたく」を検索する総理大臣。


(カフェ「Maple Base」)

「え〜と、そんたく、そんたく、と。えっ!?こんな字を書くの。てっきり『損託』かと思ったよ。なになに意味は『他人の気持ちをおしはかること』だって!?おい、秘書官、官房長官を呼んで」

官房長官がやってきました。

「総理、どうされました」

「あのさ、さっきさ、『そんたく』なんてないって答弁したげどさ、おれ、意味を勘違いしてたよ」

「なんと誤解されていたんですか」


(秩父のカエデから取れたメープルシロップでいただきます)

「いやね、てっきり、損をさせる請託かなって。いま意味を調べて初めてわかったよ。他人の気持ちをおしはかるって意味なんだってね。官僚が政治家に忖度すんのは当たり前だっぺよ。あちゃー」

「んだがら。総理の答弁を聞いていておがしいなぁって思ったんすよ。んですよね」

「官房長官、どうすっぺね。意味がわからなかったと国会で釈明した方がいいがな」

「いや、無理でしょ。同郷ってことで当時の局長をアレするしかないんじゃないっすか」


(まるでケベックのカフェにいるかのよう)

「アレすんのがぁ。悪いなぁ」

「アレにいっさいがっさい被ってもらいましょ。トカゲもいざとなったら我が身を切りますからね。総理、腹を決めましょう」

というわけで、単なる意味の取り違えから、いまや政局にまでなろうとしている、みぞうゆう(未曾有)の事態なのでした。


※この物語はフィクションです。


(どこか遠くに行きたい...)

祝日が土曜日と重なったとき、針の切れたホチキスと知らずにカチッと押したときに似た気持ちになります。個人の感想です。

祝日は年間16日。そのうち、2017年は4回が土曜日と重なり、本年は3回となっています。

5月5日(土)こどもの日。ゴールデンウィーク中とはいえ、やっぱりもったいない。

ちなにみ法律では「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」とあります。

8月11日(土)山の日。いつの間に制定されたのか、山の日。

2016年に制定されたという。無自覚のまま3回目を迎えようとしています。

当初、お盆前の8月12日の案がありました。が、祝日にふさわしくないと国会で反対があり、その前日になった経緯があります。

いずれにしても土曜日はもったいない。

11月3日(土)文化の日。土曜日を祝日にするなんて、まったくもってもったいない。文化的でありません。

というわけで、ハッピーマンデーならぬ花火(はなか)を私は提唱したい。祝日はゴールデンウィークを除き、原則として水曜日にするのです。つい先日の春分の日のように。

身も心も脆弱な私。5日間勤務し続けることが闘いです。まさに匍匐前進するかのごとく家を出ます。

もしも週の真ん中の水曜日が休みならば、持ちそうな気がするのです。頑張れそうな気がします。

憂鬱な月曜日の次に出勤意欲をそぐ、中途半端な火曜日。その火曜日がにわかに魅力的に見えてきます。花金ならぬ花火(はなか)の登場です。

週休二日制の定着で「花金」はもやは死語と化しています。

金曜日ほどの羽目を外すのでない、軽く一杯。あるいはノンアルコールで美味しい食事を...等々。経済効果もあります。

しかも心理的なメリットもあります。

木曜日の朝の目覚めに月曜日と錯覚し、一瞬憂鬱となったその後に「今日は木曜日じゃないか。明日は金曜日」と気分上昇の効用が見込まれるのです。

いかがでしょう。「もり」とか「かけ」とか、そばをめぐる議論ばかりではなく、花火(はなか)の導入を国会で検討していただきたい。

私は切に願っています。


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