(不思議な雲)

おととい見た夢。

夜道で私を見たオヤジが後ずさりして逃げて行きました。私の表情が固かったのでしょうか。任侠映画の見過ぎかもしれません。

ところで、私は音痴です。「星々のつぶやき」でも約4回話題にしています。音程だけでなく、リズムも音痴です。「つまらない失敗『習い事編』」の中でコンサートで手拍子が周りの聴衆と合わなくなるという症状があることを述べました。

そんな私がディスコで踊ったことがたった一度だけあります。25年前、バンコクの高級ホテル「デュシタニ・バンコク(The Dusit Thani)」での出来事でした。大学の先輩に誘われてしぶしぶ行きました。

デュシタニは、老舗の高級ホテルとしてタイ王室や各国の賓客が数多く訪れることで知られています。ホテルの名称はタイ語で「天国の街」を意味します。

ディスコホールに入った途端、来なきゃよかったと思いました。異次元空間そのものでした。

バンコクでの私のふだんのオフの過ごし方は、川脇のサーラー(亭=あずまや)でパイナップルジュース(ナム・サッパロッ)を飲みながら、浮き草があてもなく漂い流れていくのを眺めることでした。

川べりをたたく波の音や船の行き交う音、遠くから聞こえる街の喧騒がBGMでした。

さて、ホールではスウェーデン出身のヘヴィメタルバンド「ヨーロッパ」のヒット曲「ファイナル・カウントダウン(The Final Countdown)」が大音響で流れていました。

初め、私は水泳の時間にプールサイドで見学する生徒のような気持ちでカウンターでビールを飲んでいました。が、先輩に半ば強引に踊りに誘い出されました。

さあどうする。盆踊りさえ踊ったことのない人間がなにをどう踊るというのか。

右左、右左と体をカニのように重心を移動させてやり過ごしました。それでさえ曲のリズムと合いません。曲では“ファイナル・カウントダウン”と何度もいっているのに全然終わる気配がありません。これは苦役だと思いました。

拷問にも近い時間がやっと終わり、帰り際、先輩に「踊り、下手だなぁ」と甲高い声でいわれました。金輪際ディスコには行くまいと心に誓いました。

でも、いまは着ぐるみを着れば何でもやれそうな気がします。いや、吹き戻しのヒゲ付きメガネだけでも六本木界隈を歩けそうです。

ここに至るまで四半世紀の歳月が必要だったのかもしれません。人生に無駄なし。


(総理大臣官邸。今度はもっと接近します。本文とは関係ありません)

紙芝居のおじさんは黒縁メガネをかけてスーパーカブに乗ってやってきました。4階建ての12棟のアパートすべてに聞こえるようにおじさんは社宅の敷地を歩きながら、入念に拍子木を打ち鳴らします。

拍子木の甲高い音が鳴り響き、ちびっ子たちがアパートの階段を下りていきます。私は母に小遣いをせがみ、10円を握りしめて社宅の小さな公園に向かいました。

おじさんはバイクの荷台に火灯窓(かとうまど)風に縁どられた紙芝居の木枠を組み立てます。木枠の下には引き出しがありました。薄焼きのせんべいとソース、イチゴジャム、水飴の壺が入っていました。

ソースにするかイチゴジャムにするか、はたまた水飴にするか迷いました。

ピンク色のカタヌキもありましたが、不器用な私はうまくできず、失敗した残骸を食べるだけでした。ほのかな甘みがありました。

水飴の場合は、2本の割り箸を水飴の壺にぐいっとえぐってから手渡されます。お願いすればせんべいに挟んでもくれます。

2本の割り箸を左右の手にもってぐるぐると回転させ、水飴が混濁するまで混ぜ合わせて舐めるのが好きでした。

水飴は10円では買えなかったような気がします。ふだんはソースせんべいでした。1枚のせんべいに竹べらでソースを塗り、もう1枚を合わせてサンドイッチにしてもらいます。

ソースせんべい1枚では小腹を満たすには不十分です。ソースせんべいで腹いっぱいにしたい。私はいつしかそんな願望を持つようになりました。

ある日、100円という大金を手にした私はソースせんべいを10枚注文しました。家に帰ってビッグマックのように一気にソースせんべい10枚(正確には20枚)を口に入れました。

