時が経ってからわかることがあるような気がします。

語学を習得するのに欠かせないのが辞書。タイ語の辞書は私が学生のころ、まともなものがありませんでした。

そんなとき、タイ語研究の第一人者・冨田竹次郎著『タイ日大辞典』(1987年、養徳社)が発刊されました。28,000円という値段にたじろぎましたが、思い切って買いました。

百科事典1.5倍くらいの重さで2千頁を超えます。漬物石にできるほどです。2冊に分冊された改訂版でも、1冊分は、ふつうの英語辞書の数倍の重量があります。

さて、『タイ日大辞典』にはスラング(俗語)が随所に散りばめられており、詳細な説明も付されています。実際に使った者でなければわからないような用例まで記載されています。

冨田先生はきっと日常会話で使ってらっしゃるに違いない。私はそう思いました。

思わず引き込まれ、やがてスラングが面白くなり、ついマーカーをして覚えるようになっていました。いまなお脳細胞に刻印されています。

当時は、先生もお好きだなぁくらいにしか考えませんでした。

しかし、いまになって思うのです。

冨田先生は、タイ語学習者がくじけず、楽しく覚えられるように、そして生きたタイ語が使えるように、そんな思いをこの辞書に込めたのではないか。きっとそうに違いない。

歳をとってきてはじめて見えてくるものってあるものだなぁ、とラインマーカーで真っ赤になっている大辞典を見ながら、黙考するだいこんくんなのでした。

なお、スラングの用例紹介については青少年健全育成の観点から割愛させていただきます。


(親友にいただきました)

ずいぶん前に日本骨髄バンクのドナー登録をしました。30年ほど前に父が白血病を患い、多くの方から輸血を受けました。そのせめて物の恩返しのつもりでした。

英語のドナーと旦那(檀那)は語源が同根です。サンスクリット語のダナーは物を施すという意味で、仏教とともに「布施」の訳語として日本に入ってきました。

さて、何年前だったでしょうか。HLA(ヒト白血球型抗原)の型が私と適合するレシピエント(骨髄移植を待つ患者さん)が現れたとの通知がありました。

HLA型とは白血球のいわば血液型に当たるものです。適合確率は兄弟姉妹間で4分の1、親子間ではまれ(数パーセント以下)であり、非血縁者間だと数百人 から数万人に1人しか適合しないと言われています。

結局、コーディネーターと協議した結果、私が薬を服用中であること理由に見合わせるということになりました。服薬を一旦休止してでも骨髄提供に臨みたいと申し出たのですが、提供者(ドナー)の健康を阻害するおそれのあることはできないと言われました。

最近、ある方のブログで私とほぼ同じような状況で「見合わせ」となったことが記されていました。ほっとした思いと残念な思いが交錯しているとの正直な心情が吐露されており、自分もそうだったなぁと思い出しました。

幼いころからアデノイドや扁桃腺の摘出、大人になってから気管支鏡検査を受けるという痛い場数を踏んできてはいますけれど、やっぱりこわいものはこわいです。

ブログを読んでいて、煩悶する自分自身を見つめている、その方の心が素晴らしいと私は感じました。

悩むのが「にんげんだもの」と思うだいこんくんなのでした。


「だいこんさん、扉にどんな意味があるかわかりますか」

現在の市となって初めての火葬場の整備。火葬について造詣の深い研究者の門を叩きました。

以前、コンサルの仕事をしていたとき、日本にはあらゆる専門家がいるものだと思いました。そして、コンサルというのは決して専門家集団などではなく、ネットワークを駆使して、どこに聞けばよいのか、何を調べればよいのかを知っているプロ集団であることを知りました。

さて、都内の大学の一室で先生は柔和な表情で私に火葬炉の「扉の意味」を問いかけてきました。

「あの扉は、遺族にとって心に区切りを打つ意味があるのです。まさに最後のお別れなんですよ」

この時点で私は両親を亡くしていたので、先生の言う意味がわかりました。

「ですから、施設を大規模化し、炉をたくさん設ければ、効率よく運営できるというのは間違いです。首都圏では炉前のホールに複数の葬家を同時並行で入れますが、貴市でそれができますか」

