(アリオスカフェにて)

いわき芸術文化交流館「アリオス」大ホールの3列目の座席。日本を代表するオペラ歌手のコンサートを聴きながら、妄想が湧いてきました。

嗚呼、ここで催したい。猛烈に催したくなりました。「朗ブロ」こと当ブログの朗読会をこの大ホールでできないものか。

歌声に耳を傾けながらも、雨後の孟宗竹のように妄想がぐんぐんと伸びてくるのを禁じ得ません。

嗚呼、ホール備え付けの世界最高峰のピアノ、スタインウェイの生演奏をバックに朗読できないものだろうか。

スタインウェイの響きは低音は唸るがごとく、中音は湖水を渡るハープの音色のよう、高音は鍵盤であることを忘れさせるほど澄み渡る。やっぱり音が違う。

舞台ではゲーテの詩にシューベルトが曲を付けた歌曲「魔王」が始まりました。

激しい曲です。聴いているうちにふと思いました。

この「魔王」を伴奏に腹痛物の代表作「『あ』に濁点の事態」を朗読したらぴったりではないか。「魔王」は腹痛物のためにこそあるのだ、と確信に近い気持ちに至りました。この際、ゲーテにはお役目御免をこうむっていただこう。

いやいや、スタインウェイのピアノ演奏だけではつまらない。「『あ』に濁点の事態」は磐越東線のディーゼルカーの車内での出来事です。

当然、舞台にはセットがなくてはならない。劇団の協力を得て乗客役も配置しよう。

もうここまでくれば、朗読の範疇を超えてミュージカル仕立ててもいいのではないか。だいこんくんに差し迫る腹痛の悲劇と普段通りの周りの乗客の対比。これをオーケストラの演奏で演じる。

「朗ブロ」ならぬ「劇ブロ」。日本に劇ブロの夜明けがやってくる。もはやブログではなく、「星々のつぶやき」は一大叙事詩になり、つぶやきから咆哮(ほうこう)になるでありましょう。

と、そんな妄想を膨らませているうちにコンサートはアンコールを迎え「ふるさと」の合唱の渦の中にありました。

志を果たしていつの日にか催さん。


(夕闇のアリオスカフェ)

(からつづく)

初めての「朗ブロ」(ブログの朗読会)。11月28日の夕刻。10数名の方がアリオスカフェに足を運んでくれました。

遂に催してしまった。私はそんな思いに襲われました。違う意味で催しそうになりつつ、丹田に気合いを入れました。

今回の朗ブロでは10編のエントリーを披露。うち3編は演劇活動をしているHさんに、1編はMさんに朗読を依頼。残りの6編は私のだみ声が響き渡ることとなりました。

HさんもMさんも読み方やいわゆる“作者の意図”について直前まで問い合わせをしてきました。当日は原稿を自分で装丁してきたのには驚きを禁じ得ませんでした。

お二人の朗読に臨む姿勢にプロフェショナルを感じました。城達也さんはラジオで小説の朗読を担当した際、読み原稿が真っ赤になるほど間合いや読み方について筆を入れていたということを思い出しました。


(静かに耳を傾ける参加者の皆さん)

作品は朗読という作業によって作者の手を離れ、文の底に眠っていた力が覚醒して輝きを増す。お二人の朗読に耳を傾けながら、そんな思いに駆られました。

Hさんは豊かな声量で館内のロビーまで響き渡る声で朗読。いつのまにか高校生のギャラリーも集まってきました。朗読後に彼らからも拍手があり、嬉しくなりました。

最後の作品「遠き日の梅の香り」を味わい深く朗読してくれたMさん。プロの朗読家によって読まれるとこうも作品が違って見えるのか、と思いました。胸の奥深くに沁み渡りました。

今回の初の朗ブロでは反省点も多々ありました。

作者自身の朗読は避けた方が良さそうです。各作品の背景説明やコメントに徹する方がいいかもしれません。

お料理や飲み物の注文と提供の仕方も改善の余地がありそうです。

何よりも参加された皆さんに満足いただけたのか。しっかりと自分自身に問うていきたいと思います。

ともあれ、賽は投げられ、恥ずかしながら催してしまいました。今後さらに改良を重ね、パワーアップした朗ブロをふたたびどこかで催したいと思っています。

出張朗ブロも承ります。


(「定番の引力」で登場した即席麺を参加者にプレゼント)