吸水性のよい薄焼きせんべいが上顎をはじめ口内のあちこちに貼り付き、とんでもないことになりました。

くちびるの裏側に付いたせんべいが密着して離れません。ぱくぱく口を開けるとせんべいの破片もいっしょに開閉します。

思いっきり噛むと10枚分のソースが一気ににじみ出てきて塩辛さがが広がりました。

「過ぎたるは猶及ばざるが如し」(論語)。中庸の大切さを身をもって知った40年前の出来事でした。

なお、おじさんの語る怪人二十面相の紙芝居は面白くありませんでした。


(親友に食品サンプルをいただきました。こういうの大好きです)

行雲流水とは、深く物事に執着しないで自然の成り行きに任せて行動するたとえ。物事を単純に考えて数々の失敗を犯してきたことについては、先日「つまらない失敗『料理編』(下)」で触れたとおりです。

またやってしまいました。

昨日午前、自宅のトイレタンクが故障しました。レバーを引いても、反応がなく空振り。チンアナゴに似た形状のノズルから一滴も水が出てきません。メーカーはTOTO株式会社です。

子どものころのことです。社宅の和式便器にTOTOとJISマークが近接して表示してありました。

お腹が弱い私は、子どものころからトイレ滞留時間が長く、きばるたびに便器のかまくら状の頂上付近に表示してある二つのマークがトイレのマークとして脳裏に刻印されました。

そのあと長じて、TOTOというロックバンドがあることを知りました。

なお、スポーツ振興くじは小文字でtotoと表記しますが、イタリア語のトトカルチョ(totocalcio)に由来します。

夕べ親戚が来たので、炭火で鰹を燻(いぶ)したあと冷水で引き締め“たたき”にし、カルパッチョ(Carpaccio)を作りました。

カルパッチョとトトカルチョとはまったく関係ありません。ちなみにドレッシングは、エキストラバージンのオリーブ油に砂糖、レモン汁、塩コショウ、梅肉を加えて作りました。

閑話休題。

タンク上部の陶器のふたを外しました。チンアナゴの付いているやつです。

陶器のふたを取るとさらにプラスチック製のふたがあります。それを取り除くと流水と止水を司る構造物がお目見えします。初体験です。

そのふたの表面に「フィルターの掃除の際は止水してください」との注意書がありました。トイレタンクにフィルターがあることは知りませんでした。

家を建てて以来10数年。一度もフィルターの掃除をしたことがありません。目詰まりを起こしているのだと確信。栓状になっているフィルターを左に回してみました。

その瞬間、ものすごい勢いで天井に向けて水がびゃーっと吹き出しました。昭和の時代劇の殺陣(たて)で頸動脈が斬られて、鮮血が噴き出す場面を想起させる事態です。

ナンタルチア。注意書を軽視した結果です。もっと強い調子で警告してほしいものです。

さて、ようやく止水し、フィルターを取り外しました。歯石のようになった水垢を取り除き、再び装着しました。

が、流水と止水の切り替えがうまくいきません。狭い場所で無理な体勢を維持しながら細かな調整を繰り返すうちに疲労が蓄積し限界に達しました。

というわけで、自力での修繕は断念し和室で横になり、動画サイトGyaO!で8月17日閲覧期限の任侠映画「白竜シリーズ」を見て、気分転換を図りました。

「肉を切らせて骨を断つ」とのせりふが耳朶に残っています。自分も相当の痛手を受けるが、相手をそれ以上に痛めつけるとの意です。

トイレはいまも使えません。タンクとの仁義なき戦いはこれからです。


(友人にいただいたハイビスカス。近日、側頭部に花を装着予定)

