(蚊取り線香を焚きながらデッキでゴロゴロしていました)

光陰矢の如し。昨夏決意したはずだったのに、時はめぐり、また夏が来てしまいました。

「決意」とは、年に1度の同業者同士の卓球大会に事前に練習をして臨む、というものでした。

第41回を迎える本年の県下都市職員交歓卓球大会。開催地は南相馬市でした。昨年は地元市での開催。

あれから1年が経ってしまいました。口惜しさいっぱいだったのに。絶対に練習しようと思っていたのに。決意したはずなのに。

のにを言う人の心に甘えあり。

けっきょく、1年間、ラケットを握らずにまた大会に臨んでしまう失態。負けたときの口惜しさはいったいどこに行ってしまったのでしょう。

数年前、男女混合の個人戦で年齢が一回り上のご婦人と対戦し惨敗。「最近卓球を始められたのですか」と心優しい問いかけをいただきました。

思わず「あ、はい」と答えたときの屈辱。

昔の光いまいずこ。

中学時代、市・県で団体優勝。個人戦においても市大会優勝(中体連)、県大会準優勝(学年別)の実績を積むも、練習せずんば廃れるのみ。

おごれる人も久しからず。たけき者もついには滅びぬ。

喉元過ぎれば熱さを忘れるの格言の如く、「交歓」という名の夜の宴席で泡沫(うたかた)の決意はアルコールといっしょに蒸発していきます。

ラケットを握るのは従、ジョッキを握るのが主。昼は手段、夜が目的。

気が付けば、嗚呼、我、雪山(せっせん)の寒苦鳥となれり。

夜は寒さに苦しみ、昼はその温かさに苦しみを忘れ、遊びほうける。「明日は必ず巣を作ろう」と鳴きながら一生を終える寒苦鳥。

というわけで、寒苦鳥だっていいじゃないか、人間だものと言い聞かせながら、2日目の筋肉痛に呻吟(しんぎん)しています。

それにしても五十路の筋肉痛はどこか違う。

2日目にピークが来て、筋肉痛とともにインフルエンザの治りかけのだるさにも似た、倦怠感に襲われます。

ともあれ、あれほど汗をかいたのに体重が増えたのは不可思議この上ない。


(1年に1回の同業者による卓球大会。まったく練習もせず参加。夜が本番です)

ポリティカル・コレクトネス(通称PC)の観点から絵の具に「肌色」という色はないのだそうです。色と言えば、ぶんず色という少し特殊な色があります。

どの地域まで通じるのでしょう。私の住む地域だけなのかもしれません。もう少し広く南東北及び北関東まで及ぶのでしょうか。

ところで、プールの授業が好きではありませんでした。

暑い盛りのときではなく、なぜか梅雨寒の肌寒いときにプールの授業は行われました。

更衣室のコンクリートのたたきのじめっとした感じが嫌いでした。いまにもカマドウマ(通称“便所コオロギ”)が隅から飛んできそうな陰気臭さがたまらなくいやでした。

もちろん、冷たい水に入ることもおっくうでした。が、休憩と称してプールサイドで待機する時間は生き地獄でした。震えが止まりません。唇がぶんず色になりました。

サルの露天風呂から上がったときの気持ちを推し量ることができる、切ない待機時間です。

サルは偉いと思う。ドライヤーで体毛を乾かすでもない、タオルで濡れた身体を拭うでもない。ただただ、耐えるだけ。楽しみのあとは苦しみが待っている。

さて、プールの塩素臭も苦手でした。潜って水が鼻腔に侵入。わさびの反応領域と重なる鼻腔の奥というのでしょうか、つむじ付近に不快な鈍痛が走ります。塩素の刺激が不快感を倍増させます。

そんなプールの思い出ではありますが、ただ一つ、母との思い出があります。

私たちが呼んでいたところの「呉羽のプール」。室内プールでした。真夏のある日、泳ぎたくなって母に「呉羽のプール」に連れて行ってほしいとお願いしました。

小学校3年生ごろのことです。

母はちょっと渋っていましたが、私だけが入ることを条件に連れて行ってもらうこととなりました。

あとになって母は話して聞かせてくれました。渋っていた理由を。

母は子どものころ、板状の仕切りが両足の指のところに落下し負傷。それ以来、すべての足指の爪の色がぶんず色に濁ってしまいました。

それを人前で見せたくなかったのだという。ぶんず色は母の爪の色。ちょっぴり悲しい色です。

というわけで、「呉羽のプール」のあと、近くの釣具店でぶんず色のアオイソメを買って、午後に釣りをして遊びました。


(宍道湖)