(からつづく)

アリオスカフェで朗読会を催す。では、時間帯はいつがよいか。店長の提案は意外な曜日でした。

「火曜日はホールが休館でイベントがないんです。ロビーで高校生などが勉強してはいますが静かです」

それに、と店長は付け加えます。

「夜の帳(とばり)が降りてからの方が朗読にはいいのではないでしょうか」と。

確かに「星々のつぶやき」は太陽がいままさに昇らんとする午前中は似つかわしくない。そんな清々しさを持ち合わせてもいない。

消え入りそうな6等星の星々のつぶやきなのですから。夕闇こそふさわしいのです。

日にちは2か月先の11月28日(火)夜と決めました。

まずは朗読するエントリーの選定です。過去5年間の1300編を超える記事の中から参加者の皆さんに楽しんでもらえるものは何か。

不評を買うかもしれないけど、腹痛物は一つは入れたい。食にまつわるもの、幼いころの思い出、初期の作品と最近よく読まれた記事を用意しよう。

当日のカフェのメニューをどうするか。店長と打合せを二度、三度と重ねました。

店長のワンオペの状況で朗読会の最中に注文を受けるにはどうすればいいか。迅速に提供できるものでなけれならない。寒い中お越しになるのでスープを用意してはどうか、等々打合せが熱を帯びていきました。

スープについては何度か試作品を作っていただき、私も試食しました。濃厚なコーンポタージュが完成しました。

朗読の際の立ち位置、テーブルの配置、BGMなども検討しました。実際に朗読を行い、声と合うかどうかの検証も行いました。

当日を迎えました。実際に催してみて反省点も多々、一方でサプライズもありの、何はともあれ初めての「朗ブロ」を開催することができました。

(へつづく)


(米国の政治集会のスタイルのよう。第1回朗ブロ)

ことの始まりは春に集ったYさんとの「サシオフ」からでした。サシオフとは一対一のオフ会のこと。

「読者のオフ会をやってみたい気持ちがあるんですけど、気恥ずかしさが立って...」

そうYさんに切り出すと、次のような厳愛の言葉が。

「インパール作戦を指揮した牟田口廉也陸軍中将が『(作戦の中止を)私の顔を見て真意を察して欲しかった』といっていますけど、察してくださいじゃだめなんです」

100万ボルトの電撃が走りました。誰かを頼む心では駄目だということを悟らせてくれました。

爾来(じらい)、どこでどのように催すか、つねに思案するようになりました。カフェでやりたい。でも、どこがいいか。

山あいの、あのカフェもいいなぁ。でも、市街地から離れていて不便だ。静謐(せいひつ)でかつ利便性の高い場所。どこかいいところがないだろうか。

ときおりお邪魔するアリオスカフェ。残暑の厳しいある日、お茶を飲みながら店長に軽い気持ちでブログの朗読会の企画をお話しました。

できるのではないかとのご返事。施設の管理者や店舗を運営する社長に尋ねてくれるという。後日、開催可能との結果が伝えられました。

いつやるか。どのような時間帯がふさわしいか。

アリオスは大小のホールが複数ある施設です。毎日のようにイベントが催されています。

静謐の環境の中で朗読会を行うには土曜日の午前中がいいのではないか、と私は思いました。ところが、店長さんの提案は違いました。

(へつづく)


(「杜のドーナツ」の豆乳アイスクリームが好きです)