私は考えました。幼子を亡くした親、天寿を全うした親の遺族、不慮の事故で亡くなった方の遺族...複数の葬家を同時に炉前に案内するのは難しい。絶対に避けよう。

上司に聴取内容を報告。係内で図面を基に動線のシミュレーションを何度も何度も検討しました。竣工の期日は決まっており、背水の陣を敷く思いでした。

いま、施設は滞りなく運営されています。

内壁の色や材質、案内表示のフォント、焼香の台座、仏具の鈴、待合室の椅子やテーブル、コップに至るまで一つひとつすべてをそれでよいか自分の目で確かめました。

旧火葬場の炉は「い」「ろ」「は」というように識別していました。新施設はアラビア数字の荘重なフォントで表示。運営上のミスを防ぐため欠番なしの数字にしました。

新火葬場を訪れる機会があるとき、施設のある小高い丘から太平洋を眺めます。精魂込めて関わった施設なので、愛おしく感じます。

そして、当時の上司、同僚、部下たちへの感謝の思いが尽きません。


空路でやって来た2人の弁護士と私たちは対峙していました。

その情報が公知のものかどうかに争点は絞られていました。

ネットで手間暇をかけて収集整理すれば誰でも入手可能な情報であり、公知の事実であると私は訴えました。

先方の代理人である弁護士が言うには、当該情報は通常は入手困難であり、あなたのような手間暇かける人はふつうはいない。これは本来機密情報である、と対抗してきました。

私は協議当日の朝までかかって収集整理した一連の情報を見せ、公知の事実であることを強く主張しました。

私の作成したペーパーを見て2人は唸っていました。

緊張で胃がキリキリと痛み始めたそのときです。

弁護士が「そういえば、トム・クランシーの『レッド・オクトーバーを追え!』は公知の事実を丹念に収集分析して書き上げられたとそうだ」と述べ、少し間を置いて、もう一人の弁護士も「地検特捜部も週刊誌などに載っている公知の事実から悪事を探り出すと聞いている」と思いがけないことを言うではありませんか。

『レッド・オクトーバーを追え!』は私も映画で見たことがありました。

艦長ラミウスはソ連の体制に不満を持ち、最新原子力潜水艦レッド・オクトーバーを手土産に米国への亡命を画策。大西洋に突然出現したレッド・オクトーバーをめぐって繰り広げられる米ソ戦略。手に汗を握るストーリーです。

私たちは、代理人の弁護士としばし「レッド・オクトーバー」をめぐって盛り上がり、きな臭い雰囲気から一転してなごやかなムードになりました。

対立時にはお互いの共通点を見出すということが大切ですね。

結局、後日先方は不服申立を取り下げてきました。

こんなことを書いていたら、また映画を見たくなり、『レッド・オクトーバーを追え!』のDVDを注文してしまっただいこんくんなのでした。


小中学校時代、私は「ことばとひびきの教室」という通級指導教室に母の付き添いで月に1回程度通っていました。

通常学級に在籍している子どもで、情緒的な面で何らかの個別の支援を必要としている子どもたちが通う、通級制の教室です。

生まれて間もなく高熱を発し、聴力に障害を生じ、私は後年、神経性難聴と診断されました。通常学級でもクラスの席を最前列にしてもらうなどの配慮をしてもらっていました。

それでも、よく聞き間違いをして、涙ぐんでいたことを覚えています。

「ことばとひびきの教室」では、聴力検査や言語機能の訓練なども行いましたけれども、時間のほとんどは私のおしゃべりを聞いてもらうことでした。

「教室」のN先生やT先生に会うのがほんとうに楽しみでした。

当時、私はアニメの一休さんに出てくる「どちて坊や※」ように見えたと思います。

毎回たくさん質問をため込み、先生に会うと次々と質問をぶつけました。N先生は親身になって話を聞き、先生の考えを示してくれました。

また、T先生は切り絵なども教えてくれ、美術の世界の楽しさを教えてくれました。

いま思うと、お二人の先生は、聞き分けの力や言語機能の能力を向上させること以上に私に「生きる自信をつけさせること」に主眼を置いていたような気がします。

学校の先生というのはじつに有難いものだと昨今改めて感じているだいこんくんなのでした。

※「どちて坊や」ーーなにかにつけて「どちて?」と聞く。このため多くの者が回答に窮する。実は戦災孤児で、南北朝争乱によって両親を失っている。
(Wikipediaより)


(写真は生涯学びの詩人であった草野心平の記念文学館)