私が願ってやまないスイーツがあります。その名も「まるごとバナナwithoutバナナ」。つまり、バナナ抜きの「まるごとバナナ」です。

あのバナナがあることによって「まるごとバナナ」は価値を毀損(きそん)しています。残念なことです。

バナナは夾雑物(きょうざつぶつ)以外の何物でもない。余計なお世話。お節介です。

良かれと思っているのでしょう。しかし、バナナはまったくもって不要。

コンビニなどで、もしや「まるごとバナナwithoutバナナ」があるのではないか、と四葉のクローバーを探すような目でスイーツコーナーを覗くことがあります。

しかし、残念ながら、陳列されているのは「まるごとバナナ」のみ。

たまに製造ラインの不具合でバナナの入っていない「まるごとバナナ」が出荷されていないか、と淡い期待を抱きます。

「このたび、弊社の製造ラインの不具合によりバナナなしの『まるごとバナナ』を出荷する事態となり、誠に申し訳ございません。今後、再発防止に万全の態勢で臨んでいく所存であります」

こんな事態は、私にとってはこの上なくウェルカムです。

あの「まるごとバナナ」の存在感と重量感。そのまんまでのバナナ抜きの「まるごとバナナ」。

ぜひとも販売してほしい。虜になるのは目に見えています。

そんな思いを祈りに込め、ヤマザキ製パンに念を送り続けて四十余年。いまだ叶わず。祈祷が足りないゆえか。

「まるごとバナナwithoutバナナ」を切望する声が私には怨嗟(えんさ)のように聞こえてきます。なぜバナナ抜きが作れないのか、と。

シンクタンク星々のつぶやきの調査によると、約2割の人が「まるごとバナナ」のバナナは不要と考えているという。

「まるごとバナナwithoutバナナ」の利点は、選択肢が広がることにあります。バナナ好きも、そうでない人にも優しい「まるごとバナナwithoutバナナ」。

バナナも食べたい人は、別途バナナを購入し、「まるごとバナナwithoutバナナ」を食べながら、バナナを食べればよいのです。至極簡単なことです。

「まるごとバナナwithoutバナナ」が歓呼として迎え入れられ、株価の上昇は火を見るより明らかです。

「まるごとバナナwithoutバナナ」の出荷の日は近い。

待て、しかして希望せよ。


(後先考えずこういうのを腹いっぱい食べてみたい)

今日に至るまでその正式名称がわからないでいます。我が家では祖母の代からそう言っていたので、「ねまき」と呼んできました。

「ねまき」とは、いわゆる綿入れ、あるいは半纏(はんてん)に似ています。

しかし、綿入れなどは丈が腰辺りまでなのに対し、「ねまき」は足首近くまであります。

まったく雅(みやび)のかけらもありませんが、平安朝の着物を思わせます。綿入れなどと大きく異なるのは、背中に羽織るのではなく、掛け布団のように使うところです。

おわかりになるでしょうか。通常、背中に接する布地の部分がお腹にくるということです。

寝具において身体を一番最初に被せるのはこの「ねまき」。次に毛布、そして掛け布団という順序です。

長じるまで、これが冬の寝具のスタンダードだと私は思っていました。特殊なスタイルだと気づいたのは、学生時代に上京してからでした。

でも、私は「ねまき」が好きです。「ねまき」は、襟が首周りをすっぽりを覆うため、じつに温かい。安心感も加わります。

毛布や掛け布団だけですと、冬の冷気が首周りに侵入してきます。首周りというのか、肩周りというのか、要するにその辺に隙間が生じてしまうのです。

母の知恵なのでしょう。母は「ねまき」の襟にタオルを縫い付け、汚れが生じたら、また新しいタオルを付けていました。

冬の寒さの厳しいとき、母は「ねまき」を石油ストーブの熱線に当て温めてくれました。温かい「ねまき」にくるまって眠ることの幸せを感じました。

それにしても、この「ねまき」の正式名称は何というのでしょう。わからないまま、もう半世紀も過ぎてしまいました。

温かいので入棺時にも所望いたします。


(塩屋埼灯台)