身支度をしながらの弁当作りは忙しい。起床と同時に冷蔵庫にある材料を思い浮かべます。定番の出汁巻き玉子。それにあと数品どう加えるかが毎日の格闘です。

出汁巻き玉子は当初、よく失敗をしました。油加減、熱加減、溶き卵の量の按配がわかりませんでした。

しかしいま、成功率は9割を超えるようになりました。我ながら成長したものです。

大人になって思うことは、自分で自分を誉められるかが、大事だということ。己のことはけっしてだませません。

弟が料理を始めたと聞きました。義妹の勧めで料理教室に通うようになったという。よいことです。

料理は作る前の段取り、作るときの段取り、盛り付けの段取り。いずれの過程においてもどのような順序でどのように行うか、脳をよく使う作業です。

素材を知り、素材を生かす調味料と調理法を考え、しかも美味しく、彩りよく仕上げる。知的でかつ興味深い作業だと私は思っています。


(盛り付けはいまひとつ)

ただ、弁当作りは、人様に見せられるものではありません。

右手で菜箸を使って炒め物を混ぜ合わせながら、左手で魚の切り身に小麦をまぶし、右足でサラダ油のボトルを入れた引き出しを閉める。上海雑技団も顔負けの曲芸を演じてるからです。

さて、けさは出汁巻き玉子、ガパオ(バジルを使った鶏肉と玉ねぎの炒めもの)、秋鮭のムニエルを作りました。

弁当箱にご飯とおかずを詰め終え、膝の上で弁当包み(ランチクロスというのでしょうか)で箸も添えて包もうとした瞬間のことです。

右足が攣ってしまいました。膝が水平になるように少し、爪先立てていたのか引き金になったようです。

いままさに包んでいる途中です。時間はない。水平を崩せば箸が転がる。痛みは増すばかり。葛藤が嵩じていきます。

痛みを突き抜けて歓喜に至れ。

ベートーベンの箴言に似た言葉が脳髄を走ります。嗚呼痛い。水平と痛みのせめぎ合いです。

というわけで、私は自己葛藤の末、勝利を収めました。子どもたちはこんな戦いがあったことなど知る由もなく弁当を食べているはずです。


(芋系や栗系の風味が大好きです)

目的感を持って100円ショップに入店したつもりでした。入口を通り過ぎターゲットの棚に至るまでは。

ターゲットは3つ。クリアファイル20枚。透明なラッピング袋20枚。星の形のシールセット1部。

全部揃いました。100円ショップは何でもあると言っても過言ではありません。

確かターゲットの棚から直接レジに向かったはずでした。私の意識ではそうでした。大脳はそう指示していたように思います。

ところが、レジ近くの菓子コーナーを徘徊している自分にふと気がつきました。

どこをどう歩いたのか。確かな記憶がありません。

誘蛾灯に吸い寄せられる蛾のように、蜜に誘われる蜜蜂のように、疑似餌に化かされて釣り上げられる魚のように、菓子の棚の前に誘導されている私。

棚の配列の魔術。巧妙な動線あるいは導線。 私は鰻の竹筒の仕掛けに入った鰻のように逃れられないのです。100円ショップに巣食う誘惑という名の魔物。

釣り好きな近所の人と餌について語らったことがあります。

「こんなルアーに騙されるんですね、魚って」

「そうですね。光具合とか動きによって本物の生き物だと思うんだろうね」

そう。人も騙されるのです。巧妙な手口によって。

というわけで、不二家チョコレートのLOOK「日本のうまいもん 2種のこだわり国産素材 和栗金飩 焼き安納芋」との初めての出逢い。気づいたらターゲットとともにレジを通過していました。

芋系・栗系の味覚・風味が大好きです。こういうものは自宅に持ち帰りません。一人静かに多幸感を味わいます。


(あまり好きではない葉牡丹)

ずっと曖昧なまま生きてきました。ロマンとロマンスの違いがわかりません。そもそもの意味がわからない。

おそらくは、どちらも「ローマ」から来ているのでしょう。「ウィーンの」という意味のウィンナーと同じように。ウィーンのコーヒーが「ウィンナーコーヒー」であり、ソーセージもしかり。

「ロマン」

バンコク郊外のノンタブリー県の看板のない映画館でタイの親友と見た日本映画の作品にも「ロマン」が使われていました。ロマンを見る観客は誰もが息づかいが荒々しかったように思います。