「学歴とは学びの歴史」ーー 草柳大蔵氏が述べていたそうです。いい言葉ですね。

進路において自分の志望と異なる結果となったとき、本人もそして周りも意気消沈し、生きる希望さえ見出せなくなることがあります。

他人と比べるなと言われても、気にするのが人間の性(さが)です。

20数年前、両親の病により海外の大学院への進学をあきらめ故郷に戻ってきたとき、「好きな道を行った方がいい。簡単にあきらめてはいけない。でも、行く道を好きになることもできるからね」と先輩に言われたその言葉を胸に一歩一歩歩み始めました。

アレクサンドル・デュマは『モンテクリスト伯』で「待て、しかして希望せよ」と主人公に言わしめています。

大きく跳躍するときは、深くしゃがまなければなりません。しゃがめば沈むので、周りが輝かしく見えるでしょう。聳え立っているように見えるでしょう。

私の大好きなタイ・バンコクの中心部を流れる大河・チャオプラヤ川はどんなことがあっても、あらゆるものを受け入れながら、悠然と流れています。

いま目の前にあることを自分の肥やしとし、根っことしつつ、ひたすら学びを続けながら、鳳(おおとり)となって羽ばたくことを信じてやみません。




保険とは、万が一のために加入者が相互に保障し合う仕組みです。

ですので、生命保険各社では、「株式会社」ではなく、日本生命保険相互会社をはじめ、住友生命や明治安田生命など、いくつかの会社では株主が存在しない相互会社の組織形態をとっています。加入者が社員です。

さて、保険商品の設計には統計データが欠かせません。数字が大切です。

不慮の事故で死亡する確率は、大正元年(1912年)が2.3%、昭和元年(1926年)2.2%、平成元年(1989年)3.9%、平成20年(2008年)3.3%と、3%前後となっています。この3%という数字は覚えておいてもいいでしょう。

ところで、警察庁は本年1月9日に昨年1年間の刑法犯の認知件数を発表しました。

刑法犯認知件数は11年連続の減少。このうち殺人(未遂を含む)は939件と、戦後初めて1千件を下回りました。殺人は戦後すぐから1960年代初めは年間約2,500〜3,000件に上っていたとのことです。いまよりずっと物騒だったのですね。

人口10万人あたり被害者数(殺人)を見ると、ピークだった昭和30年(1955年)の2.4人に対し、平成24年(2012年)は0.3人であり、殺人事件の被害者は約60年で8分の1に減ったといえます。

我が国の殺人事件の減少傾向にある要因については社会学的な分析が待たれます。

だいこんくんは、自分の後継者である「かいわれ大根」をスーパーで見るにつけ、未来の社会の安穏たらんことを思いつつ、若き日に統計学の単位を落としたことを悔いるのでした。


※出典
◯不慮の事故で死亡する確率は「平成21年度『不慮の事故死亡統計』の概況」
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/furyo10/dl/gaikyo.pdf

◯刑法犯認知件数は「朝日新聞DIGITAL」(2014.1.10)
http://www.asahi.com/articles/ASG1944QXG19UTIL010.html

◯殺人事件の被害者数は人口動態統計調査を基にした「都道府県別統計とランキングで見る県民性」
http://todo-ran.com/t/kiji/10567

(2012年の人口10万人当たりの殺人被害者数の最も多いのが大阪府で次が香川県。最も少ないのは長野県で次が東京都)



本日は、東日本大震災1周年のときに中国のポータルサイトSOHUに寄稿した文章の原文(結びの章)を掲載いたします。

■掲載さているSOHUのページ
http://news.sohu.com/20120312/n337450611.shtml

「希望の共有」によって支え合う

災害が発生したとき、そして、その後の復旧・復興において行政の役割は当然重要です。

しかし、今回の震災で行政の限界も明らかになりました。非常事態とは、言い換えれば「質の変化」が起きることですが、大規模災害においては同時に「量の変化」も発生するのです。

支援する側の行政職員も含め、皆が被災者となってしまうことに私は気づきませんでした。一部の人にだけ大変なことが襲いかかるのではないのです。

また、行政ではきめ細かな目配りが困難です。公平性や責任が問われ、目の前の人に速やかに必要な物資やサービスをできない場合があります。

今回の震災を契機に地域社会の課題(公益)を民間が担おうという動きが活発になっています。地域のことは、地域住民が支え合っていこうという取り組みが被災地内外で生まれています。ここ福島でもFacebookなどソーシャル・メディアを通して連日、様々なイベントや取り組みが紹介されています。