NHKラジオ文芸館が好きです。アナウンサーの語りと音響効果で構成する「聴く短編小説」。いまも心に深く残る作品があります。

もう20年近く前に聞いた作品です。記憶があいまいなところがありますが、大要は次の通りです。

海辺の近くの旅館に初老の一組の男女が現れる。夫婦のようには見えない。かといってどのような関係なのか、容易に推し量れない。

毎日、男は女を連れ立って、海辺を歩く。無邪気にたわむれ、喜ぶ女。ときに貝を拾い、男に見せる。男は優しく女を見守る。

男は何かを深刻に考えているように見える。逡巡する毎日を過ごす中、ある日、意を決したかのように岬の突端に女を連れていく。

女は誘われるまま、男といっしょに岬に行く。しばらく海を見つめたのちに男はあきらめ、女とともに旅館に戻る。

ある日、あさ目覚めてみると女がいない。海辺をはじめあちこち探すも女は見当たらない。日も暮れ、女はどこかへ行ってしまったようだ。

男は不安が募る。

「岬へ自分で行ったのだろうか」とつぶやく。男は困惑と、そして少し安堵の入り混じった表情を浮かべる。

さまざまな思いが去来する。この結果は望んだことなのだ。自分を納得させる男。

しかし、翌日、女は現れ、男の元に戻ってくる。男はひとたびは落胆し、そのあと、深い安堵の表情を見せる。

結局、これでよかったのだと自分に言い聞かせるところで物語は終わるというものです。

じつはこの男女は夫婦なのです。妻は数年前にアルツハイマーを発症。医師に数年後には夫はおろか、自分自身が誰なのかもわからなくなくと告げられます。

妻は夫に言います。

「あなたが誰だかわからなくなる私の姿なんて絶対に見せたくない。そうなったら、あの岬に私を連れて行って。そして海に突き落してほしい。約束してくれる?あなた」

「約束するよ」

「きっとよ」

というわけで、題名も著者も思い出せないまま今日に至る私。

塩屋埼の灯台に登れば、何か思い出せそうな気もするのですが、どんなものでしょう。

「約束通り突き落とすわよ」って声が聞こえてきそうです。


(自分の影。オーラのようなものが見える)

火力発電所の社宅の共同浴場。もちろん男女に分かれていました。脱衣場はバレーボールのネットくらいの高さまで板の仕切りがあり、声だけは双方から聞こえました。

「お母さん、上がったか」

「上がったよ」

父母のやり取りで私たちきょうだいも同時に共同浴場から外に出ることができます。

9号棟の真ん中の階段の入口までは20メートルほど。両親と一緒なら夜道も怖くありません。

矢追純一のUFOスペシャルを見たあとにひとりで行く風呂への往復の道のりは恐怖そのものでした。「多感だった時代『金平糖石けん編』」に詳述している通りです。

洗面器を縦に、いや、盾にして顔を覆いながら疾走。石鹸を地面に落とし、砂だらけになった石鹸を手探り拾ったものです。石鹸がイボイボの金平糖のようになっていました。

さて、夜風に吹かれながらアパートの階段の入口に近づくと私たちは親にねだります。コーヒー牛乳を買って、と。

1階の右側のお宅はなぜか牛乳を販売していました。呼鈴を鳴らし、玄関を開けると、狭い玄関に小さなショーケース風の冷蔵庫が置かれていました。

お目当てはその中にあるコーヒー牛乳です。玄関で飲む至福の1本でした。

4階まで階段を上って我が家に向かいます。子どものころ、各階の踊り場に備え付けてある火災報知器の赤いランプが不気味に感じました。


(HAL 9000のカメラ・アイ 出典:ウィキペディア)

後年、映画「2001年宇宙の旅」を見たとき、私はどきっとしました。人工知能のHAL 9000のカメラ・アイがその火災報知器にあまりにも似ていたからです。

さて、4階の我が家に到着。寝支度です。

キンチョールを天井の四隅にしゅっと母が吹きかけます。私はキンチョールのにおいが嫌いで逃げていました。

布団を敷いたあと、部屋いっぱいの大きな蚊帳(かや)を吊りました。いま思うと網戸というものがなかったのでしょうか。

部屋の隅から蚊取り線香の煙がほのかに漂ってきます。眠りに就く前、トイレに行くときにめくる蚊帳の感覚が好きでした。

蚊帳の内と外。世界が違って見えました。


(平中央公園にて)