人生初めての習い事は算盤塾でした。小学校2年のころだったと思います。以前、このブログでもお話していますので覚えている方もいらっしゃるでしょう。

姉が先に通っていました。塾は火力発電所の社宅の7号アパートにあり、初めての日はブルーのチェック柄の算盤カバーに算盤を入れて、マイ座布団も持っていきました。

ひし形の玉弾きに興味のない私は部屋の隅で壁に寄りかかり、頬杖をついて片手で算盤をいじっていました。

しばらくたったある日、俳優の牟田悌三によく似た先生に「やる気がないなら座布団持って帰れぇ!」と怒鳴りつけられました。

たかが座布団、されど座布団。座布団は座布団以上の意味があります。私は「笑点」をそんな目で見ています。

びっくりした私は涙ぐみながら座布団を持って家に帰りました。悲しい思い出です。牟田悌三も嫌いです。

姉は1級まで進み、私は9級止まり。覚えたのは足の裏に算盤をこすりつけると独りでも笑えるということでした。けっこうくすぐったいものです。

次の習い事は大学を卒業してからのことになります。

英語塾に毎週土曜の朝に通いました。米軍の情報将校を務めていたという先生とマンツーマンの勉強でした。

10年近く通い続けたものの自分の学習能力に限界を感じ、やめました。

新田次郎『孤高の人』で学んだことは退き際の大切さでした。撤退の潮時を見極めるというのは案外難しいものです。

さて、英語塾に通い始めて間もなく、フルート教室にも通うようになりました。

私は音痴です。音程、リズム共に狂います。音痴克服の一助となればと思って挑戦しました。

コンサートなどで演奏者が聴衆に手拍子を促すことがあります。私はノリのいい方でもないし、リズム感もないので、余計なおせっかいだと感じています。

かったるいなぁと思いながら、付和雷同して手拍子をします。しかし、なぜか私は周りの手拍子とずれてしまうのです。「手拍子ハラスメント」と名付けたいと思います。

というわけで、音痴も改善されず、フルートも上達することもなく、教室をやめました。洋銀製のフルートは書棚に眠ったままです。

以上、つまらない失敗「習い事編」でした。いつもくだらなくてすみません。


(一瞬「宇宙人の...」と見えてしまいました)

子どものころから、私はつまらない失敗をしてきました。その「料理編」(下)です。

)でお話したように数多くつまらない失敗を重ねてきました。失敗を繰り返して、数少ないながらも成功法を見出したものがあります。

フライドポテトです。

生のジャガイモをワイルドに切って揚げるものが大好きです。居酒屋で出されるようなものを作ってみたい。私はそう思い、家でなんどもやってみました。しかし、からっと揚げることができません。

結局、二度揚げするということを知りました。

まず低温でじっくり揚げます。ジャガイモから水分が細かい泡となって蒸発していきます。水分を飛ばしジャガイモを乾燥させるのです。

その後、ジャガイモをいったん取り出して寝かせます。油温を高めにして、再度揚げると美味しいフライドポテトの出来上がりです。

番外編。

小学生のころ、キキョウの根を乾燥させて龍角散を作ろうとしました。キキョウの根にはサポニンが含まれ、去痰薬としての効能があります。なぜそんなことを知っていたのか、今となってはわかりません。

社宅の1階に咲いていたキキョウを掘り起し、根を細かく切って乾燥させました。しかし、海辺に近いせいか、カビが生えて上手くいきませんでした。

キキョウは現在私の住む近くの山野にはふつうに生えています。驚いたことに絶滅危惧種に指定されています。

なお、トルコキキョウと呼ばれる「ユーストマ」(リンドウ科ユーストマ属)は、海外では品種が絶えてしまい、現在出回っているもののほとんどが日本産だそうです。トルコ共和国とはまったく関係がありません。

さて、考察の時間となりました。

私の失敗事例には共通して見られるものがあります。

それは、ものごとを単純に考えているということです。複雑なものが苦手です。

素材から完成品に至るまでの過程には本来さまざまな工夫がなされているにもかかわらず、その辺のことを考慮に入れていません。簡単に出来ると思っています。

加えて、カビが生えたり、作業が大変だったりすると簡単にあきらめるという性格も読み取れます。もう少し忍耐強くあるべきでしょう。

カルピスを凍らせてなぜPAPiCOにならないのか。もう少し深掘りすべきだったでしょう。

私の親友は電子レンジで半熟玉子を作るすごワザを持っています。一度や二度の水蒸気爆発に負けてはいけないのです。

以上、だいこんくんのつまらない失敗「料理編」を終わります。


(親友にいただいた「くらしき美味処」のマンゴーゼリー)

子どものころから、私はつまらない失敗をしてきました。その「料理編」(上)です。

手始めにほんとうにつまらないものから。

小学生のときです。ペヤングソース焼きそばが出回り始まったころのこと。湯切りをしようとしたら、麺が台所のシンクに落ちました。湯気立つ麺によってシンク底のステンレスが膨張し、ぺこんと音を立てました。

失敗の原因はなにか。

すぐに食べたいので容器を鉛直方向に力を入れて湯切りしたことにあります。容器のコーナーに重量がかかり、熱膨張で脆弱となった容器が耐え切れずに麺があふれ出たのです。

期待値が上昇する中で、それが叶えられないという「機会損失」は落ち込みを激しくします。

やはり、子どものころ。二つのチューブ型のアイスクリームがつながっているグリコのPAPiCO(iだけ小文字)のホワイトサワーが好きでした。私は、カルピスを凍らせればホワイトサワーが出来ると単純に思いました。