私の胸奥に迫ってくるロマンと言えば、ナポレオン・ボナパルトの言葉です。

「私の人生は、何という小説(ロマン)であろうか」。

学生時代に聞いた米米CLUBの「浪漫飛行」が好きでした。

一方、「ロマンス」はどうでしょうか。

歌謡曲では岩崎宏美の「ロマンス」を思い出します。交差点に立つ警察官の手信号のような振付が好きでした。

ロマンスにシルエットを付けるとまた違う雰囲気が漂ってきます。大橋純子の「シルエット・ロマンス」は悠揚迫らぬ前奏がたまりません。

作曲した来生たかお自身の歌声。これまた異なった、大人の味わいがあっていいですね。コンサートに行ったことがあります。

「もっとロマンス 私に仕掛けてきてほしい」

言われずに半世紀。これからも言われることはなく終わるでしょう。だからロマンスなのかもしれません。

小田急電鉄の登録商標の「ロマンスカー」。2人がけの対面座席を採用したことかに由来するという。

毎朝、磐越東線のディーゼルカーの対面座席に一人で乗っています。哀愁はあってもロマンスは皆無です。

というわけで、結局、ロマンとロマンスの違いどころか、そもそもの意味もわからず本稿を閉じます。

どなたか丁寧に講釈願います。そろそろ車検完了の時間です。


(サザコーヒーの店内。中庭の樹木が美しい)

気になっていたサザコーヒー本店を初めて訪れました。ウェイティングリストに名前を書いて呼ばれるのを待ちます。これが苦にならない。

ドアを開けるとすぐにカフェがあるわけではなく、笠間焼を中心とした食器や雑貨、オリジナルのスイーツなどの物販コーナーがあります。

こんな器でコーヒーが飲めたらなぁ...これはご飯茶碗にも使えそう...などと夢想しながら待ちました。

「将軍カステラ」。ポルトガルのマデラワインを浸し、茨城奥久慈産の地鶏卵と上質なザラメ糖を使用。化学添加物不使用。そそられます。1500円(税込)。


(『茨城・勝田の名店「サザコーヒー」に学ぶ20年続く人気カフェづくりの本』(2017年11月、プレジデント社)

物販コーナーの少し右奥にはギャラリーがあり、地元のアーティストの作品が飾られていました。ギャラリーを見終わったところで名前を呼ばれました。

この“いきなりカフェ”でないところがじつにいい。外界から直接にカフェという聖域に至るのではなくして、呼吸を調え、あるいは、期待を膨らませるひとときが仕掛けとして用意されている。

ここがまず気に入りました。

中庭のよく見える奥の席に案内されました。少しほの暗い落ち着いた雰囲気です。しかし、レトロ一色でもなく、洗練された落ち着きというのでしょうか。不易と流行が融合した空間。そんな形容がふさわしい。

アメリカン(480円税込)とケーキセット(600円同)を注文。ケーキはカフェへの入口脇の大きなガラスケースに8種類ほどの中から選ぶことができます。


(サザコーヒー本店の外観)

笠間産の和栗を使ったモンブランロールケーキを網膜の端に捉えながら、生クリームたっぷりのコーヒーシフォンケーキと無花果入りのゼリー、イチゴショートケーキを瞬時に比較衡量。

最近食べたスイーツの履歴を走馬灯のように脳裏に映し出し、きょう食べるべきは何か。機会費用※も考慮の上、コーヒーシフォンケーキをお願いしました。

コーヒーの香り高いふわふわのシフォンケーキに生クリームがたっぷりと塗られています。芳醇な香り漂いながらもクセのないコーヒー。多幸感が込み上げてくるのを抑えられません。

というわけで、逆流性食道炎のため断っていたコーヒーを久しぶりに解禁し食道がびっくりしていました。食道がびっくりして私もびっくりしました。

しばらくはまた麦茶です。


※機会費用: 複数ある選択肢の内、同一期間中に最大利益を生む選択肢とそれ以外の選択肢との利益の差(出典:ウィキペディア)。


(晩秋の自宅前)