公園でのイベントとレストランでの懇親会に参加。顧客志向で考えてみました。あくまでも顧客の立場から勝手に思うことを述べます。

前号の「顧客志向(上)」では公園でのイベントについて触れました。今号ではレストランでの懇親会について述べてみたいと思います。

直営農場のトマトをふんだんに使った料理が美味しい。

レストランの周囲は人家もなく、阿武隈山系が背後地に控える田園地帯の端にあります。中心市街地から約12キロほど北にあり、一帯は辺鄙な場所と言ってよいでしょう。

森の中にぽっかり空いた草原にいるかのような寛ぎの空間。おしゃれなお店で、私のお気に入りです。

今回、職場の暑気払いとして利用しました。金曜日の午後6時10分、開宴。

レストランの室内席は全部で136席。私たち25名の一行は、軽くパーテーションで区切られたエリアに迎え入れられました。当然、貸切にはなりません。いわば半隔離。

一般客はバイキング方式です。

トマトを使ったさまざまな料理が色とりどりに並べられています。デザートコーナーも豊富です。チョコレートファウンテンが起動しています。

一方、私たちの宴会料理は運ばれてくるものだけとのこと。取りに行ってはいけないと釘を刺されました。

貸切ではないと事前に幹事から聞いていたので、パフォーマンス用のだいこんの着ぐるみは持参しませんでした。

しかし、一般客は誰一人来ませんでした。チョコレートの泉が午後8時過ぎに止まり、用意された料理が撤去されていくのを見て、物悲しい思いに駆られました。

嗚呼、憧れのチョコレートファウンテン、食べたかった。誰も食べずに泉が枯渇するなんて、なんたる機会損失。

山あいに入る手前の、町はずれのおしゃれなレストラン。室内136席、テラス20席。昼間のランチバイキングは賑わっているようです。

夜をどうするか、です。大人2300円(税別)。顧客志向で目下、思考中。

近くの県道は朝夕、原発関連に従事する車両で大渋滞が起きています。

レストランのターゲットにはなり得ないのでしょうか。


(写真は本文と関係があります)

公園でのイベントとレストランでの懇親会に参加。顧客志向で考えてみました。あくまでも顧客の立場から勝手に思うことを述べます。

まず、公園を使ってのイベントでのことです。

なだらかな起伏のある地形が芝で覆われています。大きなケヤキが枝葉を茂らせています。憩いの場として愛されている、私の好きな公園です。

園内には曲がりくねった歩道が数本あり、普段は車は乗り入れられません。その歩道に屋台や出店が並びます。

屋台の多くは移動販売用に改造した車両です。特段そのことに異を唱えるものではありません。カラフルにデコレートされた車両は祭り気分を盛り上げてくれます。

ところが、それら移動販売用の車両以外の一般車両によって歩道がほぼ埋め尽くされているのです。おそらく関係者の車両なのでしょう。

公園周辺の公共駐車場は来場者用として確保しておきたい。第一にそのような理由があるのだろうと思います。

また、会場内に駐車できれば商品等の搬入搬出が容易で何かと便利という判断もあるのかもしれない。

でも、そうであったとしても、歩道には屋台以外の車は駐車しない方がよい。

第一に当たり前のことですが、人間が歩道を歩けない。せっかく周遊できるようになっている園内の歩道が車でいっぱいになっている。

ベビーカーは安心して押せないでしょう。車いすの方の来場は難しいかもしれません。遊びまわる幼児の死角ができそうです。

とにかく、歩道が駐車場になっていることの違和感を持ちました。

第二に景観上、車という人工物が醸し出す異物感。緑豊かな公園の中で車が団子になって並んでいる様は美しくありません。

ふだん車がない園内だけに余計に強く感じます。

公園の隣には時間貸の駐車場があります。見るとがらがらでした。12時間で700円。

出店者にとっては出費でしょう。搬入搬出も楽ではありません。

でも、もし、公園内の歩道に屋台以外の車がなかったら、どんなにかすっきりして憩える場となるだろうか。

歩くことの好きな筆者の目から見て、そんなふうに思いました。せっかくいいイベントなのに...。

につづく)


(空の庭レストランにて。メルヘンの世界のような小さな小屋)