期待を膨らませながら、水で割ったカルピスを製氷皿に注ぎ込みました。数時間後、冷凍庫を開けると、カチカチに凍った白濁の氷が出来ていました。がっかりです。カルピス味の氷をなめて自分を慰めました。

私は干し芋(正式名:甘藷蒸切干)が大好きです。

小学生のころ、蒸かした芋を切って干せば出来るのだろうと思い、ベランダに干しておきました。だんだんカビが生えてきて、そのうち見るのもいやになりそのままにしておきました。

隣県の茨城が国内生産高の8割を占めているのは、やはり気候に由来するのでしょう。けっこう値段が高いのが不満です。

社会人になってからのことです。恥ずかしながら、電子レンジでゆで卵を作れると思い、生卵をそのまま電子レンジにかけたことがあります。

あそこまで豪快に爆発しなくてもいいのではと思うのですが、ものすごい音と後始末の大変さを経験しました。いわゆる「爆発卵」は火山活動で発生する水蒸気爆発と同じ原理で起きます。

端午の節句にふと柏餅を自分で作ろうと思いました。やってみると、これはもううんざりするほど大変。くたびれます。作り方の詳述は割愛しますが、二度とやりません。

面倒さで一二を争うのが、蕗(フキ)の下ごしらえです。

蕗の細い筋状の繊維を除去するのが下ごしらえです。気の遠くなるような作業です。手も染色されてしまいます。

蕗の煮つけを食べるときは、筋剥きをした人に合掌礼拝する思いでいただきましょう。

それから、案外難しいのが、鯵(アジ)のたたきです。

ゼイゴの処理はまだいいとして、三枚におろしたあとの皮むきの難易度が意外に高いのです。

身から皮を剥がそうとするのですが、角栓除去シートに残った角栓のように皮のほうに貴重な身が奪われてしまうことがままあります。
へつづく)


(どこの腸まで生きてるんだろう)

「人生に必要な知恵はすべて12人部屋の学生寮で学んだ」といえる2年間を終え、大学3年生のとき私は初めてアパートで独り住まいをしました。

4畳半ひと間の部屋です。コタツも電気ストーブも、もちろんエアコンもない貧乏暮らしでした。畳が1畳半多いですがあこがれの「神田川」の世界です。

八王子の冬は寒い。東北の湘南を標榜する我が故郷よりはるかに冷える。

凍えるような日、あまりの寒さに私は肌色の片手鍋に水をたっぷり入れて、とろ火にして蒸気を立てることにしました。

加湿器代わりです。我ながらグッドアイデアだと思いました。

午前10時ごろ出かける用事があり外出しました。午後3時過ぎタイの友達と会っていたときのことです。

もしかして、鍋のガスを止めてこなかったかも...。

急に不安になり、胸騒ぎがしました。

父が故郷の山で拾って修理してくれた自転車(職務質問で連行された曰く付きの自転車)を全速力で走らせてアパートに戻りました。

アパートは外見は何事もありませんでした。「よかった!燃えていなかった」とほっとしました。

しかし、部屋を開けるとものすごい熱気に包まれました。ガスに火がかかったままで、肌色の片手鍋が焼け焦げ、変形していました。6時間近く炎が点いていたことになります。

ドラマ「半沢直樹」の大和田常務の土下座のシーンのように膝をがくがくさせてしまいました。

大惨事になるところだった。血の気が一気に引いていくのを感じました。

ちなみに、親友に教えてもらったのですけれど、現在、日本のクレヨンメーカーでは「肌色」という表現はpolitical correctnessに反する言葉として使わないのだそうです。要するに差別用語になるということです。

暑気払いの芸は、大和田常務の土下座シーンをだいこんの着ぐるみでやろうかと企んでいるだいこんくんでした。

その前にがくがくしている腰を治さねば...。


(トイレのカレンダー。私は西暦で精一杯です)

