(「区内町御用達」--- 徒歩での移動はこんな発見も)

駅のベンチであふれる涙を押さえながら読みました。大津秀一著『死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33』(2017年、幻冬舎新書)を読了。

緩和医の著者の言葉に心が洗われる思いがしました。

土曜日の午前中。要約筆記者養成講座の開講式であいさつをする仕事がありました。

住まいの最寄りの小川郷駅から単線のディーゼルカーに乗り、いわき駅からは電車で、湯本駅に向かいました。

湯本駅から徒歩10分のところに会場があります。

鉄路での移動中も読書を続けました。

正午前に会場をあとにし湯本駅前の沖縄料理店「A家食堂」で昼食。食べながらも読みました。


(ランチ定食。炭水化物の重ね食いに心躍ります。13時の方向にサーターアンダーギーが見えます)

沖縄そばに入れた島とうがらしが余計に涙腺を刺激します。ティッシューなしでは読み続けることができなくなりました。

辛くなった口内の環境改善を図るため、 とうふ工房分家奈良屋湯本駅前店で豆乳アイスクリームを注文。

不器用を自覚している私。コーンではなくカップでお願いしました。

アイスクリームを食べながら読書を継続。ふつうなら、“ながら”食いをすると必ずといっていいほどアイスクリームを股間に垂らします。

が、今回は汚しませんでした。奇跡的です。

アイスクリームを食べ終え、上顎が冷えました。

駅のベンチで電車が来るまでの間、ふたたび読み続けました。そして、滂沱の涙とともに読み終えました。

50代でがんで亡くなった両親を思いながら本を閉じました。


(しずくを見ていると生きていてもいいと思う)

ウェットティッシューを愛用しています。愛用者だからこそ不満があります。

まだ十分にシートがある時点でのシートの連携の断絶。これが困ります。

本来であれば、一枚、すーっと引いて、抜き終わった、その瞬間に次のシートの先端(芽)が出ていないといけない。

それが出ていない。なんたるちあと舌打ちしながら、上部ふたを回してはずします。

こやつだなと、芯に近いシートを一枚引き上げます。そして、上部ふたの中心の裏から芽を押し込みます。

これが意外に容易ではない。ぎゅっぎゅっと芽が出るように裏側から圧力をかけるものの、芽が出ないのです。

人差し指の爪を最大限に生かし、芽よ出でよと祈りつつ、さらにシートをぎゅっと圧迫します。

やっと表に出た芽を慎重に引きながら、ふたを閉めます。


(職場では窓際に座っています)

ところが、このふたがまたいじわるなのです。心が斜めのためなのか、どうしても若干斜めに回してしまい、きっちりとふたが閉まりません。

もう一度、上部ふたと円柱断面が平行になっている確認し、もう一度トライ。やっとのことでふたが密着。

無事に芽も出て、ふたも完璧にしまった段階で、やおらもう一枚シートを引きます。またもやシートの連係ミスにより芽がボトルの奥底に沈んでしまったのです。

ちっ。舌打ちものです。シートが少なくなってくると連携ミスが頻繁。ふたを開けるとシートがぐにゃりと底にへたり込んでいます。

これはもやは製造物責任法に規定する損害賠償の対象になるのではないか、と私は考えています。

職場での昼休み。こんなことで格闘しています。まだまだやる気満々です。


(トワイライトのひととき)

文書があるとかないとか、そんなことには腹は立たないのですが、納豆のタレの「どこからでも切れます」に裏切られたとき、腹が立ちます。

圧力をかけたとかかけないとか、そんなことには腹は立たないのですが、極楽湯の入館料の支払機に千円札が入っていかないとき、腹が立ちます。

千円札を咥えては吐き出すの繰り返しに無性に腹が立ちます。

官邸の最高レベルとか最低レベルとか、そんなことには腹は立たないのですが、狭い洋式トイレで頭をペーパーホルダーにぶつけたとき、腹が立ちます。

忖度があったとかなかったとか、そんなことには腹は立たないのですが、レトルトカレーを手切りして最後の切り離し時にカレーがシャツに飛び散ったとき、腹が立ちます。

怪文書みたいだとか、出所不明だとか、そんなことには腹は立たないのですが、鶏卵を割り、混入した殻を箸で取り出そうにも取れないとき、腹が立ちます。

あの殻の逃げ出しの仕組みは何かに応用できるのではと思っています。

というわけで、きょうの結論です。

人間が本当に腹を立てるときは、真実をいわれたときか、あるいは、いわれなき非難を受けたときです。


(もっと接近して撮りたかったのですが出勤前にずぶ濡れになるのを避けました)