日々雑感、第一題。ラジオで流れる交通情報は誰のためにあるのだろうか、とふと思います。

「国道4号、渡利弁天山交差点上り線、のろのろ運転です」

この情報を真に必要としている人は何人いるのだろう。当該交差点付近にいる人にはこの情報は無用。わかっていますから。

近づいている人にとってもさほど有用とは思えない。まして、遠方の人間にとってはどうでもいい情報です。

そもそも、道路の上り線・下り線を識別できる人がどれくらいいるのか。さらに混んでいる道はいつも混んでいる。

以上から導き出される結論は、「今朝は太陽は東から昇りました」と同程度の意味しかないということです。

第二題。居酒屋で出される枝豆のにんにく炒め。

じつに美味しい。味はいい。だけど、何かいつも心に引っかかるものがあります。

これはきっと素手で持って食べるのでしょう。それ以外に考えられません。でも、脂ぎったにんにく風味の枝豆です。

しかも、味の染みた豆の鞘(さや)は食べられないにもかかわらず、この脂ぎった鞘をしっかりとつまむ必要があります。

今宵は枝豆のにんにく炒め大会というのなら、手が汚れてもやむを得ません。肴が枝豆のにんにく炒めだけというのならしょうがないでしょう。

違うのです。

肴のうちの一皿にしか過ぎないのです。つまむ度に気になる手指。ちょっと指先を舐めたり、おしぼりで拭いたり、無用な雑念が生じるのがじつにいただけない。

ハンドルキーパーのように「きょうは私が取って差し上げますわ」と汚れ役の犠牲を厭わぬ佳人が鞘剥きを奉仕してくれるのなら、と叶わぬ夢想をしてしまいます。

もしかしたら、鞘など何の意味もなく、剥き身の枝豆、つまり大豆のにんにく炒めにすればいいのではないか。そんな邪念も湧いてきます。

結局、舌打ちをしながら、おしぼりに擦り付ける指圧が高まるばかりです。

というわけで、半世紀の齢を重ねた結果、我ながら器が狭量になってきたなぁと思う日々を過ごしています。


(もみじが紅くなりました)

前年度の事業を審査する決算特別委員会。かつて仕えた上司の言葉が蘇りました。「決算は数字だよ数字」。

異動になった年の決算審査は前年度のことがよくわからないので緊張します。

終わってみれば案ずるほどではないものの、委員会が始まるまでは内視鏡検査の前のように不安がよぎりました。

ちなみに内視鏡検査で忘れられないのは、気管支鏡です。気管支にスコープを入れるものです。

気管支鏡については当ブログでも何度か触れています。てっきり全身麻酔で検査するのだとばかり私は思っていました。

「頑張ってください」

主治医に言われた言葉が今も耳朶に残っています。いまとなっては得難い経験をさせていただいたと思っています。

そんな気管支鏡に比べれば、世の中のおおよその大変なことは耐えられる、と思うようになりました。人生に無駄なし。

気管支にスコープが挿入された瞬間、生きのいいエビのように私は反射しました。思わず看護師さんの手を握りしめました。

さて、かつての上司は決算特別委員会に臨むに当たって強い語調で訴えました。

「決算は、『多い』とか『少ない』とか『ほとんど』とか、そういう言葉を使っちゃ駄目だ。あくまでも数字なんだ。件数や金額、それが命だ」と。

過日の決算特別委員会で委員がある件数について質問。担当課長の答弁はこうでした。

「紛失の件数については、あるかないかです」

「件数は何件ですか」

「ほとんどないと思います」

「後でいいので、正確な件数を教えてください」

担当課に問い合わせをしてわかった紛失件数は31件。

そのときふたたび元上司の言っていた「数字だよ数字」の言葉を思い出しました。

やっぱり、形容詞や副詞を使って答弁しては駄目なのです。

また、「31件」という数字を少ないと見るかどうかの評価。それも事業を行った側は第一義的には言ってはいけないのだろうと思いました。

その件数についてどう思うかと問われたならば評価を伝えるのは問題ありません。しかしながら、件数を問われたとき私たちが答えるべきは、まずは生のデータなのです。

というわけで、内視鏡検査が終わったあとのように安堵感が胸に広がる本日。今宵は少しアルコールで咽喉を殺菌してみようと思います。


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