草むしりをしていました。炎天下の午後2時。こんな時間にと自分で馬鹿だなと思いました。滂沱の汗が流れます。

手を休めてお茶を飲みながら、ふと地面を見ていると1匹のアリが目に入りました。自身の体の数倍はある、根っこのようなものを運んでいます。

重いのでしょう。何度も落としています。平地はまだしも急峻な砂の山にも根っこを抱えて登ろうとします。

「おい君、それは無理なんじゃないか。その根っこは君が運ばないといけないの。どうしても必要なものなの」

私は尋ねました。

アリは休憩すらしません。何度も何度も挑戦します。諦めるものか。必死の意気込みが伝わってきます。

「諦めたって誰も咎めはしないよ。その根っこを運ぶのは諦めようよ。運ぶように誰かに言われたの」

私はふたたび訊きました。

しかし、アリはまるで根っこの運搬を我が使命と決意しているかのようです。一所懸命に運んでいます。

「君はこんなに小さな体、小さな頭なのにその達成動機は凄まじいものがあるね」

アリを称えざるを得ませんでした。

必ず運んでみせる。そのアリの決意みなぎる姿勢に私は感銘を受けました。

ところで、先週の金曜日の午後3時過ぎの職場でのことです。

担当者がアンケートの発送の準備をしていました。同僚係員とアルバイト職員にも手伝ってもらいながら作業に当たっていました。

「今日中に発送できそうげ」

私は尋ねました。アンケートは約4千部です。用紙印刷、宛名ラベル貼り、封入・封緘の作業があります。

「ちょっと無理っぽいです。月曜日になりそうです」

「今日発送すると決めたのだから絶対にやっぺよ。諦めちゃだめだ」

私の職場にはNPOからの出向者を含め30名の職員がいます。全職員に私は声をかけました。

「申し訳ないけど、いまやっている自分の仕事の手を休めて、アンケートの発送作業を手伝ってほしい」

それぞれ作業分担を指示。課員全員が一斉にアンケートの発送作業にフル回転し始めました。

もちろん私もです。課長補佐も、担当でない係のスタッフも。

私自身、誰よりも動き、運びました。それぞれの分担の進捗を確認しながら、作業班の人数の入れ替えをするなどして効率よく回るようしました。

結局、午後5時過ぎに大方の作業を終えることができました。担当曰く「2時間でできるとは思いませんでした」。

私は生来「きょうできないことはきょうやらない」性格です。「明日は明日の風が吹く」を座右の銘としています。のんびり屋です。

ただ、思ったことは、担当者自身が決め、私に報告してきたスケジュールを守らせたかった。負け癖というのでしょうか、諦める癖を付けてほしくなかったのです。

そんなことを懸命に働くアリを見ながら思い出しました。

除草後、体重計に乗ったら600グラム減りました。午後2時の草むしりはダイエットに効くことが実証されました。


(空の庭レストランにて。中庭を望む)

七夕というと、弟が幼いころに可愛らしい声で歌った「七夕さま」を思い出します。40年以上も前に姉、弟、私のきょうだいがテープにそれぞれの声を吹き込みました。

当時、父は痔ろうの名医である三枝純郎先生を訪ねて、静岡市の三枝直腸肛門外科(現 三枝クリニック)に入院中。

長距離電話は高い。おそらく母の発案だったのでしょう。子どもたちの声を聞かせて父を励まそうとしたのだと思います。

歌や父へのメッセージをカセットテープレコーダーに向かって私たちは録音。

弟は保育所で習った七夕さまの歌を披露。姉のメッセージの詳細は覚えていないのですが、父に「浮気するな」といっていたのが印象に残っています。

「浮気」という単語を覚えたのは姉のメッセージによってです。


(空の庭レストランにて。南国のリゾートを思わせる風景)

いま思うと中学生でなかなかおませです。

直腸付近の臀部を大きく切開する手術を受ける父がそのような心情になるはずもないのにと思います。父は40歳を過ぎたばかり。

私はといえば、音程のはずれた歌を歌い、笛を無邪気に吹いています。そして意味不明の言葉を発したかと思えば、宇宙の図鑑を買ってほしいとちゃっかり要望も伝えています。

相当におかしい。私から見ても思います。赤面します。

意図的に録音しているのに聞くに堪えられません。

じつは、この録音テープには父の返事が入っています。私たちきょうだいが披露したことへのコメントや要望に対して父が答えているのです。

ウォークマンなどの携帯型のテープレコーダーのない時代でした。

母あるいは祖父(父の父)が重いカセットデッキを静岡に持参して父に私たちきょうだいの声を聴かせたのちに父の返事を吹き込んだのでしょう。


(空の庭レストランにて。森側は静謐の装い)

カセットデッキをみなで囲み父の声を聞いたとき、安心感や懐かしさ、いろんな思いが入り混じった気持ちがこみ上げてきました。

「宇宙の図鑑ね、買ってくるよ〜」

私の要望への回答も入っていました。

というわけで、私の七夕の思い出でした。ちなみに「七夕さま」の歌詞の「金銀砂子」をかなりあとまで「金銀つなご〜」だと思っていました。


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