玉乃光酒造の八重洲口地下街店。同酒造は延宝元年(1673年)に紀州で創業し、現在は京都市伏見に酒蔵を置きます。

玉乃光の逸品「純米吟醸みぞれ酒」を注ぎながら大手自動車部品メーカー執行役員のTさんの話に耳を傾けます。

会社組織の部長にはどのような人物像がふさわしいのか。

「銀行から来た人はダメでした」

「どういう点でダメだったのでしょうか」

「うちの会社はメーカーです。結局、お金の面でしか見ない。そういったことで合いませんでした」

「なるほど」

「次にS社から来た人はさすがS社だと思いました」

S社とはコングロマリット企業で世界屈指のブランドを持つ企業です。

「どのよう点が優れていましたか」

「斬新な発想で次々に新しい取り組みを打ち出していきました。しかし、急激な改革でした。結局、下がついていけなくなって辞めてしまいました」

「なるほど、動きが急だったのですね」

「そうです。そこで私は漸進性が大事だと思いました。10年かけて組織を目指す姿に変えていきました」

執行役員のTさんの話を伺い、私は思いました。

トップとしてのリーダーシップにはスピードも重要な要素となる。

しかし、部長としてのマネジメントにおいては、漸進性ということが大切なのではないか。

つまり、目標に向かって少しずつたゆまず取り組むという姿勢が大事なのだろう、と。

というわけで、この4月に新しい部署に配属となり、課題がいろいろ見えてきました。上意下達方式で強制的に指示して変えていくこともできます。

が、スタッフが自発性をもってじわじわと変えていけるような土壌改良に目下取り組んでいます。


(田に吹く風の心地よさ)

岩波新書の鶴見良行著『バナナと日本人』。学生時代に読んだときの衝撃をいまでも覚えています。

米国企業に雇われたフィリピンの農園従事者の過酷な労働実態。バナナが傷つかないように爪を限界まで切り詰めていることなど初めて知りました。

さて、先日食堂でラーメンを食べました。炒めたニラが香ばしく、なかなかに美味しいラーメンです。

ラーメンの置かれた盆にバナナが一本添えられていました。

気持ちはわかるのです。デザートなのでしょう。付加価値の意味も込めているのだと思います。

でも、ラーメンにバナナは、少しの困惑と躊躇が入り混じった気持ちを抱かせます。

親戚宅を訪ね、帰りがけに仏壇に供えられていた落雁(らくがん)をおばに持たせられたときのような気持ちです。

勝手なもので、ラーメンの食後に杏仁豆腐なら私はうれしい。でも、バナナとなると、帰りがけの落雁とどっこいどっこいなのです。

こんなふうにバナナを軽んじるようになってしまった私です。『バナナと日本人』を再読しようかと思っています。

修行が足りません。

蛇足ながら、「花嫁修業」のときは「修業」を使います。「修行」は一生の努めとしてある境地に至るものだからです。


(カツオの竜田揚げ。早朝から揚げていました)

スマホで動画を視聴していて、最近、気になることがあります。いや、気にかかることといったほうがよいかもしれません。

音質の優れたホールでのコンサートなどでの拍手の音です。

唐揚げの油の跳ねる音に聞こえてしますのです。いったん唐揚げの音と思ってしまうと、唐揚げ以外何物にも聞こえない。脳が認識を固着してしまいます。

拍手のたびに唐揚げを連想し、まるで台所に立っているような気分になります。

閑話休題。

NHKスペシャル「メルトダウン6 原子炉冷却12日間の深層〜見過ごされた危機」(2017年3月12日放送)を動画サイトで視聴しました。

福島第一原発の当時の所長が事故後10日余り間断なく指揮を執っていました。その間の発話の内容やトーンを人工知能(AI)を用いて解析。

所長は原子炉の冷却という最重要のテーマ以外にも職員の食料や土木作業など、ありとあらゆることについて報告を受け、判断しています。

また、解析によって10日経過して所長の発話に変化が起きていることをAIは明らかにしていました。

その後、所長は体調の変調を機に他の人に指揮権を渡し、抱きかかえられるようにして席を外す姿がありました。

日本との比較において安易に米国を引き合いに出すのは好きではありません。

しかし、組織のマネジメントという点ではやはり参考になるものがあります。

システムとは「他の人に代わり得る仕組み」と定義するとしましょう。

アポロ13号(1970年4月)の事故では、ヒューストンの管制室の複数の飛行主任(フライト・ディレクター)が8時間交替で対応に当たっています。「交替で」というところがポイントです。