おとといのブログ「意外な経験」でハーバード大学のことに触れました。

モントリオールに滞在していたとき、Iさんというハーバード大学を卒業した方としばし懇談する機会がありました。年齢は50代後半だったかと思います。

「なにか事業を起こそうと思い、考えたのが、病院のカルテや書類を保管するサービスでした」

「すぐにうまく行ったのですか」

「なかなか信用してもらえず、自分でトラックを運転して営業に回りました」

Iさんの事業は、病院や企業の書類を倉庫で保管し、依頼があれば24時間以内に届けるというものです。

容易に信用してもらえなかったそうで、加えて、防火管理や従業員の防犯意識など苦労が絶えなかったとのこと。

しかし、いまやカナダ全土で行政庁からも厚い信頼を得て土地の登記なども保管するまで事業を大きく展開するようになりました。

日本の国土の27倍の広さを持つカナダで需要があるのですから、日本でも普及していいサービスだと思います。

私の職場にも、ふだんは閲覧しないものの保存義務のある書類が山のようにあります。

ところで、Iさんは人付き合いが得意ではなく、カクテルパーティーなどに行くのがいやだったそうです。

Iさんはお母さんにこう言われました。

「かならずいい出会いがありますようにって思って参加しなさい。そうすればいい出会いがあるから」と。

鶏口となるも牛後となるなかれ---小さくても自分で事業を起こし、組織を立ち上げる。

ハーバード大学ビジネススクールの出身者はそのような思いを抱いている人が多いとIさんは言っていました。

「蒼蠅驥尾(そうようきび)に付して千里を致す※」ことしか考えない私にはまぶしく感じました。



※蒼蠅(あおばえ)は遠くまで飛べないが、名馬の尾にとまれば千里も行くことができる。小人物でも賢者や俊傑の庇護によって功名が立てられることのたとえ。(デジタル大辞泉)


(食べて後悔ざるの大盛り。玉藻にて)

昔もいまも私は臆病です。

子どものころは本気でUFOを恐れていました。UFOに見つかり(選ばれ)、襲われる夢を何度も見ました。空に浮かぶ金属の小さな点が急激に大きくなり、自分に迫ってくる様子はあまりにもリアルで夢の中とは思えませんでした。

いまとなっては矢追純一さんに精神的損害賠償を求めたいくらいです。

「真夜中」という言葉も生きた言葉でした。午前1時半ごろにトイレに起きたときなど、片目だけそっと開けて変なものを見ないようにしていました。

ちょっとした薮や暗がりも嫌いでした。

小学校の吹奏楽の練習が終わり、消灯当番になったときは、体育館内のピアノと廊下から見える傾いたお墓が気になり、最高度の恐怖に襲われたものでした。

そんな私を鍛えようとしたのでしょうか。ある夜、父が近所の八幡神社の中に入ろうというのです。社の神体などなんの恐れるものでないと父が言います。

「中にはなにもないんだ!」と父が怒気を含んだ口調で言いながら、薄暗い社の扉を開けます。嫌がる私を引きずりながら、奥の方にずんずん行きます。

生きた教育を信条とする父らしいやり方です。

そっと目を開けると、祠の奥に蛇のような形をした、なにかがありました。そこから記憶がありません。

いまもって蛇の夢を見るのはこのときのせいなのかも。

ちかごろ片目だけ開けてそっと見るのは体重計です。そろそろ本気にならないとだめですね。

このままでは「だいこんくん」の着ぐるみも着れなくなるのではと、体重と鼻毛の白髪の増加をおそれるだいこんくんなのでした。


(本文とはなんの関係もありません)

※かつての論考の論点を整理してコンパクトにしました。

(からつづく)

私たちは、人にお世話になると、<有難い>という思いとともに、お返ししなくてはという債務感覚が心に宿ります。お祝いや香典をもらったときも同じです。

「お返し」という「債務」を告げる赤色アラートは、お返しするまで心の中で点滅を続けます。

しかし、その「お返し」のベクトルはお世話になった人にのみ向けられ、固定されます。

ここで、突然、タイ語の話です。

学生時代、私はタイ語をタイ人留学生から教えてもらっていました。

お礼として何かを贈ろうとした際、留学生から「将来タイに留学したとき、日本へ留学を希望するタイ人に日本語を教えてあげてください。それが私たちへの恩返しです」といわれ、新鮮な驚きを覚えました。

この発想は、外に広がる「ネットワーク型の恩返し」といえるのではないか。

「世話した人⇔世話された人」という閉ざされた世界から、外にどこまでも広がりをもった関係を築くことができるのです。

そんなネットワークを自分の住む地域で広げられたらいいなぁと夢想するだいこんくんなのでした。


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