地域住民によるきめ細かな、そして迅速な支援の動きが広がっています。


玄田有史・東京大学教授は、「(前略)そこでの希望をつくるために大切なのは、その場所にかかわる多くの人々が、何かを成し遂げたいという『思い』を一つにすることです。停滞気味の地域を再生するために不可欠な条件の第一は、地域を思う人々による希望の共有なのです」(『希望のつくり方』2010年、岩波新書)と述べ、「希望の共有」の大切さを強調しています。

まだまだ癒えぬ心の傷があり、原発事故、放射能の問題は収束が見えません。だからこそ「苦悩の共有」から、「希望の共有」へ一歩踏み出す必要があると感じています。

結びに周恩来総理の言葉を紹介し、中国の皆様への感謝と復興への誓いに代えたいと思います。

「条件が困難であればあるほど、いっそうわれわれの特色を発揮して、われわれを鍛えることができる。われわれは、安穏な地域へ発展することは求めない。安穏な地域はだれでも行けるし、だれでも留まることができるからだ。われわれは主には、困難な地域に発展をはかる」(金冲及主編『周恩来伝』、阿吽社)


アーティストの友人から「ありがとう」を造形的に捉えるとどうなのか、分析してほしいと依頼を受けました。

コンテストのテーマなのだそうです。

このような委託・受託の関係をかれこれ18か月ほど続けています。信頼関係が深いため、もうやめようとか、どちらからも言い出していません。

さて、依頼内容の「ありがとう」を3つの観点から考察してみます。つまり、「希少」「縁起」「伝達」です。

まず、「希少」とは、まさに「有難い」ということです。当たり前のことではなく、これは、めったにないことなのだという希少性への感謝です。

つぎに、「縁起」とは、支えられているということです。

仏典に「二本の葦束(あしたば)」の説話があります。

互いに支え相依(あいよ)ればこそ二本の葦束は立つ。もし片方の葦束を除けば共に倒れゆくは必至。彼あればこれがありこれあれば彼がある、と。

私たちは途方もなく多くの仲間に支えられて存立しているということ、つまり縁起観(依りて立つ)を自覚することです。

己の力で成し遂げたのだという慢のはたほこを倒す必要があります。

最後に、「伝達」とは、この「希少性」と「縁起観」を心に思っているだけでは、十分でありません。

ソシュール言語学の権威である丸山圭三郎氏は、人間は言分けを得たことにより、身分け(皮膚感覚でわかる能力)を失ったと述べています。だからこそ、言葉を磨き、言葉で伝える努力を怠ってはならないのです。

言葉に表して、相手に伝えて、相手が認識して、はじめて「ありがとう」が完結するのです。

この「伝達」の行為は、他者との関係をより深く、広くつなげていくという運動論にまで止揚されていきます。

以上はだいこんくんの勝手な「ありがとう論」でした。

くれぐれも使用上の注意をよく読んでお使いください。


先日、ラジオに藤澤ノリマサさんが出演していて、歌手となったいきさつを話していました。

声楽家の父と、歌の講師だった母との間に生まれ、幼少のころから歌うことに興味を持つように。

クラシックもポップスも好きで選択に迷ったとき、どちらも歌おうと決断。

1曲の中にポップスとオペラの歌唱を融合させた独自の“ポップスオペラ”というスタイルで活動を続けています。

サッカーの応援歌でなじみの「アイーダ」を独自の歌唱法で歌う藤澤ノリマサさん、素敵だと思います。
※アイーダのリンク先はYouTube(3:08)

それにしてもあの口の動かし方は、顎関節症の私が真似をしたら大変なことになります。
(リンクの動画はサッカーの場面のみで本人は出ません)

なお、アイーダは、もともとサッカーとは無関係の曲です。

ジュゼッペ・ヴェルディが作曲し、1871年に初演された全4幕から成るオペラ。ファラオ時代のエジプトとエチオピア、2つの国に引裂かれた男女の悲恋を描き、現代でも世界で最も人気の高いオペラのひとつとされています。
(出典:ウィキペディア)

本日3月8日は藤澤ノリマサさん(31)の誕生日。

「ノリマサ合唱団」を2010年に結成。だいこんくんもなにか結成したいです。


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