加えて、NASAの役員は管制室にすべて任せ、後方支援のみを行っていました。強力な権限を東電本店が有していた6年前の原発事故対応と比べ、その点でも違いがあります。

東日本大震災の際、米軍が展開した「トモダチ作戦」。

その米国国務省の指揮本部では、やはり責任者が8時間交替で超過勤務をすることなく対応にあたっていたという(ケビン・メア『決断できない日本』(2011年、文春新書)。

「他の人に代わり得る仕組み」の構築のカギは何か。自分の職場でいえば、私が長期休暇を取ることかなぁと思っています。

課長がいてもいなくても回る組織。これぞ理想の組織です。


(トトロの木)

「あるものをないとはいえない」--- それがいえるようになるのが大人になるということなのでしょうか。

その意味では私は稚児なのかもしれません。

報道を仄聞(そくぶん)するに感じること3点。

一つ目は、「あるものをない」ことにするのはよくない、ということ。これは当たり前です。議論の余地はありません。

二つ目は、「トップの意向」への対処の仕方についてです。基本的に逆らってはいけないのではないでしょうか。

違法な指示でない限り、トップの意向を貫徹するのが組織であろうと思います。

まして、選挙によって選ばれた人間の指示(仮にあったとして)が役人によって阻まれることの方が問題があるような気がします。

社長のいうことを聞かない会社組織は立派な組織でしょうか。

課長の指示に従わない課はいい組織でしょうか。

三つ目は、「歪められた」云々のくだりについてです。「公平公正であるべき行政のあり方がゆがめられた」と発言しています。

これは政策判断の類いです。おかしいと思うのであれば、在職中に具申すべきです。辞めてから発言するのは本当の勇気ではない。

もちろん、辞職後においてもそれを発言することの覚悟は相当なものだとは思います。が、辞めてからいってはいけないのです。

在職中に諌めることができなかったことは、加担したこととイコールなのです。

そんなことを徒然に思いながらけさは東京駅丸の内で購入したベーグルを食べました。

それにしてもベーグルはクリームチーズがよく合う。じつに美味しい。

「ベーグル讃歌」という詩を作ろうかと思うほどです。


(とらやカフェ。東京ステーションホテル2階)

東京駅丸の内の地下街にあるベーグル&ベーグル グランスタ店でベーグルを6個購入(1000円)。

丸の内側の改札口を出ると多数のSPがいました。ノーネクタイに紺のスーツの集団。なんともいえない威圧感があります。

なにも悪いことをしていないにもかかわらず心臓の鼓動が高鳴ります。ヘリが上空を旋回しています。

ほどなくして白バイに先導された車列が丸の内中央口の車寄せに入ってきました。ふだんは封鎖されているエリアです。


(丸の内中央口前の車寄せ)

菊の御紋の車両が到着。行幸です。

若い男性がもっと近づこうと花壇に入りかけました。と、そのときSPの怒号が飛び交いました。素早い制止の動きです。

私は柘植(つげ)の木に蜜蜂が飛んでくるのを不思議に思い見ていました。よく見ると可憐な花を咲かせているのです。

SPがいる前で腰をかがんで撮影。柘植の木に爆発物を仕掛ける動きととられないか一瞬不安がよぎりました。

柘植の木が花を咲かすことを初めて知りました。


(柘植の木に柘植の花咲く何の不思議なけれど)

東京ステーションホテル2階にあるとらやカフェに移動。先ほどの喧騒とは打って変わって静寂な空間です。

こんなところで日長一日ぼんやりしているのもいいなぁと思いました。東京駅に落ち着いた場所があることを知りませんでした。


(上から覗くと丸の内南口が見えます)

駅構内のホテルの中にあること、迷路のような作りになっていることなどが隠れ家のような空間を演出しているのかもしれません。

虎屋の羊羹を食べたいと思いました。が我慢しました。紅茶を一杯飲んで八重洲口に移動。

八重洲地下街の玉乃光酒造で知人と合流。会社経営における社長と部長の役割など貴重なお話を伺うことができました。

過冷却によって注ぐと凍るみぞれ酒を飲みながら昼食を食べました。それにしても昼間のお酒は後ろめたい気持ちになるのはなぜなのでしょう。


(思惟の空間。草野心平記念文学館)

スマホのリマインダーは私の楽しみの一つです。リマインド(remind)とは思い出させるという意味。そんな仕掛けがiPhoneにあります。

リマインダーには、あらかじめ設定した時間になったら「思い出させる」機能と設定した場所付近に近づくと「思い出させる」機能の2種類の機能があります。

私の場合、もっぱら場所での設定です。その場所に近づくと「ほら、お前、ここに行きたいっていってたよな」といった感じでリマインダーが起動します。

近づくと感知する距離(半径)は自在に設定できます。

今号では8か所をご紹介します。

磯原まんじゅう本舗 やまみつ菓子店(北茨城市磯原町)
「名物の磯原まんじゅうは売り切れ必至の人気商品です。確実にお求めになるには14時までにご来店を」

四季茶坊 八夢(福島市荒井)
「彩り豊かな広い庭園に囲まれ、心からのやすらぎを感じていただける空間と季節の味わいをご用意いたしました」

炉端屋台 囲み屋(東京都中野区)
「炉端焼きメインの居酒屋です。お肉・お魚・お野菜なんでも備長炭で魂込めて焼き上げます!」

煮干鰮らーめん 圓(東京都八王子市)
「鰮の旨みを閉じ込めた珠玉の一杯」

まつお(京都市左京区)
「京都で食べる美味しいちゃんぽんの店」

カフェミュゼ(北茨城市磯原町)
「まるで北茨城じゃないみたい!というカフェです」

home bakery and cafe Kobiyama(会津若松市山見)
「會津が香るシュトーレン←本当に美味しい。筆者、特大のおススメ」

ヨシダベーゴー(郡山市富久山町)
「ベーグル専門店のちいさなちいさなお店」

嗚呼、早く起動してほしい。


(けさも早起きして作りました)

日々使っているのに、いやもう日常生活と一体不可分となっているのに、スマホの地位は低いような気がします。もっと品位ある扱いを受けるべきと思っています。

あらゆることができるといっても過言ではないスマホ。にもかかわらず相応しい地位が与えられていない。

例えば、読書。

書物の本を読む姿は称賛されることはあっても、ふつうは非難されるものではありません。

でも、スマホで読書をすると同じ書物を読んでいるのに、本を読んでいる時のような静謐で知的なオーラが出ません。

読書だったら、親に「ほう、珍しいな。何を読んでいるんだ」と問われるのに、スマホは「スマホばっかりいじくって。勉強でもしなさい」といわれてしまいます。

なぜなのでしょう。

次に、写真。

スマホのカメラの品質はものすごく向上しました。コンパクト・デジタルカメラが売れない最大の理由になっています。

にもかかわらず、例えば、戦場カメラマンが銃撃現場をスマホで撮ったら、不謹慎のそしりを免れないかもしれません。

戦火を逃れ、川を渡る親子を一眼レフで撮ることはピュリッツァー賞の可能性があります。が、同じ構図を撮ったとしてもスマホで撮影するとどうでしょう。

雰囲気がまるで軽い。川で親子の水遊びの様子を撮るには最適なスマホ。

人差し指でシャッターを押すのがよくないのでしょうか。その軽さがダメなのでしょうか。気安さがよくないのでしょうか。

やはり、戦場カメラマンのスタイルとしては、タケノコのような望遠レンズを構えて匍匐(ほふく)しながら撮影することが求められているのかもしれません。

さらに、文章作成。

「星々のつぶやき」もその多くがスマホで入力して記事を投稿しています。

パソコンで作成すると知的作業をしている感じがあるのに、スマホで指で入力するとなんだか劣化したイメージを与えます。

なぜなのでしょう。わかりません。

かくもスマホは軽い。スマホは所詮いじってなんぼのものなのでしょうか。

というわけで、いつの日か世の親御さんに子どもたちが「早くスマホでもいじってなさい」といわれる時代が到来することを切に願っています。


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